耕三寺・未来心の丘 (2017.02.15)

2017-02-20 | 日記
耕三寺(こうさんじ)は、広島県尾道市(生口島)に所在する浄土真宗本願
寺派の仏教寺院。山号は潮声山(潮聲山)。1936年(昭和11年)から伽藍の
建立が始められた新しい寺院で、日本各地の古建築を模して建てられた堂塔
が建ち並び、「西の日光」とも呼ばれる。このうち、山門・本堂をはじめ15
の建造物が国の登録有形文化財として登録されている。また、仏像、書画、
茶道具などの美術品・文化財を多数所蔵し、寺全体が博物館法による博物館
となっている。
耕三寺の開山は、大正・昭和期に大阪で活躍した実業家の金本耕三のちの耕
三寺耕三。
1927年(昭和2年)故郷瀬戸田に住む母のために邸宅「潮聲閣」を建て始め
た(耕三寺内に現存)。母が1934年(昭和9年)に没すると、翌1935年
(昭和10年)、金本は母の菩提を弔うため出家して僧侶となり名を福松から
「耕三」に改めた。同年から潮聲閣周辺にて耕三寺の建立を開始した。金本
はかねてより、瀬戸田の地に誇りうる文化財のないことを残念に思っており、
境内を日本各地の著名な歴史的建造物を模した堂宇で埋める構想を立てた。
以来、30余年をかけて、日光東照宮陽明門を模した孝養門、平等院鳳凰堂を
模した本堂などをはじめとした伽藍が完成した。なお金本は1956年(昭和
31年)以降、自らを「耕三寺耕三」と名乗るようになった。
陽明門を模した孝養門から「西の日光」と呼ばれるようになり、瀬戸内海の
観光地の一つとなった。平成期に入ってからは、建築物の特殊性が評価され、
15棟が登録有形文化財として登録された。(引用)












未来心の丘(みらいしんのおか)は、広さ5,000平方メートルにもおよぶ白い
大理石の庭園で、世界を舞台に活躍されている彫刻家  杭谷一東(くえたにい
っとう) 氏にその制作を依頼しているものです。
ここに使用されている大理石のすべては氏のアトリエ(仕事場)があるイタリ
ア・カッラーラで採掘し、コンテナ船で運んできています。丘にそびえ立つ大
小様々な形をしたモニュメントや広場、道... 氏は制作に当たっては常に、そ
の石のひとつひとつと対話し、また周囲の景色の形や色、風雨、光といったあ
らゆる自然との調和(バランス)も考えて創造してこられました。
ここでは、ただ見て楽しむだけでなく、実際に肌でふれて、自然と一体となっ
て遊び、思い思いの想像をふくらませてもらえることが氏の願いでもあります。
言いかえれば、未来心の丘は、すべての生命あるものが参加できる空間といえ
ます。(引用)







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