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おじいクボマ~ル@青空保育園 since 2023

定年前に大学教授から保育園長に転身した「おじい」のブログです。誰にでも開放していますので、ご投稿も歓迎です!

歩く「多臓器不全」:定年前リタイアの理由(1)

2022-12-06 15:09:17 | エッセイ
 次年度のゼミ生募集をしないことからおわかりかと思うけれど、おじいクボマ~ルは 2023年3月末をもってリタイア(退職)します。実は、本当は定年までもう二年あるんだけど、それを残しての「一抜~けた」です。
 リタイアの理由は大きく二つあり、一つは身体的・健康的限界であり、もう一つは精神的・モチベーション的な限界です。誤解されたり邪推されたりするのは嫌なので、先ずは一点めから説明します。
 仲良しのドクターから「歩く『多臓器不全』」と呼ばれてしまっているオジイは、外面が明るそう・元気そう・活動的そうに見えても、身体のあっちこっちがズタボロ状態なんですよ。これまでにおかしくなってしまった部分をあげてみると、膵臓・左大腿筋・両眼底・心臓(冠状動脈)・腎臓・内耳などであり、もしかするとまだまだ未発見の「ヤバい!」が見つかるかもしれません。
 大学院を修了し社会に出て以来、思えば常に車による遠距離通勤(単身赴任も含む)を続けてきました。例えば、浜松大学教員時代は、片道 150キロ超を週に四回程度通っていました(我ながら驚く!)。そして、やれニュージーランドやらネパールやらカナダやらへ何度も出かけ、あちらこちらの子育て支援関係の会議に顔を出したりしていました。疲労が蓄積しないわけがないでしょ?
 近年の新型コロナウイルスのパンデミックによる「自宅待機」で、歩かなくて済む自宅引きこもり生活を強いられている二年間で、足腰がメッキリ弱りました。自分で意識して軽運動でも散歩でも続けていれば良かったのですが、対面授業に代わる遠隔授業のためのテキストを必死こいて書き綴っていたら、あらまあ、見事なフラフラ爺さんになってしまったわけですね。
 昔の僕を知っている人が見たら、間違いなく「ど、どうしたの?」と言うくらいの老衰ぶりだと思います。車の運転は何とかできますが、それとて64歳にもなれば自分でも「怖いなあ」と思うようになり、とても片道約90キロの通勤には耐えられなくなりつつあります。「自分は大丈夫!」と思いたいんだけど、冷静に考えると「止めた方が良いな」という判断に行きつくんですよ。
 というわけで、これが第1早期退職の理由です。大きな事故やもっと大きな健康上のトラブルに遭わないうちに、リスク回避しなければならないと思うわけですね。


64歳の「ちむどん」ロス by おじいクボマ~ル

2022-10-26 16:20:56 | エッセイ
 お恥ずかしながら小生、64歳にして「ちむどん」ロス状態である。
 いやいや、仲間由紀恵さんをはじめとする素敵な女優さんたちを毎朝テレビで観られなくなり、寂しくて仕方ないというわけではない。
 否、それも少しはあるんだけれど(上白石萌歌ちゃんが一推しだった)、むしろ、「ちむどん」から「ヤンバル村(架空)の人間関係や歴史文化」などを学ぼう・楽しもうとしていた僕にとっては、それとの接点を失くしてしまったのがショックなのかもしれない。
 低視聴率やかなりがさつなストーリー展開など(極めつけは最終回のタイムスリップだろう)に対する批判は少なくなかった(むしろボロクソだった)が、それはシナリオのせいであって、ええい、そんなことは「何くるないさ~」なのだよね。僕がこよなく憧憬するヤンバルの生活や文化や人々が、そこに確かにあったのだ。夢の「ヤンバル村」が消えてしまった。
 本当は、50年前の沖縄本土返還や第二次世界大戦末期の沖縄地上戦やウチナーンチュに対する本土民のヘイトや差別問題も描かれなければならなかったのあろうが、残念ながらそれは次作への引き継ぎとなったようだ。
 仲間さんが演じる母親が、暗いガマの中でひっそりと遺骨探しをしている短いシーンは、僕の記憶の中にハッキリと残ってい。でも、それを表に出してしまったら、ドラマが一気に暗くなりそうだしなあ・・・
 一つだけ知りたいのだが、昭和50年代頃の沖縄と東京の間の運賃というのは、いかほどだったのだろう? 飛行機でも船でも良いんだけど、そんなに気軽に行ったり来たりはできなかったはずだが・・・


アントニオ猪木さんなの? by おじいクボマ~ル

2022-10-02 11:24:59 | エッセイ
 最近、立て続けに二つの巨星が落ちた。三遊亭円楽さんとアントニオ猪木さんだ。言うまでもないけど、円楽さんは落語界の至宝だし、猪木さんはプロレス界のレジェンドだ。
 円楽さんは「笑点」を通じて楽太郎さん時代から知っているし、猪木さんはプロレス全盛期に「コブラツイスト」だの「卍固め」だのを真似して、柔道部の友だちと遊んだもんだ。
 このお二人の訃報に対するテレビの反応に、大きな差があった。
 ここから先は個人的な好みや趣味の問題だから賛同していただく必要もないのだが、テレビはほとんどが猪木さん関係の映像を流していた。
 「1・2・3、ダア~」は言うまでもなく、「闘魂注入」と称する公認的暴力行為ビンタ、「元気ですか~?元気があれば何でもできる!」とか、とにかく猪木さんは色々な事で目立っていたからだろうけど、僕はそんな猪木さんの暴力的魅力より、円楽さんの笑いの裏にあるシニカルな社会風刺や政治批判の方が好きだった。正直言って、ビンタされて「ありがとうございましたっ!」などと言っている人たちの気持ちが理解できなかったのだね。「馬鹿じゃないの?」とすら思っていた。
 スポーツ平和党とやらを立ち上げて政界に進出し、周囲に構わず自分勝手に北朝鮮との交流を進めたのにも「頭が悪い人だなぁ」と思ってしまったし、スポーツを国際交流の手段にしようとした発想や努力はわかるけど、結局彼は何を残してくれたのだろう。横田めぐみちゃんは、まだ帰ってこれていない。
 確かに、円楽さんには猪木さんのような表舞台での派手さはない。だけど、僕には円楽さんの言葉の方がずっと重く大事に感じられる。今日は日曜日、夕方の「笑点」が、円楽さんのご逝去をどのように報じるのか、静かにテレビの前で待ちたい。



「ちむどんどん」が終わってしまった by おじいクボマ~ル

2022-10-01 15:06:18 | エッセイ
  朝のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」が、先週金曜日(30日)に最終回を迎えた。勝手に「次の故郷」と決め、本気でリタイア後の移住まで考えているヤンバルが舞台だから、64歳は今、ガラでもなく「チムドンドン」ロスに陥っている。
 「ちむどんどん」に夢中になってしまったのは、ウチナーのどこか懐かしい風景が見られるのはもち論だけど、「でーじーまーさん」「アキサミヨー」等のウチナーグチが聞けるし、それより何より 1972年の本土並み返還頃のウチナーの様子と、色々な事情で本土(今回の場合は川崎市鶴見区)にやってきたウチナーたちの生活や苦労に焦点が当てられたからだ。
 とりわけ、おそらく日本で一番結束が固いと思われる沖縄県人会のウチナーンチュ同士の助け合い(ユイマ~ル)が描かれていて、今でも日本でありながらどこか日本から仲間外れにされている(普天間基地の問答無用的辺野古移転が典型だろう)ウチナーの立ち位置を考えるヒントをもらった。ちなみに、おかげさまで個人的には、かつての夜間学校での教え子であるギマノリコ(儀間則子?)さんの記憶まで蘇らせてくれ嬉しかった。
 ただ、ウチナーが好き過ぎるというか思い入れが強い分、ウチナーンチュの人となりの描き方が大げさ過ぎなかったか?と思った事が何度かあった。長男賢秀くんの軽薄短絡思考や、ヒロイン暢子の周囲を気にしない「思いつき」癖などは、本来個人的性癖なんだろうけど、まるでウチナーンチュの多くがそうであるかのような描き方のようで少なからずヤキモキしながら観ていた。
 そして、残念というか半ば茫然としてしまったのは最終回の「大団円」だった。母親陽子さんの誕生日に引っかけて、多くの出演者が勢ぞろいするのはよくある話だろうが、時間が一日で一気に現代にまで飛んでしまい、昨日は瀕死だった三女歌子ちゃんのその後や、一言も台詞がなかった謎の青年(笑)マモルちゃんのその後が何もわからないままに、「ある家族の物語でした~チャンチャン」みたいなエンディングで、期待していたオジイは、「オイオイオイ、ちょっと待てやあ」の気分になったわけ。
 まあ、この半年間、毎朝オジイを楽しませてくれた「ちむどんどん」に、ちょっと複雑な思いでお礼を言わなくちゃいけないね。

 

たしかギマさんという名前だったなあ by おじいクボマ~ル

2022-09-23 11:11:57 | エッセイ
 64歳のオジイさんが、ガラでもなくNHK朝の連続テレビ「ちむどんどん」を観続けていて、そこに出てくる三姉妹の三女/歌子ちゃんを眺めているうち、35年程前に東京は板橋にあった夜間制の保育士養成校で知り合った、ウチナー出身の学生さんのことを思い出した。確か名前は、ギマノリコさんだったと思う。さすがに漢字までは忘れたけれど、儀間則子さんだったような気がする。
 この学校は、保育士(当時は保母と呼ばれていた)や幼稚園教諭を目指す学生たちが、昼間の仕事を終わり夕方から集まってくる所で、今思うと、学業成績はともあれ、あの頃の学生たちの方が夢に向かってより必死に勉強していたように思う。これはおそらく、勤労学生連に対する判官贔屓かも知れないけれど。
 そんな中にギマさんがいた。珍しい名字だから出身を尋ねてみて、彼女がウチナーンチュだと知った。島内のどこの出身だとかどういう事情でとか、そんなプライベートな事はまったく知らないし、尋ねるのも失礼だろう。
 しかし、それにしてはどうしてまた、ギマノリコさんを思い出してしまったんだろう。決して目立つ女性ではなく、むしろ、引っ込み思案そうな静かな感じな女性だった。
 彼女はその後どこへ行ったのだろう。そして、今は何をしているのだろう。いかんいかん、ちょっと気になってきた。調べようにも調べる術がないのだが、そんな事を考えると、何だかとても美しく素敵な女性であったような気がするから我ながらおかしい。
 こんなアホ噺を書いていたら、もう一人、岩手だか青森だか出身の昼間は看護師さんだった小柄な女性を思い出してしまった。彼女の事は次に書きたい。


ウンケー&ウークイ by おじいクボマ~ル

2022-08-20 15:11:51 | エッセイ
 「ウンケー・ウークイ」というウチナーグチを辺野古の友人から教わったのは、何年前だったか。そして、ウチナーが誇る代表的文化のエイサーの道ジュネーが、単なる祭り太鼓やお囃子の巡回でなく、現世に戻ったご先祖連を慰め楽しませるためのものと知ったのも同じ頃だった。
 もち論、私が済む静岡にもお彼岸やお盆はある。しかし、毎年この時期にウンケーやウークイの声を聞くと、自分と先祖連との繋がりの薄さを強く反省させられる。私はシーミーの存在すら知らなかった。
 仏壇に毎日の線香もあげず、墓参すら二・三年に一度の自分が、先祖に対して特別淡白だとは言いたくないが、トートーメーの前に一族郎党そろって先祖と飲食を共にするというウチナーンチュの文化は、「面倒臭い」を超越して「羨ましい」限りだ。
 ウチナーンチュのこの美ら文化は、いつまで続くか。続けられるのか。希薄化した自分の先祖連との繋がりを反省しながら、傍観者として観察し続けたい。


 

通夜式と告別式までの間に by おじいクベマ~ル

2022-07-22 11:39:06 | エッセイ
 一昨年の夏、親父が急逝した時は忙しかった。午後2時過ぎに死亡が確認された翌日にお通夜、その翌日が告別式だったから、何も考える暇もなく「あれよあれよ」で火葬まで進行してしまった。気がついたら終わっていたという感じだ。
 今回、お袋が亡くなったのは水曜日早朝(午前1時半頃)で、通夜式が金曜日の夕方、告別式が土曜日の午前中。よく言えば「ジックリ考えて準備ができる」なんだけど、今度は逆に時間的余裕があり過ぎて、今、それを持て余している自分がいる。
 故人の長男(喪主)という立場上、通夜式や火葬場でのご挨拶をしなければならず、何をどう話したらいいものかがわからない。さすがにお葬式なんだから、固く真面目な言葉や話にしなくちゃいけない気もするけれど、それはどうにもガラに合わない。いつもの「面白ければいいんでしょ?」主義を貫いてもいいものやらどうやら。葬祭会社の方からいただいたキチンとした文例を、そっくり真似するつもりはない。半端ながらも、文筆業としてのプライドが許さないのだ。
 というわけで、二回分の挨拶は「ぶっつけ本番&出たとこ勝負」に打って出る事にした。お寺さんと参列者に対するお礼さえ落とさなければ、おそらく怒られる事はあるまい。こんな不真面目な喪主だけど、お袋なら「しょうがないねえ」と、許してくれると思う。
 僕は、お袋から何を一番に学んだのだろう。「他人との約束の時刻や期限を守る」事だと思っている。お袋は、やたらと忙しない人だった。約束の10分や15分前には必ずそこにいた。「遅れるよりは早く着いていた方が良い」が口癖だった。そうだ、この事を紹介しよう!と、今、思いついた。
 

大丈夫かなあ、チムドンドン by おじいクボマ~ル

2022-07-14 06:24:34 | エッセイ
 学期末試験が25日に迫ってきて、既に問題や解答用紙の準備も万端なんだけど、どうも受講生連の中に緊張感というか「久保田と勝負じゃあ!(笑)」感が足りないような気がする。
 予告してある通り、講義の全内容・テキストの全記述内容を出題範囲としているから問題分量も多いし、全問適語補充形式だから解答時間も多くなる事が予測される。とても、一晩や二晩のやっつけ復習では歯が立たないのではないか?と、問題を作った人間としてチムドンドンしている。
 試験をする方が緊張してどうする?、とも思うんだけどね。
 大学で単位を取る事、とりわけ、理論系科目の単位を奪取する事の意味や大変さを、僕の試験で学んでほしいと思うのだ。


日本人の精神的成熟度が試されるかもしれない by おじいクベマ~ル

2022-07-09 10:11:24 | エッセイ
 昨日昼過ぎから、すべてのマスコミは奈良で起きた大事件のニュースでもちきりだった。安倍さんが元海上自衛隊員だという男の凶弾に倒れ、その日のうちに亡くなったというあり得ないような事件だ。
 その後のマスコミは、今の今まで「アベノマスク」だの何だのと彼の事をさんざん揶揄しておきながら、今度は一転、彼の政治的功績を礼賛する報道ばかりしている。
 もち論、亡くなった方を冒涜したり攻撃したりする事は控えるべきだが、こうも見事な「掌返し」を見ると、マスコミの浅はかさというか軽薄さに腹が立つ。そっちの方がほっぽど、亡くなった方に失礼なんじゃないか。
 さて、今一つ気になることがある。それは僕たちの中に潜在する「弔い合戦」的思考が、間近に迫った選挙の結果を奇妙な形で動かしはしないかという事だ。急逝した議員の奥さんやら弟やら息子やらが、その資質能力に関係なく
立候補したりすると、「可哀想だから」に突き動かされ、ついつい投票してしまうという場面を今まで何回見てきただろう。
 個人としての安倍さんを悼み、ご冥福を祈る気持ちと、彼の政治的信条に同意するという事は明らかに次元が異なるのだが、今度の選挙での一票を、「お香典」と勘違いする人たちが少なからず出てくるのではないか。とりわけ、自分(64歳)も含めた高齢者が心配だ。
 ここんとこの立て分けができる・できないが、日本人の政治に関する精神的成熟度を示すように思われるんだけど、どうだろう。まさに、「それはそれ・これはこれ」という事なのだが、田舎に行けば行くほど義理・人情・地縁・血縁・人間関係の柵(しがらみ)で投票先を決める人が多いような気がする。僕の要らぬ懸念や邪推であれば良いのだが、そう思うと明日の選挙結果が違った意味で楽しみになる。「憲法改正」論議に、浅薄な弾みがつかなければ良いのだがなあ・・・

おやおや、今夜は晴れるんかい? by おじいクボマ~ル

2022-07-07 11:35:01 | エッセイ
 「七夕」といえば、天気が悪くてせっかくの二人のデートを地上から盗み見できない年が多いんだけど、どうやら今日はこの辺も晴れるらしい。
 とは言っても、最近では周囲が明る過ぎて肝腎な milky way が見えないじゃないか! 本来だったら僕たちの頭上にいつも横たわっている筈の「天の川」が見えないんだから、二人も正々堂々と会ってイチャツケば(笑)良いのだ。
 「天の川」が見えなくなったのは、「蛍」が見られなくなったのと同じ時期だろうか。田舎に住んでいる僕でも、自然に飛び回る蛍ちゃんをもう何十年も見ていないなあ。そもそも、田圃も用水路もなくなっちゃったしなあ。
 30年ほど前、まだ可愛かった息子を連れてニュージーランドへ行った時、初めて来た全天的な「天の川」を「遠方の山火事の煙」と間違えたのは僕だった。いやはやお恥ずかしい。
 ホストファーザー(高校の理科教員)に、「あの煙は何ですか?」と尋ねてしまい、「おや、北半球にも『天の川』はあるんじゃないの?」と言われて初めて、「天の川」の実物を観た。
 その後、はたして何回、「天の川」を観たのだろう。長野県八ヶ岳の麓で、沖縄県山原の森でくらいしかないかもしれない。そもそも空を見上げる事自体、回数が減った。
 あなたは「天の川」を観ますか?


それにしても by おじいクボマ~ル

2022-07-06 13:43:10 | エッセイ
 何という脆さ、弱さだったのか。大手通信会社KDDIがやっちまった機器故障から生じた通信障害の大きさと長さの話である。
 僕はスマホにそれほど依存している人間ではないので、「おいおいまたかよ、しょうがねえなあ」程度のブー垂れで済んだけど、中には死に物狂いで目の色変えて右往左往している人もいたようだ。たかが便利なだけの(時々面白い)機械なのにねえ。
 ネットのニュースを読もうとしたら上手く表示されず、「あらら」とは思ったけど特段慌てることもなく、テレビのニュース画面へと座り場所を変えただけだった。
 何てことあない。スマホ決済もやってないし(そもそもできないし)、ネットでの買い物なんかしないし、強いて言えば、孫連とのビデオ通話が上手くいかなかっただけじゃん。
 このくらいで死ぬ事ぁない、騒ぐな!と思ったんだけど、近くにいた女の子が「死んじゃう~」とか言っていたので、大変な人には大変なんだなと思った。たかがスマホ、されどスマホ。やっぱりスマホなのかなあ。


僕たちにとってのウチナーって by おじいクボマ~ル

2022-07-06 13:29:31 | エッセイ
 過日、6月23日は「沖縄慰霊の日」であった。本土に攻め込まれないための防衛最前線にされてしまったウチナーが、県民の4人に一人の犠牲者を出しながら、哀しくも米軍の前に完全屈伏した日だ。
 今年も、盛大に慰霊祭が行われ、玉城デニー県知事さんの挨拶には日本語・ウチナーグチ・英語が混じっていて、いかにもウチナーらしいスピーチで、聴いていて胸が熱くなった。
 しかし、この日を知る日本人はわずかに四分の一。ヒロシマ・ナガサキ、そして、8月15日は知っていても、わが国で唯一の地上戦が行われたウチナーの日を知る人がそれだけしかいないのだ。守ってくれるはずの日本軍にすら見捨てられ、事もあろうに同じ日本人から集団自決まで迫られたというウチナーの信じ難い歴史を、僕らはあまりに知らなさ過ぎるのではないか?
 戦争が終わったのは8月15日ではない! 日本がウチナーを冷たく見捨てた6月23日だ。ウチナーに何人かの友人がいて、少しずつ彼らの歴史や文化や言葉を学ぼうとしている僕には、ウチナーに対する僕たちの「見て見ないふり」がとても嫌だ。ウチナーンチュたちに、心底申し訳ないと思う。
 僕のウチナーのめり込みはきっと、この「申し訳ない」から生まれていると思うのだ。


ビチョク村へ行く途中で出会ったお爺さん by おじいクボマ~ル

2022-07-06 07:04:35 | エッセイ
 明け方の中途半端な微睡みの中で、唐突に一人のお爺さんの姿が浮かんだ。ションベン臭い毛布にくるまり、悲しそうにこっちを見つめている。
 当方、ネパール語が理解できないから、何をつぶやいているのかはわからない。でも、何となく彼が言いたい事はわかった(ような気がする)。「早く殺してくれないか」
 ネパールのポカラからおんぼろバスで一時間半、途中から山道を歩き始めて二時間くらい、目標のビチョク村へ行く途中の小さな集落に彼はいた。あるお宅の縁側みたいな場所に放置されていた彼は、それこそ垂れ流し状態のヨレヨレだ。病気なのか怪我なのか、それとも単なる老衰なのかはわからない。
 一緒に山道を歩いてくれている友人の伯父さんなのだという。久しぶりの再会だから嬉しい筈だろうに、友人の眉は曇っていた。明らかに衰弱し、静かに死を待っているのが誰の目にも明らかだからだろう。哀し気に老人を見つめている。老人が突然、右手をあげて自分の首をかき切る動作をした。懇願するような瞳が少し濡れていたかもしれない。
 ネパールの山村には、病院も診療所もない。医者も看護師さんもいない。病気やケガをすれば、それはそのまま「死」へと繋がる。救急車やドクターヘリなんぞ、1㎜だって望めない。「早く殺してくれないか」
 友人は、(おそらく)「何を言ってんだよおじさん、しっかりしなよ」と言った。それを受けて老人は、フフッと力なく笑った。幻はそこで終わった。
 同じように病の床にある老母(91歳)は今、いったい何を思っているんだろう。「もういいから早く休ませてほしい」と思っているのかもしれない。「いつまでも長生きしてほしい」と言うのは簡単だけど、ひょっとすると当の本人は「もういい」と思っているのかもしれない。
 僕ならそう思ってしまうだろうなあ、と、奇妙な納得をした。


残された時間の長さ from おじいクボマ~ル

2022-07-04 15:44:01 | エッセイ
 「肺に水が溜まっている」とかで救急搬送されたお袋が(91歳)が、今週の金曜日に自宅に戻る。「心不全」のせいだと思っていたが、実はもっと深刻な病気であることがわかり、高齢のせいもあって、薬物治療にしろ外科手術にしろ、既に手が付けらる状況ではないのだそうだ。ドクターは、「せめて『痛み』や『苦しみ』がないようにする事しかできません」と言う。どう考えても、うちのお袋に残されている時間は長くない。数日単位かもしれないし、数週間かもしれない。月や年という事はないだろう。
 ドクターは、「告知はしません」と言う。僕ら家族も、おそらく真の病名と現状を語る事はないだろう。そんな時、本人は何を思っているのだろう。僕は、「わかっている」のではないかと思うのだ。きっと、人間にはそういう能力があるのだと思っている。だから、告知なんかされなくても、「あ、ここまでかな」と思うのだと考える。だから、お互いに余計なことは言わず、黙っていつもの会話を続けていよう。
 近々、目の前で一つの命が消える。僕を生んでくれた人の命が終わる。そうして、世代の歯車が一つ、コトンと動くのだな。




「ね~え~」について by おじいクボマ~ル

2022-06-12 15:20:18 | エッセイ
 JD(女子大生)連から学べる事も、決して少なくはない。とくに言葉がそうだ。今現在生きている人間が使うものであり、時代や文化や社会の移ろいの中で変化するものだから、その動きには油断がならない。
 最近、オジイ64歳 孫6人が学ばせてもらった新語(オジイにとって)の一つが「ね~え~」である。決して、甘えた感じと声色で言われるものではない。それなら良いんだけど・・・(笑) この場合の「ね~え~」は、どちらかというと怒気を含むもので、「ちょっとぉ、何すんのよ」「やめてよ、ジジイ」という意味で用いられる。
 先日、先を行く某学生を呼び止めようと少し大きめの声をかけた。
 「~くう~ん」「ね~え~」であった。「恥ずかしいからやめろよな」という冷たい視線が返ってきた。
 もう一つが「無理っ!」である。無論、「できません」という意味なのだが、実際の場面ではそれ以上の意味が混じる。「できねえんだよ」「そんな事を言うなよ」なのだ。
 例えば、「来週までに簡単でいいからレポートを書いてきてね」「(即座に)無理っ!」というわけだ。いつもは Yes なのか No なのか Again pleaseなのか I don't know なのかもわからないようにモゴモゴ言っているのに、いやはや早い早い反応が(笑)。「無理っ!」
 「ね~え~」にしても「無理っ!」にしても、音的に短いがゆえに意味の密度が大きくなる気がする。「お願いだから、もっと優しく言ってくんない?」と、小心者のオジイは思うのだ。