おじいクボマ~ル@青空保育園 since 2023

定年前に大学教授から保育園長に転身した「おじい」のブログです。誰にでも開放していますので、ご投稿も歓迎です!

来年もまたよろしく! from 久保田

2016-12-31 04:14:52 | 一般向け連絡
 さっきやっと、お世話になっている保育園20ヶ園への年賀状を書いた(宛名書きだけだけど・・・)。
 毎年そうだけど、卒論指導のラストスパート時期と年末年始が重なるので、ドタバタアタフタしたまま年が明けてしまう。
 「もっと早く提出させればいいじゃん!」とは思うが、学科で提出期限を1月中旬と決めているのだから、何とかそれまでは「少しでも良いものにさせたい!」と思うのだ。「よーし、やっちゃる!」という気持ちで連日研究室に詰めている4年生をみれば、そりゃあクリスマスも除夜の鐘も初日の出も初詣も二の次になるだろう。
 
 今年も何かとお世話になりました。
 誠に残念ながら、年々の寄る年波と体の不調には勝てず、多くの方々にご迷惑やご心配をかけるようになってしまったのが慙愧の念に堪えません。回復とか向上とかが望めない年齢になっておりますので、どうかご勘弁とご寛怒のほどお願い申し上げます。
 というわけで、来年もまた変わらぬご指導・ご鞭撻をいただきたく、久保田平伏・・・


↓ 沖縄県知念岬です

東京の夜景は哀しい by のざかですっ!/久保田のリライト

2016-12-30 12:11:44 | 自由投稿
 年末ギリギリに、1年生書き手の野坂さんから原稿が届いた。いつものように、目のつけ方の鋭さに感心してしまう。
 亡くなった女性には悪いが、「あれくらいの残業に耐えられないなんて…」という人もいる。しかし、人間を十把一絡げでは語れない。
 彼女は「電通」が好きだったからこそ、そこでの仕事と心中してしまったのではないか。でなければなぜ、「辞めます」が言えなかったのだろう。
 YesもNoも「わかりません」も言えない若い衆が増えている。自分の意見が言えないのだ。周囲を見回し、「同意」という援護射撃がないと自分を前に出せないという主体性のない人たちが、どうやってこれからの社会を作っていくのだろう…


言葉の意味 by のざかですっ! 
 話題になっている電通の新入社員過労死事件。私のアルバイト先は残業が一切ないので始めはピンときていなかった。しかし大学の友人から「昨日残業させられた。」など話を聞いたことがあり身近な話題であるとは感じていた。
 彼女が自殺をする前も10回の立ち入り調査が入り、問題を指摘されていたにも関わらず長時間労働は放置され改善がされないまま一人の命が絶たれた。
 私はニュースの中で心に残った言葉がある。それは彼女が母親に告げた「東京の残業問題が東京の夜景を作っている。」という言葉だ。私はこの言葉を聞く前は東京の夜景がすごく綺麗だと思っていて将来はここで暮らしたい思いもあり、田舎者からはとても憧れていた景色だった。だが私の思いの裏では夜景の中で苦しんでいた人がいたと考えたら私は何を言っていたんだろうと思い、心が痛んだ。
 長時間労働問題が少しでも解決されいつか別の意味で東京の夜景は綺麗だと思える日が来るのを待っている。

↓ ≪久保田のリライト≫
 大手広告会社「電通」の新入女子社員が、過度な残業を強いられたため亡くなってから一年が経つ。私のアルバイト先には残業がなく、あくまで他人事だと思っていたが、「残業させられた」と嘆く友人もいて、確実に私にも近づいているような気がする。
 以前から問題が指摘され、当局の立ち入り調査まで受けていながら、一人の人間の生命を救えなかった。彼女は生前、「東京の残業問題が東京の夜景を作っている。」と、母親に告げていたそうだ。
 田舎者の私には、単に美しく綺麗で憧れですらあった夜景を、そんな風に辛い思いで見つめていた同世代の人がいた。私の心は掻き乱された。
 長時間労働問題は、いつ解決されるのだろう。否、解決されるのだろうか。オフィスビルの窓の輝きを、心から楽しめる日がくるのを待ちたい。

「返事をしない」文化の蔓延 by 久保田

2016-12-29 16:27:44 | エッセイ
「返事がない」と言えば、学生たちへの連絡メイルに対するそれもまったく同じだ。
 せっかく「彼らのために」と思って用意し情報提供した学習の機会なのに、「どうする?」と尋ねて返ってくるメイルは、半数に大きく満たない。別に参加を義務化も強制もしていないんだから、「今回は止めときます」の一言くらいなぜ言えないんだろう。
 おそらくこの無礼千万な感覚は(本人は意識できないんだよな~)、彼らが「敬語を正しく使えない」ことに繋がっていると思う。つまり、「教員と学生との距離が近い」などというスローガンを勘違いし、常識的な人間関係に対する感覚を失っているのだろう。「先生もお友だちもみんな一緒~」だから、「返事をする」ことすら気にかけないのだと思う。「違うぞ、オヤジ」と言うのであれば、どうぞ反論してください。
 こういうマナー違反を続けられると、遂には「学生のために」なんてことを思わなくなるな。すると今度は、「ちっとも指導くれなあい」とか言い出すのであろうか。メイルアドレスを持つ限り、一日最低でも一回はそれをチェックし、必要な返信をするのがネチケットってもんじゃないのかなぁ。


何のための年賀状だったのか? by 久保田記事のタイトルを入力してください(必須)

2016-12-29 16:14:40 | エッセイ
大月のかなえちゃんにインスパイア(刺激)され、僕もこんなものを書いてみました。

 一時期、投函する年賀状の枚数が850枚を超えたことがある。返信をもらえようがもらえまいが、名刺を交換した人には全て「明けましておべでとうございます」を送っていた。費用は、その度に4万円を超えていた。
 ある時ふと、出した枚数に比べ、もらっている方がかなり少ないということに気がついた。何年続けて出しても、ウンでもスンでもない人が、それこそ百人単位でいたのだ。
 正直言って、バカバカしくなった。自分だけが「お世話になってます。ありがとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。」と言っても、まったくの知らんぷりなのだ。これはもう、「あ、僕は嫌われているのだ」ということを思い知った。そして、形式だけの年賀状なんか止めちゃえ!と思った。
 時同じくして電子メイルの爆発的普及が始まり、経費削減のうま味もあって、早速、電子メイルでの年賀状に乗り換えた。もち論、送信数は回を追うごとに減らしていった。二回連続で何の返事もくれない人は、さっさかリストから消えてもらった。今は、何だかんだで150名程度にまでなっている。しかし、特段の不利益やトラブルは生じていない。
 極言すれば、形骸化し形式に走った年賀状なんてもんは、しょせんこんなもんかもしれない。ただただ惰性で出し続けてきた年賀状や暑中見舞いって、もしかして資源の無駄遣いだったかもしれない。
 と、まあこんな事を書くと絶対、怒る人がいるんだろうな~


 。

忙しないから敢えて毛筆 by かなえちゃん

2016-12-29 15:50:05 | エッセイ
 大月のかなえちゃんから原稿が届いたので、久保田流にいつものお節介リライトをさせてもらった。
 しかし、もしかすると最後の段落で趣旨が微妙に変わってしまったかもしれない。だとしたらすみません。

年賀状 by かなえちゃん
 何のために書くかなど全く知りもせず、幼い頃の私は、ただ親の真似をして、はじめて「年賀状」を出した。それ以来、友だちや担任の先生、親戚など、とにかく返事欲しさに、毎年100枚近く年賀はがきを書いてはポストに入れていた。自分宛の手紙が嬉しくて、夏になると暑中見舞いも張り切って書いては投函した。
 しかし、インターネットの普及と共に、日常の会話だけでなく、時節の挨拶もメールやSNSで交わすようになってしまった。年賀状や手紙を出すことはおろか、自分宛に届く手紙は専ら広告や就職活動に関するものばかりだ。
 近年、自宅だけではなく、コンビニエンスストアのサービスを利用すれば住所や名前、絵柄を手軽に印刷できるようになった。年を重ねるにつれ、忙しなく日々は過ぎ去っていく。だからこそ、こうした便利な機能をうまく活用することで、年の瀬に1年を振り返りつつ、ゆっくり筆をとり、日頃の感謝を葉書に託す時間も大切にしたい。

↓ ≪久保田のリライト≫
 幼い頃、「何のためか」も知らぬままに、親の真似をして年賀状を書き始めた。
 返事がもらえるのが嬉しく、気がつけば友だちや親戚や担任の先生などに、毎回100枚近い年賀状を出すようになっていた。当然、夏になれば暑中見舞いも張り切って投函した。
 インターネットの普及は、生の会話だけでなく、形式的な時候の挨拶すら温かみのないバーチャル空間の中に押し込めてしまった。年賀状や暑中見舞いの枚数は目に見えて減り、広告や就活情報だけが紙で届く。コンビニを使えば、完全自動で年賀状ができ上がる。
 年々、日々は忙しなくなっていく。だからこそもう一度、日頃の感謝を筆でゆっくりと認(したた)めてみるべきなのかもしれない。



そんな馬鹿な話があるかよ! by 久保田

2016-12-28 05:56:03 | 自由投稿
 だから言わんこっちゃないということになるのだろうか、またもや東京オリンピック2020(以下、「2020」と略す)がもめている。
 新国立競技場のデザイン問題に始まり、大会エンブレムの盗用騒ぎがあり、「どこでやるんだ?」議論があったと思ったら、今度は「ところで、かかるお金はどうすんの?」なのだそうだ。おいおい、冗談はいい歳ぶっこいた大人たちが止めてくれないか。
 こんなでかい国際的イベントを開くなら、とうの昔に必要経費やら収支計画やら費用負担者くらいは、ちゃんと決めておくだろう。それを何かい、オリンピックを招致することだけに盛り上がってしまい、「お・も・て・な・し」とやらについつい浮かれ、今頃になって「え、お金はうちが出すの?」とか言っている人たちって、いったいどういう頭の構造をしているんだろう。
 それよりもっとヒドいのは、「わしゃあ、しらんぞなもし」「委員長になる前に決まっていたことじゃけん」とか言い始めている、歩く「老害」とでもいうべきおっさんであろう。どこの誰だよ、あんな人を組織委員会のトップに置いちゃったのは!
 それはともかくとして、結局、お金を出すのはワシら国民であり、ワシらの税金の使い方をわけわからん人たちに勝手に決められてしまうのは、こりゃあたまらんよなぁ。「やりたいやりたい!」と勇んで手を挙げる前に、もっとワシらの同意を得るというか合意を形成しておくべきだったんじゃないか。
 言っておくけど、ワシは「2020」に一貫して反対してきたぞ。「先ずは東北の復興でしょ!」って、言い続けてきたぞ。「2020」は、しょせん東京という限定地域にしか利をもたらさず、大多数の日本人にとっては、出費の対象にしかならんぞ!とも、言ってきたぞ。
 まあ、ワシ一人が吠えたところで何も変わりはしないでしょうけど・・・
 悪いことは言わない、「すみません、下りてもいいっすか?」と世界にお願いしたらどうだろう。「先にやらなきゃならんことが、やっと今頃になってわかってきたもんで」とか言い訳しながらさ。何千億円だとか何兆何千億円だとかいうお金を使うのなら、東北三県や熊本や糸魚川でしょう。
 どうも最近、ワシらが選んだはずの議員さんたちが、ワシらとは関係ないところで勝手な事を言ったりやったりしているように思えてならないんだけど、そうは思いませんか?



新聞記事でまた泣いた・・・ by 久保田

2016-12-27 06:38:58 | 自由投稿
 最近、ものの見事に涙もろくなっているという話は前にもした。
 そして、またも新聞記事で泣いた(笑)。
 あの東北大震災で行方不明になっていた女の子の小さな遺骨が、5年半以上の時を経て瓦礫の中から見つかった。そして、父親のもとに返ってきた。
 「おかえり!」の見出しで、58歳オヤジは既に、号泣体制に入っていた。
 おかしいか? おかしければ笑ってくれ。でもな、世の中の色々に一喜一憂できるということは、自分がまだ精神的に生きていることだと思うんだよ。最近、本気で泣いてますか?



随分となめられたもんだねぇ by 久保田

2016-12-27 06:30:27 | 自由投稿
 自分ち(米軍)のオスプレイが人家近くの海に墜落したのに、「人的被害を与えなかったんだから感謝されるべき」と言われたり、戦争終了直後に大慌てで分捕った北方四島について「そろそろ返還するよ」とは決して言わず、「一緒に経済活動をしてやるよ」と図々しくも誘われたりと、ワシらの国って、随分なめられていると思わないか?
 竹島然り、尖閣諸島もまた然りである。
 確かに、第二次世界大戦でのフルボッコ敗戦国ではあるけれど、何かこうそれを70年以上もひきずって、やりたい放題したい放題を許し続けているような気がするんだけどな。もっとこう、毅然と自分たちの意見や態度を示せないものか。いつも、上目遣いというか、相手のご機嫌をうかがっているばかりのような気がしてね・・・
 言っておくけど僕は、いわゆる右翼思想を持つ人ではないよ。国家主義者・国粋主義者・天皇制絶対主義の信奉者でもないよ。ただ、「いくら何でも自分らしくしようと」と言っているだけだ。
 アメリカの次期大統領予定者ほどの押しはなくても、もっとハッキリと「返せよ!」とか「出て行けよ!」とか言える人が出てこないものだろうか。もっとも、フィリピンの何とか大領までいくとヤバい気がするが・・・

エントリーを締め切ってもよかですか? from 久保田

2016-12-26 12:49:14 | 一般向け連絡
 2月10日(金)のやるやる漢検隊2月厳冬班と2月24日(金)の保幼系公務員採用模擬試験のエントリーを、大晦日をもって締め切っても良いですか?
 ズルズルと待っていても仕方ないような気もするし、漢検について言えば、年明け早々から集金作業をしなくちゃいかんし・・・
 エントリーする気なのにまだの人は、大急ぎでよろしく!

卒業論文の原稿読みが続く by 久保田

2016-12-26 07:18:26 | 自由投稿
 12月中旬の卒論「ゼミ内提出」以降、4年ゼミ生総勢9名の原稿と大格闘を続けている。
 最低約2万字から最高約4万字までの原稿を読みまくり、加筆修正&推敲作業の目安やモデルになるよう、必要部分をリライトして返してあげるという大仕事で、本当にヘロヘロ化している。
 本当は論文の指導だから、論展開に無理や齟齬はないか?とか、内容構成をこう変えるべきじゃないか?といった助言をしなくちゃいかんのだろうけど、時として「国語の先生」化してしまう自分が寂しい。つまり、卒業論文以前の文章力そのものに課題がある学生が少なくはないからだ。
 もち論、本人が一番悔しいのはわかっている。せっかく良い資料やデータを持っているのに書きたい事が書けないのだから、そりゃあ悔し涙の一つも出てくるだろう。しかし、それは一体、誰のせいなんだろう。1~3年次に、何を学んできたのだろう。
 言いたい事を他人にわかり易く説いて聞かせるための最低限の文章力は、「読む」「書く」のくり返しの中でしか身につかない。いくら『論文・レポートの書き方』などという本を読んだところで、文章に対する苦手意識が消え、良い文章が書けるようになるわけはない。
 そのことを、卒業論文作成段階になってやっとこ知ったとしても遅い。
 幸い、くぼた組のメンバーには、比較的「書ける」人がそろっている。しかし、上を見れば切りがない。「もっと良くしよう!」という思いで彼女たちは今、ウンウン言いながらキーボードに向かっている(と、信じている)。

書きたい事や書く時間は作るものでは? by 久保田

2016-12-26 07:00:28 | 自由投稿
 よく「書きたい事がないんですよ~」とか「忙しくて書く時間がな~い」とか言う人がいるんだけど、「本当にそうか?」と思ってしまう。
 世の中の動きにちょっとでも目を向けていれば、例えば、大火事だの子どもの貧困だの紅白歌合戦だのベルリンでのテロだの、何かを考えるネタはゴロゴロしている筈なんだけどな。
 先日ある授業で、「プーチン大統領の来日」を知らない人がけっこういることを知り、愕然となった久保田。
 PPAPはわかるのに、TPPが何だか知らないというのは、あまりにも「現代」に対する興味関心が低過ぎないか。そして、ちょっと古いが「そんなの関係ねえ!」とか言い続けるのだろうか。
 「書く時間がない」と言うけれど、そんなもんは作るもんだと思うな。冷静に考えれば「観なくてもいい」「観てもしょうがない」TV番組とかドラマとかありませんか。そこを何とか節約すれば、400字原稿を一本書くくらいの時間は作れませんか。
 と、いくらしつこく呼びかけても、無反応・無表情・無返信の人があまりに多く、時々、ものすごく虚しい気持ちになる。
 ま、自分は自分だから勝手にやっていれば良いのだろうが、一応これでも大学教員だからねぇ。ちょっとは何かを伝えなければいかんよね?
 
 

「子育て支援」を再考する by 久保田

2016-12-26 03:26:46 | 自由投稿
 少々疑わしいが、「三組に一組が離婚する」時代だそうだ。それはそれで、オトナ同士のよんどころない事情によるだろうから、取り立てて「もっと我慢せい!」等のつまらぬ説教をする気はない。
 ところが、「一人親(片親)家庭が約2割」「6~7人に一人の子どもが貧困家庭に育つ」と聞かされては、「子育て支援」論を専門とする者として、これは何か一言申し上げねばならないだろう。
 児童福祉関係者に限らず、「こどもの最善の利益」は、父母(保護者)・地域社会・国全体にとっての最重要課題だ。次世代社会を担うのはまさに彼らで、その彼らへの福祉は、われわれにとって重要な先行投資だからである。
 語弊もあろうが、「子育て支援」は親を甘やかすためのものではない。父母たちの便宜が最優先されるべきではなく、「こどもの最善の利益」が第一だ。私たちは再度、「子育て支援」として何をすべきかを考えよう。子どもたちの生活の質を確保するための第一歩は、彼らを育てる父母やオトナたちの質、子育て力の向上に他ならない。

ハイターイ!沖縄滞在記:9日目(最終日) byおりさ

2016-12-24 22:23:45 | 自由投稿
9月18日(日)
 朝目が覚めてすぐ今までとベッドが違うことに気づき、私は那覇にいるんだとぼんやりした頭で思い出した。そしてもう子どもたちには会えなくて、夕方には飛行機で出発してしまうのかと思うととても悲しかった。
 ホテルで一人時間になるまで待っているのも勿体ないし、待ち合わせもあったので荷物を持って外へ。昨日那覇まで送ってくださった先生と国際通りを歩く約束をしていたのだ。たくさんのお店が軒を連ね、私は手あたり次第興味の引かれた所に入っていく。定番お土産のちんすこうや紅芋タルトは勿論購入したのだが、味がチョコレートやら抹茶やらと誘惑ばかりでなかなか決まらなかった。そしてまんまとお店の思惑通りいくつも買ってしまうのだ。私はいつかその誘惑に打ち勝つことができるのだろうか。多分無理だ。
 途中で、ブルーシールという沖縄のアイスを食べた。こちらもまたとにかく味の種類がたくさんあり、結局何を選んだのか忘れてしまったが、とても美味しかったことは記憶に残っている。この日もかなり気温が上がって暑くなったので、アイスの冷たさが火照った身体を中から冷ましてくれて最高だった。
 夕方、飛行機の時間に間に合うように空港へ向かい、今日一日一緒にお店を回ってくださった先生と別れを告げる。そしてとうとう搭乗時間、と思いきや、飛行機が遅れているとのことで予定の時間より遅れることが判明。時間つぶしをしようにも荷物が多すぎてそれほど身動きが取れない。何もしないままだらだらと時間が過ぎていき、今度こそ乗れる!と思ったらまたもや時間が延びる。これは、私がまだ沖縄にいたいという気持ちが影響してなのだろうかと感じてしまった。最終的に予定の時刻から1時間10分遅れて飛行機は出発し、私は帰路に着いた。

 これで私の沖縄滞在記もようやく終わりを迎えた。長期間受け入れて下さった保育園の園長先生、保育士の方々、そして色々と援助して下さったゼミの先生には感謝してもしきれない。
 実はすでに、来年3月に再び保育園を訪れたいとお願いをしていて、その計画が始まっている。まだまだ先の話なのだが本当に楽しみだ。勿論また滞在記を書くつもりだ。
 最後に、ずいぶんと長くかかってしまった沖縄滞在記を見て下さりありがとうございました。

期間限定 わが家のクッキー by あやの/久保田リライト

2016-12-23 16:48:10 | エッセイ
期間限定わが家のクッキー by あやの  
 クリスマスが近づくと、我が家ではジンジャーマンクッキーを作る。「昔絵本で読んで憧れた」という西洋かぶれの母が「サンタさんにあげよう」と言い、当時幼稚園児だった私と兄を巻き込んで始めた。それ以来恒例行事となり、15年経つ今でも作り続けている。
 こうして焼いたクッキーは、24日の夜、皿の上に5枚並べて手紙を添え、ツリーの足元に置いておく。すると不思議なことに、朝になると4枚に減り、手紙の隅には「ありがとう」と書き足されている。幼い頃は、家族4人分残されたクッキーを食べながらプレゼントを開けるのが嬉しくて嬉しくて堪らなかった。
 しかし数年前から製作者は私だけになり、サンタさんも引退してしまった。家族や友人のためにせっせと焼いていく様子はさながら工場のようで、気がつけば巨大な缶はジンジャーマンで溢れかえる。生姜とシナモンの香りに包まれながら、今年もサンタ不在のクリスマスを迎える。

↓ ≪久保田のリライト≫
 わが家のクリスマスと言えば、ジンジャーマンクッキーである。「昔絵本で読んで憧れた」という西洋かぶれの母が、「サンタさんにあげよう!」という一言で幼稚園児だった私と兄を巻き込み、かれこれもう15年も続いてきた。
 クリスマスイブの夜、5枚のクッキーが手紙とともに皿に並べられ、ツリーの足元に置かれる。すると、翌朝にはなぜか1枚減り、手紙に「ありがとう」と書き足されてあるのだ。私たちはニコニコ顔で家族4人分のクッキーを食べ、サンタのプレゼントを楽しんでいた。
 近年、クッキー焼き職人は私だけになり、いつしかサンタもいなくなった。だが、家族や友人用のクッキー焼き場はまるで工場のようで、すぐに巨大な缶がジンジャーマンで溢れかえる。
 生姜とシナモンの香りに包まれ、今年もわが家にはサンタ不在のクリスマスがやって来る