おそらく、今日と明日は「平成の最後」「令和の初日」で、日本中がまたまた大騒ぎするのだろうな。
何がおめでたいのか、何が嬉しいのかもよくわからないままに、いつものから騒ぎが起きるのだろう。今日から明日への午前0時直前には、これまたカウントダウンなんかしてしまうのだろうな。お正月とほぼ同じ感覚で「令和」を迎えるから、勘違い人間たちの中には「元日」とか「元旦」とか言っちゃう人も出てくるだろう。
昭和が平成になった時と同じように、またもや国民的議論が湧くこともなく平成が令和に変わる。「西暦で統一してはどうか」とか「天皇・天皇制を継続するか」等の話し合いがないまま、なし崩し的・怒涛のように・まるで土砂崩れのように時代の呼び名が変わるわけだ。
日本国憲法第1条にある「天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づく」という主権在民・国民主権の大原則は、今回も再びズルズルとスルーされてしまった。
天皇・天皇制に絶対反対!と言うわけではない。それをキチンと議論し、国民的合意を形成する必要があるのではないかと思うわけだ。「国民全員が」などという神話や幻影を信じるほど、僕たちはおめでたくはない。どのテレビ局も、どの政党も、どの宗教も、こぞって本当に「令和」を歓迎しているのだろうか。
何がおめでたいのか、何が嬉しいのかもよくわからないままに、いつものから騒ぎが起きるのだろう。今日から明日への午前0時直前には、これまたカウントダウンなんかしてしまうのだろうな。お正月とほぼ同じ感覚で「令和」を迎えるから、勘違い人間たちの中には「元日」とか「元旦」とか言っちゃう人も出てくるだろう。
昭和が平成になった時と同じように、またもや国民的議論が湧くこともなく平成が令和に変わる。「西暦で統一してはどうか」とか「天皇・天皇制を継続するか」等の話し合いがないまま、なし崩し的・怒涛のように・まるで土砂崩れのように時代の呼び名が変わるわけだ。
日本国憲法第1条にある「天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づく」という主権在民・国民主権の大原則は、今回も再びズルズルとスルーされてしまった。
天皇・天皇制に絶対反対!と言うわけではない。それをキチンと議論し、国民的合意を形成する必要があるのではないかと思うわけだ。「国民全員が」などという神話や幻影を信じるほど、僕たちはおめでたくはない。どのテレビ局も、どの政党も、どの宗教も、こぞって本当に「令和」を歓迎しているのだろうか。