イベント情報

2015-02-28 | 日記
三好市池田町川崎には、癒しの空間「百年蔵」がある。
古くは造り酒屋だったが、最近になってギャラリーとして甦り、平成22年秋には、建物と煙突が有形文化財として正式指定
されている。
ちなみに、造り酒屋当時の清酒銘柄は「義士心」だそうだ。


公式HPはこちら(http://100-kura.com/index.html)

今回の投稿では、最近、ここで行われるイベントについて紹介するので、機会があれば立寄って下さい。

第16回四国酒祭り ・ 第12回うだつマルシェ

2015-02-26 | 日記
以前の投稿で、「第16回四国酒祭り」の開催予定記事を掲載していましたが、2月21日(土)に開催!
その際、「第12回うだつマルシェ」も同日開催され、楽しそうなので「池田ケーブルネットワーク」投稿
のYouTube動画を貼り付けております。・・・見てネ!

第16回四国酒まつり


第12回うだつマルシェ

いつもは閑散としている通りだが?

春時雨

2015-02-26 | 日記
本日、朝から雨!
一昨日、愛車は洗い清掃したばかり・・・次いでバイクも洗った。
今日は外出は控えよう。






この季節、足元にはフキノトウが顔を出していました。・・・春だ!!!


こんな天気図・・・夕方までは降るだろうなあ!

久しい虹

2015-02-22 | 日記
この冬、久しぶりに虹を見た。
今日は朝から気温が高い!気象情報によると、春一番が吹くとか?
雲の切れ間から太陽が覗き、霧雨も降っている・・・雨による虹のようだ。

ズームアップ

もういくつ寝るとひな祭り

2015-02-19 | 日記
今日は、二十四節気の一つで「雨水」にあたる。
温かさに雪が雨にかわり、氷がとけ始める頃とあるが、まだまだ寒い。
しかし、我が家の玄関などには早くも雛飾りが・・・桃の節句もすぐそこに来ている。
暖かくなれ!・・・春よ来い♪ 早く来い♪







○○記念・道後温泉プチ旅行

2015-02-13 | 日記
11~12日にかけて、○○記念・道後温泉プチ旅行に行ってきました。
久しぶりに温泉・・・それも有名な道後の湯に浸りたく思っての行動でした。

主には写真を掲載します。

松山に着いて、まずは俳句に関心のある妻に誘導されて子規堂へ!
(引用)
正岡 子規(まさおか しき、1867年10月14日(慶応3年9月17日) - 1902年(明治35年)9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。

俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人であった。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。

子規堂(しきどう)は、愛媛県松山市にある、松山出身の俳聖正岡子規にちなむ観光施設である。入館料50円。
正岡子規の文学仲間であった、正宗寺の住職、仏海禅師が子規の業績を記念し、子規が17歳まで過ごした住居を境内内に復元した文学資料館で、内部には子規や親交の深かった夏目漱石らに関係する原稿などの文学資料や写真、各種文献など貴重な資料が展示されている。子規が庭園を眺めつつ、勉学に打ち込んだとされる当時の机もある。
子規堂の正面には、子規の「旅立ち」の銅像がある。このほか、子規堂前の広場(観光バス等の駐車場も兼ねる)の一角には、夏目漱石の胸像、当時運行されていた「坊っちゃん列車」の客車、俳句ポスト、子規とベースボールの碑などもある。また南に隣接する墓地入り口近くには、子規の遺髪塔(埋髪塔)もある。






正岡子規が使用していた部屋と机とか。


明治21年に開通した当時の、坊ちゃん列車の客車も展示されている。


その後は「松山城(伊予国)」へ!
(引用)
松山城(まつやまじょう)は、愛媛県松山市にあった日本の城。別名金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)。各地の松山城と区別するため、伊予松山城とも呼ばれる。現在は、城跡の主要部分が公園として整備され、大天守(現存12天守の1つ)を含む21棟の現存建造物が国の重要文化財に、城郭遺構が国の史跡に指定されている。そのほか、昭和初期の1933年に大天守を残して焼失した、連立式天守群の小天守以下5棟をはじめとする22棟(塀を含む)が木造で復元されている。2009年のミシュラン観光版(ギード・ベール)日本編では二つ星に選定された。












松山城マスコットキャラクター「よしあきくん」がお出迎え!
(松山城の初代城主 加藤嘉明にちなんで名付けられました。)








さすが俳句の町・・・投句箱があちらこちらに設置してある。


次は、道後温泉本館付近に、宿もここに近い。

道後温泉
(引用)
道後温泉(どうごおんせん)は四国・愛媛県松山市(旧国伊予国)に湧出する温泉であり、日本三古湯の一といわれる。
その存在は古代から知られる。古名を「にきたつ」(煮える湯の津の意)といい、万葉集巻一に見える。なおかつてはこの周辺が温泉郡(湯郡)と呼ばれていたが、これはこの温泉にちなむ地名である。伊予国(いよのくに)という名前も湯国(ゆのくに)が転じたものという説がある。
夏目漱石の小説『坊つちやん』(1905年)にも描かれ、愛媛県の代表的な観光地となっている。2007年8月に地域団体商標(地域ブランド)として認定された。

道後温泉本館(どうごおんせんほんかん)は、愛媛県松山市の道後温泉の中心にある温泉共同浴場。別名・愛称は坊っちゃん湯。
戦前に建築された歴史ある建物(近代和風建築)で、街のシンボル的存在であり、1994年に国の重要文化財(文化施設)として指定された。共同浴場番付において、東の湯田中温泉大湯と並び西の横綱に番付けされているほか、2009年3月、ミシュランガイド(観光地)日本編において2つ星に選定された。2009年、経済産業省の「近代化産業遺産」に認定。





どこから、どこまでか知れないが・・・「道後ハイカラ通」と呼ばれる、土産物店を中心にした賑やかな通り。




通りを抜けると、市内電車の「道後温泉駅」がある。


ここには蒸気機関車も展示・・・開設当時のものだろうか?


カラクリ時計
坊っちゃんとマドンナの踊る姿が愛らしく、思わず笑みもこぼれるカラクリ時計。坊っちゃんやマドンナをはじめとする小説「坊っちゃん」の登場人物が音楽にあわせて時を告げる、道後温泉駅前の放生園にあるカラクリ時計。訪れた人たちを和ませまる、このスポットは記念撮影ポイントとしても大人気です・・・とあるが、正時でないと動作しないので、タイミングを逸した。


さあ楽しみのお宿!

道後温泉 茶玻瑠
http://www.chaharu.com/












翌日は、伊予かすり会館や砥部焼の窯元などを訪ねて帰路についた。

伊予かすり会館
http://e-hime.jp/kasuri/index.php
かすり会館店内





かすり会館の写真が少なくてすみません。
















イノシシの甚大な被害

2015-02-07 | 日記
近年、日本の多くの地域で鳥獣被害対策に頭を抱えている。

私が住まいする地域でも、サル、イノシシ、シカなどの被害で手を焼いている。

サルについては、電気柵などの設置で、一定の効果をあげているが、柵や檻の中で人が農作業をしている姿は見るに耐え難い。
シカは、樹木の表皮を食べて木腐れなどの被害が出ると聞くが、里では実感が少ない。

一番厄介なのは力持ちのイノシシだろう。
先人が山々を開墾し、石垣を作り、農作業に汗を流した苦労も知らず。今、田畑、山林、生活道までもが危機に陥っている。
まるで重機械で手当たり次第に破壊活動を行っているようだ。

地域の猟友会の皆さんも、高齢化などで人数も減少しているとか。
どうすればよいのか???このままでは???

私の場合、傾斜地に家があるので、金網を廻らし、上部からの落石などを防護する対策を講じたが・・・・・?
写真の有様だ。













どうすりゃいいの!・・・山は崩壊するぞ!・・・困ったなあ!

ちょっと遅れた新年会

2015-02-03 | 日記
本日、私の所属する団体の新年会が市内某所で行われた・・・まだ、開会までには時間があり、皆さんは歓談している。


我が市には、「地酒で乾杯」という条例がある。市内には酒造業が多いことと、毎年、「四国酒まつり」も開催され、
県内外から多くの愛飲家(酒豪)が訪れ、活性化の一因となっていることからのようだ。。



本日、私は「ノンアルコール」で辛抱することとした・・・理由は聞かないで!

某所といっても、箸袋が見えてるわ!

よく利用するこの会場では馴染みの料理・・・今日はアルコール接種がないため・・・腹が減って食うてもうた。


ま、美味しかったですわ。

料理の写真・・・このところ多いぞ!

薬王寺に行ってきた。

2015-02-02 | 日記
今日は久しぶりに天候も良い・・・ということで、妻と二人、厄除けで有名な「日和佐薬王寺」に出かけた。

【薬王寺】
薬王寺(やくおうじ)は、徳島県海部郡美波町奥河内にある寺院。四国八十八箇所霊場の第二十三番札所。医王山(いおうざん)、無量寿院(むりょうじゅいん)と号す。宗派は高野山真言宗、本尊は薬師如来で厄除けの寺として知られる。


山門(仁王門)




今日の参拝客は少なかったが、明日は節分行事で多くの客で賑わうとか!
一人お客さんが見えると思ったら・・・妻だった。


女厄坂は33段(33歳)の石段があり、厄年の方が一段一段、年の数だけ一円硬貨を置くのがお参りの作法のようだ。





次は男厄坂42段(42歳)ここにも年の数だけ一円硬貨を置く。



そして本堂に着く!

本尊(厄除薬師如来)
弘法大師、御齢42歳の時、平城上皇の厄除祈願の勅願を受け、本尊厄除薬師如来を刻まれ、厄除の根本道場とし、以後、天皇各帝が厄除祈祷の勅使を使わされた。



本堂の横には大師堂も鎮座する。


それから上には還暦厄坂60段がある。



登りきったところには薬王寺のシンボルとなっている瑜祇塔がある。
【瑜祇塔(ゆぎとう)】
瑜祇塔は真言宗所依の経典である。
瑜祇経の教理を形にあらわしたものであり、経文には世の中のものみな二つの相対したものからできているが、これが一つになることによって世界の平和や家庭の幸福の基礎があると説かれている、天と地が和合して万物が豊かとなり、労使が相寄って社会の平和ともなる道理である。
瑜祇塔には上方に金剛智慧をあらわす五峯を示し、周囲に胎蔵の理論の表示である八柱を建て、これが不二を示すよう上の方が四角、下の方は円筒形の一重の塔となっている。


ここからの美波町の展望はこうだ・・・向こうの浜は、ウミガメが産卵のため上陸することで有名!


薬王寺のお参りを済ませば・・・さあ昼食だ!
先にネットで調べていた「料理のはしもと」を訪ねた。


ランチバイキングをやっているとかで楽しみだ。



私が皿に盛ったのはこれ・・・・ご飯は麦が少し入っている。


これといって目新しいものはないが、味はしっかりしており、煮たり揚げたりのものが多い。



箸袋の能書き・・・遍路の接待のことだろうか?


待てよ・・・ここ、何かで見たぞ!


なるほど・・・ここか、ここだったか!

コメントの挿入が少ないなあ!







百 手 祭

2015-02-01 | 日記
今日は、本当に寒い中、地元「三所神社」で百手祭が行われた

【引用】
百手祭とは、四国・九州で、御弓(おゆみ)の神事のことで、弓で200本の矢を100回???に分けて射て悪鬼退散を祈願して始められたと言われる行事であり、地元の若者???の射手が古式に則り悪鬼に見立てた的に矢を射て、地域の安寧を祈願する行事である。

まず、拝殿で行われた神事の後は集合写真!
宮司、射手、当屋、その他世話人や神社総代などで記念写真が行われた。・・・皆若いのう!


宮司からの細かい説明・・・ここが鬼でよ! ここへ当てるんでよ!


これが開始時の的で、中心には「鬼」と書かれており、これを射貫くことで、本年は射手やその家族は勿論のこと、地域においても安寧であると言われる。


東方6名・西方6名の12名で行われる。
さあ、始まりまっせ・・・緊張の瞬間???そうでもないか?



最初の矢は、射太郎(当屋組の若い衆)が射る慣わしがあり、お祓いの意味もあって前方の山を目掛けて射る・・・本当は近くに落下!


さあ・・・始まったぞ!
誰も、最初は慣れない弓の扱いに、横に飛んだり、上下に射たり、こりゃーあぶないでよー!!!



時間の経過とともに、若い衆から当たりだした・・・たまにか、まぐれか???



寒さもあり、ギャラリーは焚き火を囲んでの世間話に花が咲く!


うどん・ぜんざい・甘酒の接待も・・・勿論無料ですよ。
烏骨鶏の卵も持ち込みで「月見うどん・釜玉うどん」も美味しかったですぞ。
お接待の女性陣も今日はモテモテ・・・ウヒ!


向こうでは真剣に矢を射続けている・・・カメラ背後では、焚き火を囲んでの酒盛りが行われておるでよ!


まあ、長時間に亘って続けるんですから世話人も大変「これは長いのう!」と言っておるかどうか?


ありゃー、また外れて上に飛んだ!・・・「へたくそー」までは言えんかった。

こんな楽しくもあり、寒い一日でもありました・・・今年も平穏無事でありますように!!!

※ カメラを持参するのを忘れてしまい、携帯での撮影、少し画像が悪いがご勘弁を!!!