相模女子大学子ども教育学科くぼた組ブログ since 2012

久保田ゼミの学生&担任クラスのメンバー、その他に開放! 投稿も大歓迎です!

どっこい「くぼた組」は生きてます by おじいクボマ~ル

2022-05-21 06:43:33 | エッセイ
 今度の日曜日のオープンキャンパスで、二年ぶりの「公開ゼミ」を開けることになった。要するに、卒業研究の構想(3年生)や進捗状況(4年生)のプレゼンテーションなんだけど、新型コロナのせいで「人にわかり易く話す」という機会が作れなかったので、このチャンスは指導教員として嬉しい。
 あ、もち論、引っ込み思案(?)で慎ましやか(?)なゼミ生たちはたじろいでますよ(笑)。でも、「研究論文」それ自体が第三者に「わかり易く説いて聞かせる」行為なんだから、そりゃあもう練習しておかないと書けないよね。
 で、「プレゼン」と言うとすぐ、今の若い衆は「パワポ?スライドショー?」と騒ぎ出すんだけど、その前に「言葉で伝える」ことの大切さをオジイは伝えているんですね。「プレゼン=パワポ」だと勘違いしている人がいるし。
 パワポなんか使えるに越したことはないだけで、マストアイテムじゃないしなあ。話せば足りることを小さな文字でゴチャゴチャと書き込んであるだけのスライドは、見せられる方に苦痛を与えるし。
 というわけで、「くぼた組(ゼミのこと)」メンバーたちがどんなプレゼンをしてくれるか、ジイさんはとても楽しみなのだねえ(笑)。

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今度は「猿痘」だって! by おじいクボマ~ル

2022-05-21 06:29:25 | 日記
 コロナウイルスに「新型」が現れ、あれよあれよという間に世界を席巻してしまったと思ったら、今度はなになに、「サル(猿)痘」という病気の姿が見えてきたとか。
 乳幼児の急性肝炎の話もあって、「どうしちゃったんだ」「どうなっちゃうんだ?」という不安が募る。もち論、それと同時にウクライナ情勢を始めとする世界不安も気になるし、ううむ、胃が痛くなるのは当然だな。
 二ヶ月前くらいから何度か、就寝中に突然の胃痛と吐き気で目が覚め、慌ててトイレへ駆け込み水分(胃液ではない)を激しく嘔吐するという事があって、いつもと違う胃の調子に不安をいだいている。
 何しろ食後かなり経ってからの吐き気なので、吐こうと思っても水分しか出てこないのが辛く厳しい。「なんじゃこりゃあ~」と言いつつ、ベッドに戻る。そして、ちょっとして再び目が覚める。これはなかなか辛い。
 というわけで、珍しく自分から胃カメラとエコーの検査を受けることにした。
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嫌な予感はしていたんだけど・・・ from おじいクボマ~ル

2022-05-16 06:09:22 | エッセイ
 「何の制限もないGW」「行楽地に人手が戻る」等の言葉で、嫌な予感はしていたんだけど、案の定、先週末くらいから「感染した」「濃厚接触者になった」という連絡メールが増えてきた。今朝も既に、二人から「感染しましたので授業を休みます」のメールである。
 「お大事にどうぞ」としか言いようがなく、重症化しない事・後遺症が出ない事を祈るしかない。僕の科目には「出席点」がないから、「どうぞ心おきなく休養を」とのメッセージを返す。
 目に見えないウイルスのせいなんだから、「感染しちゃった」事を責め立てる気はサラサラない。自宅外に出れば、否、出なくたって感染は「明日はわが身」だからだ。ただねえ、「何の制限もしない」からと言われて、ホイホイと無防備に出歩く人たちには静かな反感を覚える。もうちょっと我慢できないか?
 確かに、マスクは面倒だし、暑苦しいし、顔が見えないからコミュニケーションも取り難い。しかし、64歳の基礎疾患持ち(それも重症の)に言わせてもらえば、「もっと臆病になろうよ!」なのだ。若くて健康で元気な衆だって感染するのだから、オジイが感染したらたまらんぞ。ワクチンは三回打ったけど、その効果については 100%信頼できるとは限らん。だからこそ、「臆病ノススメ」なのだ。
 大学では「対面」授業が急速に復活しつつある。大丈夫なのか、本当に?

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隠居生活はウチナーのヤンバルで by おじいクボマ~ル

2022-05-15 17:11:47 | エッセイ
 アメリカ・カナダ・パナマ・ニュージーランド・オーストラリア・大韓民国・中華人民共和国・タイ・マレーシア・ネパールと、ふり返ればけっこう色々な国に出かけてきたもんだ。
 僕は写真を撮るのが下手だし好きじゃないので、それぞれの国での体験や思い出は文章にして、エッセイや冊子にしてある。それらを時々読み返してみると、色々な事を思い出す。
 暮らすのにベストなのは、断然、ニュージーランドだ(個人の感想です)。国土全体が濃いめの黄緑色で、人口よりも多い羊さん・馬さん・牛さんだらけの農業国だ。経済的に豊かとは言えないけれど、安心して暮らしていけそうな気がする(税金はけっこう高いけどね)。
 最も人に優しいのは、カナダだと思う(個人の感想です)。とくに西海岸のバンクーバー辺りがベストだ。何しろ世界中からの移民で成立している街だから、お互いが優しくしなければ社会が成り立たないのだね。スーパーで買い物をしている時、キョロキョロと探し物でもしていると、すぐに近くにいる人が「May I help you?」と声をかけてくれる。しかもそれが、色々な訛りの英語であったりするから楽しい。もし誰かに薦めるとしたら、絶対にカナダだ。
 反対に「できれば二度と行きたくない(正確に言えば『ホームステイ』はご勘弁!)」と思うのは、ごめんなさい、大韓民国だなあ。客人をとても「おもてなし」してくれるのはありがたいんだけど、それが行き過ぎてしまって(個人の感想です)、暑苦しいというか自由にさせてくれないというか拘束されている感が強いというか何というか・・・
 で、今オジイは何を望んでいるのかというと、ウチナーのヤンバル(北部地域)での「ご隠居」生活である。ヤンバルクイナちゃんと同じ陽を浴び、風に吹かれ、夜明けとともに起き、夕日とともに寝てしまう。読みたい物を読み、書きたい事を書くだけの余生だ。無理かなあ・・・


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ウチナーは本当に日本になっているのか by おじいクボマ~ル

2022-05-15 16:41:56 | エッセイ
 ウチナー本土返還 50周年の日だ。本土返還というのはおかしいかな、日本復帰というべきだと思う。
 第二次世界大戦の最終段階で米軍の上陸攻撃に遭い(いわゆる「沖縄戦」)、そのままアメリカ合衆国の統治下に入った(わかり易く言えば占領)まま、ウチナーンチュたちは$を使わされ、日本国憲法の範疇から弾き出され、日本でありながら日本でないという生活を 27年間(1972年まで)も強いられていた。
 もともとは琉球王国という独立した国だったウチナーは、江戸時代末期に薩摩藩に併合され(失礼な話だけど「琉球処分」と呼ばれる)、そのまま明治政府に受け継がれて日本(の一部)にされてしまった。
 第二次世界大戦末には、不幸な事にその地理的条件からしてアメリカ軍による本土爆撃のための中継基地として狙われてしまい、小笠原諸島や奄美大島とともに島全体がアメリカ軍の基地にされてしまった。
 ヤマトゥンチュたちのいわゆる本土は、サンフランシスコ平和条約によってさっさと独立を果たしたものの、ウチナー・奄美大島・小笠原諸島は取り残された。そして、奄美大島や小笠原の日本復帰に取り残されるようにして、何と1972年まで「日本でありながら日本でない」ウチナーが続いたわけだ。
 どうしてウチナーに米軍基地が今でもあるのかを、ちゃんと知らない若い世代が多い。日本が本当の独立国家であれば、日本のどこにも米軍基地などない筈ではないか。厚木基地も座間のキャンプも、当の昔にアメリカ出張所を店仕舞いしていた筈ではないか。
 過日の「教育の方法」の授業で、ベトナム戦争がアメリカやアメリカ人たちに与えた様々な影響について述べた。ウチナーに日本にあるべきだった米軍基地の7割以上が今もあるのも、ベトナム戦争のせいだ。
 アメリカは、ウチナーの基地を使ってベトナム戦争に参戦した。ウチナーを中継地にして、インドシナ半島へと兵器や爆弾を運んだのだ。そのために強制的に土地をウチナーンチュから接収し、普天間基地や嘉手納基地が造られ、一説によるとそこには核兵器までが貯蔵されていたという(ちなみに、「今もある」という話がまことしやかに語られている)。
 ベトナム戦争は終わった。しかし、今度はロシア・中国・台湾などを牽制するために、米軍はウチナーに居座り続けることになった。「もしも」の話はしたくないけれど、日本がもっとちゃんと「自分たちの国は自分たちでキチンと守る」という、そう、ウクライナの人たちのような気概を持っていれば、ウチナーは本当の意味で日本になれるのではないか。
 確かに、日本国憲法第9条によりヤマトゥンチュは「戦争をしない」「戦争の道具としての軍隊は持たない」のだが、それはあくまで他国との戦争の事であって、「防衛」すなわち「他国の侵攻や攻撃から国を守る」ことは、独立国に当然認められるべき権利なのではなかろうか。
 朝鮮半島の某国は、竹島・対馬・壱岐づたいに日本海側を狙っているじゃないか。未解決のままの日本人拉致事件は、そのための準備でなくて何だろう。
 「一国二制度」論で世界を騙してきた超大国は、香港を完全制圧した後は当然、台湾を、そして、そこから琉球列島に攻め込んでくるぞ。
 ついでに言えば、今はまだ北方四島でブレーキがかかっているP大統領のあの国は、目と鼻の先の知床を狙っている。こんな危なっかしい国を守るのは、いったい誰なのだろう。日米安全保障条約を結んでいるアメリカか?
 ロシアによるウクライナへの侵攻・侵略を眉間に皺を寄せて見つめながら、今日は、ウチナーの日本復帰50周年の意味や残され続ける課題を静かに考えるべき一日だと64歳のオジイは溜息をつく。

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「小学校以外でも教育はある」(タイトルに「」は不要!)

2022-05-08 17:23:51 | 自由投稿
「学校に行く」というのはいろいろな捉え方がある。だから今回は「授業に出席しなければいけないのか」という視点で考えていく。
私は、「学校に行かない」つまり、授業に参加しなくても良いと考える。
なぜなら、ホームスクーリングという方法があるからだ。
このテーマについて考えるにあたり、義務教育と就学。この2つがポイントとなってくる。
学校に通う「就学」については、学校に入ること。また、在籍していること。とある。
よって、小学校に在籍していなければならない。
義務教育とはこの授業でお馴染みの「子どもに受けさせなければいけない」教育のこと。
だから、学校でなくても同等の教育を受けさせることができるのであれば義務を果たしている。
このことから、日本では小学校に在籍していなければならないが、ホームスクーリングやインターナショナルスクールで教育を受けることは否定していないため、小学校に行って授業に出席する必要はない。
だが注意しておかなければならないのは、文部科学省は、インターナショナルスクールやフリースクールなどへの就学については「就学義務を履行していることにはならない」としていることだ。自宅で教育を受ける「自宅学習」についても同様であろう

学校至上主義への疑問 推敲ed by おじい
 私は、必ずしも「学校に行く=授業に参加する」必要はないと思う。例えば、ホームスクーリングという学び方もあるからだ。
 「就学」するためには、入学と在籍が条件になる。「義務教育」とは「子どもに受けさせなければならない」教育のことなので、学校でなくてもその義務を果たすことはできる。
 したがって、ホームスクーリングやインターナショナルスクールでの学びは、本来、否定されないはずだ。
 ところが、文部科学省はそれらの場や機会に学ばせることを、「就学義務の履行に相当しない」としている。自宅での学習すらも認めようとしないのは、学校至上主義
として批判されるべきだろう。


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女子大学は性差別か by ファラオ

2022-05-08 17:07:55 | 自由投稿
 私は小学校から高校まで共学校出身だ。大学で初めて、女子大という存在と関わっている。大学を選択する際に、自分の学びたいことが、ほぼ女子大にしかないことを知った。学べるのであればよいと思い、女子大へ進んだ。だが、様々な講義を受けていくにつれ、「男性にも知っていてほしい」というような感情が芽生えた。
 女子大学とはもともと、女性の学ぶ権利を守っている(いた)ものであった。女子大が今でもなお存在し続けているのは、女性の権利を保障していたという偉大な歴史と、その歴史ゆえのブランド性にあるのではないか。だが、そのような存在である女子大が、現在の社会では“男女差別ではないか”と言われている。それは、私が常に抱いている感情と同じものだ。女子大は、現代社会のジェンダー観とニーズに合わなくなっているのだ。
 また男女共同参画社会という視点から見ると,男性差別であると同時に女性差別でもある(「家事を女性に押しつける」などの発想につながる)のではないか。女子大でしか学べないようなことは男女を問わず、生きていくうえで役に立つものなのではないか。現代のニーズにあった教育を模索していく必要があるだろう。

女子大学がかかえる課題 推敲ed by おじい
 私は、小学校から高校まで男女共学校だった。今、大学生になって初めて「女子だけ」という状況の中にいる。大学選択の際、学びたい領域がほぼ女子大学にしかない事を知り、学べればどこでも良いと思って進学したが、今は「男性にも学んでほしい」ことが多い。
 もともと女子大学は、女性の学ぶ権利を守るためのものだった。男女平等の今でもそれが存在するのは、女性の権利を保障してきた歴史とプライド、そして、ブランド性があるからだ。
 だが、その女子大学が「男女差別」の疑いをかけられている。現代社会の課題である「ジェンダーフリー」と社会的ニーズにそぐわないからかもしれない。「男女共同参画社会」論から言えば男性差別であると同時に、家事を女性に押しつける等の発想を継承しがちだからだ。
 生きていく上で重要で役に立つものであるのなら、もっと現代のニーズに合う教育を模索する必要があるだろう。

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右手薬指がビヨヨ~ン by おじいクボマ~ル

2022-05-08 15:56:49 | エッセイ
 いわゆる腱鞘炎の一種類で、「バネ指」というものをご存知だろうか。簡単に言うと、指が勝手にビヨヨ~ンとなってしまう、音的にはちょいとカッコ悪い整形外科系の病気である。
 何年か前、これまた腱鞘炎の一種である「ドケルバン症候群」というのに罹ったことがあって、この時には左手親指に激痛が走っていた。名前は「ドケルバン」の方がカッコいいけど、その痛さには参った。
 で、今回の右手薬指の「バネ指」なんだけど、一度握ると薬指だけが戻ってこないのである(笑)。それをもどそうとすると、突然「ビヨヨ~ンと撥ね上がり痛みが走る」という困りもので、それ以外の時は痛みがあるわけではない。
 ふと気がついたんだけど、握ろうと思うと薬指だけがついてこれずに残ってしまい、何とも不思議やらおかしいのだね。それを曲げようと左手で押さえようとすると、ここまだ「ウウッ!」という痛みが走るわけですね。
 「ロキソニンテープ」という秘密兵器を貼っておけばどうにか痛みは抑えられるけど、剥がすとすぐにビヨヨ~ン時の激痛が戻ってくる。もう二週間以上になるけど、一向に好転の兆しが見えない。
 一日数時間、酷い時には十数時間もキーボードを叩くことがある人間の職業病なんだろうけど、それにしてもオジイ64歳、今や「全身多臓器不全」のような状況になりつつあり、かなり焦っている。いてて・・・

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おじいクボマ~ル/5月末までのスケジュール(5月8日版)

2022-05-08 09:53:57 | 一般向け連絡
 金曜日は午前中の「卒業研究」のゼミしかなく、個別指導が多いのと Zoom によるミーティングが多いのとで、出校しない場合が多くなっています。アポなしで突然来室されて、「いないじゃん!」と叱られることが多いのですが、職員室があるわけじゃないので、来室時には事前確認と連絡をお願いします。

5月 8日(日)自宅
   9日(月)出校/授業 10:00~18:00
  10日(火)自宅
  11日(水)出校/授業 10:00~16:30
  12日(木)自宅 on Zoom/会議日 
  13日(金)出校/ゼミ 9:00~13:00
  14日(土)自宅
  15日(日)自宅
  16日(月)出校/授業 10:30~18:00
  17日(火)自宅
  18日(水)出校/授業 10:00~16:30
  19日(木)自宅 on Zoom/会議日
  20日(金)出校/ゼミ 9:00~13:00
  21日(土)自宅
  22日(日)出校/Open Campus 9:00~16:00
  23日(月)出校/授業 10:30~18:00
  24日(火)自宅
  25日(水)出校/授業 10:00~16:30
  26日(木)自宅 on Zoom/会議日
  27日(金)自宅/ゼミ on Zoom 9:00~13:00
  28日(土)自宅
  29日(日)自宅
  30日(月)出校/授業 10:30~18:00
  31日(火)自宅
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ミニレポは「です・ます」で書かない! どうして段落がない?

2022-05-08 09:36:49 | 自由投稿
 最近よくニュースにもなっている、子どもの置き去りについての記事を見つけました。保育現場で置き去りが起こってしまうのには、人手不足の状態にならざるを得ないことが影響しているそうです。ただでさえ少ない人数のなか、現場の負担は重くなっており、これから保育士になろうとしている自分のような学生が増えて欲しいと考えました。保育は、単に子どもを見ているだけでなく、「安全を保証しながら子どもの育ちを支える」仕事、という文を見たとき当たり前のようにも感じましたが、案外意識し続けることは大変なのではと思いました。「1番怖いのは慣れ」という言葉を聞いたことがあります。子どもたちはいつどんな行動をするのか読めないので、危険につながる場面が多くてあると考えます。その時に、「危なかったが、幸い大事に至らなかった」と単なる「ヒヤリハット」で片付けてはいけないと改めて思いました。保育士の人数が少ないということも理由に出来ないと考えさせられました。いつ危ない場面に遭遇するかわからない状態で、常に意識し続け、職員全員で共有することが大切だなと考えました。

人手不足を言い訳にしない 推敲ed by おじい
 保育実践現場での「園児置き去り」事件の記事を見つけた。事件の原因は人手不足だそうで、保育士の負担を軽くするためにも、自分のような保育学生が増えると良いと思う。
 単に子どもの面倒を看るだけでなく、彼らの安全と生命を守る重要な仕事だと理解できても、それを常に意識し続けるのは難しい。最も気をつけるべきは「慣れ」だろう。
 子どもの行動は予測できない。事故や事件に繋がりかねない危険は、常に存在している。「危なかったが大事に至らず良かった!」という「ヒヤリハット」で済ませてはいけない。
 人手不足を理由にするのではなく、子どもの安全を職員全員で守り切る体制を作り上げることが大事だと思う。



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自由題 by ガ~コちゃん

2022-05-08 09:34:20 | 自由投稿
 私は将来、児童養護施設の職員になりたいです。そう思った理由は私の過去にあります。
 私は生まれてすぐに生みの親と離され、幼いころから里子でした。ですので、名前の由来は正直なところわからないです。親元から離された理由は詳しく聞いていませんが、育てるのが難しい環境だったようです。そして、いろいろな里親さんのところを転々としたり、緊急で預けられたりして、小学1年生のころ今の里親さんに出会いました。私は小さいころからやんちゃでとても大変だったそうです。(自分でさえも子供のころはひどかったと思います。)そして、成長すると同時に、新しい里子としてきた子供をうちに迎えたり、緊急で少しだけ預かる子供をたくさん見てきました。虐待やネグレクト、私のように親が育てられないなど様々な理由でうちに来ました。そんな子供たちを見てきて、苦しい思いをする子供たちを少しでも減らしたい、私は虐待など受けていないけれど里子として今まで積んできた経験を活かしたい、そう思うようになり、もともと保育士になりたかったのですが、児童養護施設の職員になりたいと思いました。

里子の経験を活かしたい 推敲ed by おじい
 将来、私は児童養護施設に勤めたい。それは私の経歴に由来している。
 私は、理由は詳しく知らないが、生まれて間もなく実親から離されて里子になった。その後、複数の里親の世話になり、小1の時、今の親と出会った。
 やんちゃながらも自分の後に続く里子を迎え、児童虐待や父母が育てられない等の様々な子どもを見てきた。そういう子どもたちと接するうち、苦しい思いをする子どもたちのために私の経験を活かしたくなった。
 もともとは保育士志望だが、今現在は児童養護施設職員になる気が強い。



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奄美の歴史と名前のつながり

2022-05-08 09:32:20 | 自由投稿
 私は、中学3年生の途中までずっと奄美大島に住んでいました。奄美大島には戦後アメリカに占領されていた歴史があります。それが、1945年から1953年まで続きました。奄美の多くの人が日本復帰運動に力を尽くしていたと聞きます。1953年の12月25日奄美大島は日本に復帰しました。
 私は、2003年の12月生まれです。奄美大島が日本に復帰して50周年の年でした。大きな式典が開かれ、平成天皇が来島したと聞きました。家の近くには石碑が立っていました。私が、小学4年生の時も大きな式典がありました。出身の小学校が復帰運動に大きくかかわっていて復帰運動について考える学習もありました。なので、私は上京した今でも12月になると復帰運動のことを考えます。奄美が日本に復帰して、50周年の年に生まれ、奄美の歴史を忘れずにこれからも覚えていてほしいということで名前を付けたそうです。これからも50年また50年と平和な歴史がずっと重なっていきますようにということで私の名前は歴史が重なると書いて史重(ふみえ)となったそうです。

奄美大島の歴史と私の名前 推敲ed by おじい
 私は、中学3年生の途中まで奄美大島で生活していた。
 奄美大島は1945年から1953年までアメリカに占領されていたため、島民の多くが日本への復帰運動に尽力したそうで、その結果、1953年12月、遂に本土復帰を果たした。私が生まれた2003年には本土復帰50周年の大きな式典があり、当時の天皇も来島した。実家の近くにはその石碑が立っていた。
 小学校4年生の時にも大きな式典があり、出身小学校が復帰運動に深く関わ
っていたため。それに関する学習もあった。私は今でも、12月になると復帰運動の事を思い出す。
 奄美大島が日本に復帰して50年経ち、その歴史を忘れずにいてほしいという事から私の名前がつけられた。そして、平和な歴史がこの先ずっと重なるようにとの願いが込められている。



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「挑戦し、得られたこと」 by ミナミナ  ※ 題目にカッコは不要!

2022-05-08 09:30:28 | 自由投稿
 私は中学校の頃、演劇部に所属していた。その中でも特に印象深い出来事は、一年生の頃の文化祭でキャストの一員として劇を披露したことだ。部員は圧倒的に女子の比率が高かったため、どうしても何か役を演じたかった私はあえて男役のオーディションを受け、キャストとして舞台に上がれることになった。
 いざ練習が始まり、演技初挑戦の私にとって最大の課題となったのは、声が小さい、男らしくないということだった。先輩方や同じ学年の仲間からもらったアドバイスをもとに、発声練習に力を入れたり、普段からクラスの男の子達の仕草をよく観察したり、さらに髪も短く切って自分なりに役を追求し、本番に臨んだ。
 その結果は大成功だった。最初は緊張していたが、だんだんと大きくなる客席からの笑い声が励みとなり、楽しく役を演じきることができた。教室に戻るとクラスのみんなに役名で呼んでもらえたり、凄くよかったと褒めてもらえたことがとても嬉しかったのを今でも覚えている。私自身ここまで一生懸命になり何かを成し遂げる経験は初めてで、その分の達成感や人を笑顔にすることの楽しさを学んだりと、この出来事は自分を成長させてくれる良い機会となった。

私の役者デビュー 推敲ed by おじい
 中学時代、私は演劇部に所属した。1年時の文化祭で、キャストの一人として劇を披露したことがとりわけ印象深い。演劇部員には圧倒的に女子が多かった。何か役がほしかった私は敢えて男役のオーディションを受け、めでたく舞台に立てる事となった。
 しかし、練習が始まると私の「声が小さい」「男らしくない」という点で行き詰まり、先輩や仲間たちからの助言に頼った。発声練習に力を入れ、クラスの男子をじっくり観察し、挙句の果てには髪まで短くした。
 努力の甲斐があり公演は成功し、緊張していた私は、徐々に高まる客席の反応を楽しめるまでになっていた。クラスに戻れば役名で呼ばれ、「凄く良かった」と褒められ嬉しかった。
 ここまで本気で一生懸命になった経験は初めてで、そこから得られた達成感や人を笑顔にする楽しさは、間違いなく私を成長させてくれた。

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推敲&改稿は勉強になるなあ by おじいクボマ~ル

2022-05-06 15:49:49 | エッセイ
 ここんとこ数日、学生連のミニレポートから数編を推敲し、改稿してブログに載せるという作業をしている。
 論旨を変えずにひたすら文章の贅肉を落とし、できるだけスッキリとした文章になるよう頭をひねるという仕事は、実に疲れるし時間もかかる。同じ字数を書くのであれば、自分で書いた方が三分の一で終わるんじゃないかな?
 しかし、これがまた面白くて勉強になるんだよね~。基本は、字数削減のための言葉の選択と論理の再構築で、これが上手くいった時の快感ってないんだよ。
 掲載されている事例を何本か読んでみてほしい。ウダウダグダグダ書かれているものがどうできるのか、あなた自身で確かめてほしい。
 文章に正解・不正解はない、僕の推敲&改稿はあくまで「おじい」流にしか過ぎないんだけど、それでも推敲や改稿の何たるかが具体的につかめるんじゃないかな。学生連に聞くと、「推敲や改稿してもらったことはない」らしい。だったら、なおさらこういうチャンスを活かしてほしい。
 「書くことが好きじゃないんだけど、ブログの事例を読んでいると『書ける』気になるし、『書きたい』と思うようになってきました」というメールをもらった。素直に嬉しい。
 僕の大学教員最後の仕事は、「書きたい・書ける」人を一人でも育てる事だと思っている。

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ウクライナ支援は本当にこれでいいか by Eight Lakes

2022-05-06 15:32:50 | 自由投稿
 日本国憲法にあるいわゆる三大原則の第9条とウクライナの支援について私は疑問を持った。第9条には「戦争はしない、軍隊、兵器をもたない」と書かれているが、3月8日には日本がウクライナに自衛隊機で食料品などだけではなく、防弾チョッキやヘルメットを送っている。自衛隊が武力衝突の起きている国に対して防衛装備を送るという行為は、防衛装備移転三原則上の防衛装備に該当し、余計に戦争を過激化させてしまうにも関わらず、防衛装備を送ることは、我が国の安全保障の観点から積極的な意義であるというのは、第9条に反してしまうような大きな出来事であると思う。たとえ防衛装備を要請されても我が国の平和主義を守るべきである。
 日本は「戦争の放棄」「戦力の不保持」を謳っているため、それを徹底して守るべきであり、防衛装備品を送ることはやめて避難民を受け入れることや、食料品、医療品を送り支援すること、ウクライナの侵攻をやめさせる国際世論を高める先頭に立つという非軍事支援をするべきである。 

これでいいのかウクライナ支援 推敲ed by おじい
 日本国憲法第9条は、ウクライナへの支援を許すのだろうか。
 同法には、「戦争はしない・戦力は持たない」と書かれている。しかし、3月8日以来、日本は食料品だけでなく防弾チョッキやヘルメットも自衛隊機を使って送り続けている。
 武力衝突が起きている国に防衛装備を送ることは、防衛装備移転三原則に抵触する。防衛装備の移送は、戦争の激化に繋がるからだ。それが「わが国の安全保障に繋がる」とは、ほとんど考えられない。たとえ要請されたとしても、それに応えることはできない。
 不戦と戦力不保持は、徹底して守られなければならない。防衛装備の移送ではなく、避難民の受け容れや食料品・衣料品の送付に限定し、それを通して戦争終結への国際世論の先頭に立つべきだと思う。


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