「賃取り橋」と呼ばれ、長い間多くの地域住民から親しまれ、大いに利便が図られてきた
「大川橋」が、老朽化により危険なことから、本年9月初めから通行止となり、歴史の幕
を閉じた。
大川橋の縁起
昭和10年 土讃線の開通に伴い、当地「下川」に祖谷口駅を誘致することは山城谷村・
三縄村・東祖谷山村・西祖谷山村の各村民の悲願でありました。
各村会は、祖谷口駅の設置を決議し、鉄道省に陳情を繰り返した結果、鉄道省は大川橋
(大利―下川)の架橋を条件として祖谷口駅の新設を許可致しました。
そこで、川崎の酒造業・林業家の「赤川庄八翁」が個人で五万八千円を投じて建設し、
昭和10年11月28日、土讃線の開通と同時に「大川橋」が完成いたしました。
この大川橋は、この地域の人々にとり、かけがえのない橋となり、「賃取り橋」と呼ばれ
親しまれて参りましたが、昭和37年12月20日 二代目「赤川庄八翁」が池田町に寄
付し町道となり、今日に至っております。
平成19年6月24日 祖谷口地域住民有志一同記す。・・・・・とある。
この後投稿する画像は過去のものです。
大川橋・吉野川・祖谷口駅