とね日記

理数系ネタ、パソコン、フランス語の話が中心。
量子テレポーテーションや超弦理論の理解を目指して勉強を続けています!

数学原論: ニコラ・ブルバキ (Nicolas Bourbaki)

2011年06月20日 00時49分47秒 | 物理学、数学
にほんブログ村の「フランス語ブログランキング」にも手を出してしまった都合上、フランスを意識した記事をいくつか書いている。とはいえ「とね日記」の大多数の読者は理数系の方だから、今日はその共通項的なテーマを取り上げてみた。


*ブルバキ、数学原論とは

ニコラ・ブルバキNicolas Bourbaki)はフランスで活動した数学者で1939年から1998年にかけて「数学原論」という7千ページにもおよぶ膨大な数学書を次々に世に送り出したことで知られている。現代数学を根本から洗いなおし、一から構築してしまおうという壮大な試みである。(日本語版の「数学原論」は全37巻で構成されている。)

数学者といっても実のところブルバキとは架空の人物の名前で、その実体はフランスの若手数学者の集団だったのである。当初、彼らは微積分学の現代的な教科書を書くことを目的としていたのだが、最終的には集合論の上に現代数学を厳密かつ公理的に打ち立てることに目標は変更された。そして彼らは「秘密結社」として活動し、数学原論を出し続けたのだ。トップの掲載画像はブルバキに参加したうちの10人である。

「公理」というのは証明抜きで認める「約束事」のようなものであり、できるだけ少ない公理を元にしてできるだけ多くの定理を証明できるかが数学の公理主義が目指しているところだ。そのために数学原論は次のような方針で執筆されている。

- 数学をその第一歩から取扱い、完全な証明をつける。
- 叙述の仕方は公理的, 抽象的であり、原則として、一般から特殊へと進む。
- 内容は原則として厳密に定められた論理的順序に従って配列される。
- すでに広い知識を持合わせている読者にしかその効用がわからないような事柄も含まれている。

つまり、教科書のように「理解してもらおう」という配慮が全くなく、可能な限り無駄を排除しエレガントに展開しいるため、難解かつ極めて敷居の高い数学書なのだ。


*構造主義の影響

ところで1960年代に登場して発展した「構造主義」という思想的な流行がある。数学、言語学、精神分析学、文芸批評、生物学、文化人類学など、さまざまな分野にあてはめられ、広がっていった。フランス現代思想においてはソシュールの言語学が有名で、人類学者のレヴィ-・ストロースによって構造主義は普及していった。

構造主義はいわばその時代を象徴するひとつのブームとなり、日本では浅田彰(現在、京都造形芸術大学大学院長)が26歳のときに著した「構造と力 - 記号論を超えて」という超難解なフランス現代思想(構造主義、ポスト構造主義)について書かれた本がベストセラーとなった。1983年のことである。一部の軟派な学生は読まないくせに、この本を買ってインテリを気取っていた時代である。当時流行していた紺のブレザー+チェック柄のパンツのファッションで、この本を持ち歩くのがひとつのスタイルだった。今思うとダサいけど。

僕はこの本を立ち読みしたが全く理解できなかったので買わなかった。(「構造と力 - 記号論を超えて:浅田彰」をお求めになる方はこちらからどうぞ。)男子学生は「構造と力」を読み、女子学生は小池真理子の「知的悪女のすすめ」を読んだ時代だった。

今でも、もし「それは構造的問題だなぁ。」とか言っているオジサンを見かけたら、そしてそれが機械や器具についてのことでないのなら、おそらくその人はこの時代の構造主義ブームの洗礼を受けたか、「構造と力」を持ち歩いていた軟派学生のひとりであった可能性が高い。そういうオジサンに「浅田彰みたいですね!」とかツッコミを入れないように!きっと得意になってしゃべり出すか、難しくて読めなかった本の恥ずかしい記憶を思い出させるかのどちらかなので。


数学における構造主義の代表例がブルバキの数学原論であり、この本には代数構造、順序構造、位相構造という3つの構造概念、そしてフィルターなどいくつかの新しい概念や術語が導入された。数学原論の公理主義や構造主義、その厳密性は20世紀の数学全体に大きな影響を与えたのである。

余談ながらコンピュータのプログラミングで、処理の役割ごとひとまとまりにして書くという「構造化プログラミング」の手法は、1960年代後半に提唱されて1980年代に広まった。これも構造主義の与えた影響のひとつだと思う。


*日本語版「数学原論

日本においては1960年代後半から数学原論の日本語訳が出版されている。僕が大学生だった1984年から1986年にかけも全37巻が出版されて、これが現在入手できる一番新しい版ということになる。(現在日本語版は絶版)

日本語版の構成についてはここを参考にしていただきたい。

大学では数学を専攻していたから、この本のことはよく知っていた。大学の生協にも全冊揃っていたし、紀伊國屋書店や丸善の数学書コーナーで、ずらりと並んだ新品の全巻セットを見ると畏怖さえ感じたものだ。素晴らしい本であることはわかっていてもしょせん「高嶺の花」だった。学部レベルの学生が読める本ではない。

数学原論で扱われる分野の多くが、当時は「数学のための数学」とか「抽象数学」などと呼ばれていた。しかし「リー群やリー環」が量子力学や素粒子物理学の対称性、超対称性の理解に欠かせないものであることに代表されるように、かつて抽象数学と呼ばれていたものは現代物理学と密接なかかわりを持つことになった。


*ブルバキのその後

そのような「高嶺の花」も1998年に最終巻が出版されたのを最後に枯れてしまった。いくつか理由があるのだが、ウィキペディアの記事には次のようにブルバキの活動や影響力が衰退した理由が書かれている。

「ひとつには、ブルバキの影響を受けた本が他にも出版されるようになりブルバキの出版する本の独自色というものが失われつつあったせいでもあり、またひとつには、重要なものと考えられるようになった別の抽象化、例えば圏論などをカバーしていないためでもある。ブルバキのメンバーの一人アイレンベルグは圏論の創始者であり、グロタンディークも圏論を積極的に論じた。だが、圏論を導入するには、それまでに発表されてきたブルバキの著作に根本的な修正を与えなければならなかった。そのため、圏論についてのブルバキの著作は(準備はされていたが)結局のところ書かれなかった。」

数学原論の執筆は1998年から止まったままだが、ブルバキはブルバキ・セミナーの形で今でも行われ、毎年執筆される論文はフランスのAmazon.frから購入したり、以下のホームページからダウンロードすることができる。

現在も続いているブルバキのホームページ。(フランス語)
http://www.bourbaki.ens.fr/

フランス語版「数学原論」の構成(フランス語)
http://www.bourbaki.ens.fr/Ouvrages.html


*ブルバキについての本

ブルバキについて書かれた本には次のようなものがある。このうち最初の3冊については近いうちにレビュー記事を書くつもりだ。

ブルバキ―数学者達の秘密結社:モーリス マシャル」(紹介記事


この2冊は絶版なので中古で買うしかない。(復刊リクエストはこちら。)
ブルバキ数学史〈上〉 (ちくま学芸文庫):ニコラ ブルバキ
ブルバキ数学史〈下〉 (ちくま学芸文庫):ニコラ ブルバキ
 

ブルバキとグロタンディーク:アミール・D・アクゼル



*現在アマゾンで購入可能な「数学原論」

日本語版の「数学原論」は中古で買うしかないのだが、Amazon.co.jpで探す場合はここをクリックすれば検索できるようにしておいた。

日本語版の復刊にご協力いただける方はここをクリックしていただきたい。読めるかどうかは別として、この貴重な本はせっかく訳されたのだから、いつでも購入可能な状態であってほしいと思うのだ。(6月26日に追記:今日現在の得票数は96。規定数の100まであと少しなので、ぜひ復刊リクエストにご協力いただきたい。)

いや、このように絶版になった専門書はPDF化してダウンロード販売するようしたほうがよい。そうすれば出版社はリスクを抱えずにすむし、貴重な知的財産を皆で共有できるようになるのだと僕は思う。


英語版の「数学原論」は新品を買うことができる。ただアメリカのAmazon.comだけでは揃わないので、Amazon.com に対してここを、そしてAmazon.co.jpに対してここをクリックして揃えることができる。


フランス語版の「数学原論」は(開店以来まったく売上のない)「とね書店(パリ支店)」に新品のものを掲載しておいた。ここをクリックしていただくと表示される。


*ネットで読める「数学原論」

ところで「数学原論」のフランス語版と英語版の多くはGoogle Booksのプレビューで読むことができるのだ。ところどころ意図的にページが抜かれているので、全ページ読めるわけではない。著作権についての考え方はGoogleの方針に従っている。読者の便を考えて、現在読むことのできるものについてフランス語版の本の構成に従って一覧にし、フランス語版、英語版に対してリンクを張っておいた。


ブルバキ数学原論 (Google Booksのプレビュー)
注意:リンクの張られていないものはGoogle Book上にプレビューが掲載されていない本である。

「集合論:第1章~第4章」: フランス語 英語
「代数:第1章~第3章」: フランス語 英語
「代数:第4章~第7章」: フランス語 英語
「代数:第8章」: フランス語 英語
「代数:第9章」: フランス語 英語
「代数:第10章」: フランス語 英語
「位相:第1章~第4章」: フランス語 英語
「位相:第5章~第10章」: フランス語 英語
「実一変数関数:第1章~第7章」: フランス語 英語
「位相線型空間:第1章~第5章」: フランス語 英語
「積分:第1章~第4章」: フランス語 英語
「積分:第5章」:フランス語 英語
「積分:第6章」: フランス語 英語
「積分:第7章~第8章」: フランス語 英語
「積分:第9章」:フランス語 英語
「可換代数:第1章~第4章」: フランス語 英語
「可換代数:第5章~第7章」: フランス語 英語
「可換代数:第8章~第9章」: フランス語 英語
「可換代数:第10章」: フランス語 英語
「多様体:第1章~第15章」: フランス語 英語
「リー群とリー環:第1章」: フランス語 英語
「リー群とリー環:第2章~第3章」: フランス語 英語
「リー群とリー環:第4章~第6章」: フランス語 英語
「リー群とリー環:第7章~第8章」: フランス語 英語
「リー群とリー環:第9章」: フランス語 英語
「スペクトル論:第1章~第2章」: フランス語 英語
「ブルバキ数学史」: フランス語 英語


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関連文書、関連記事:

ブルバキと「数学原論」斎藤毅(PDF)
http://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~t-saito/jd/bourbakib.pdf

ニコラ・ブルバキ著「数学史」
http://sendatakayuki.web.fc2.com/etc5/syohyou272.html

書評:アクゼル『ブルバキとグロタンディーク』
http://marcelproust.seesaa.net/article/69445059.html

浅田彰『構造と力』勁草書房
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b26745.html

浅田彰『構造と力』の書評
http://yamatake.chu.jp/04ori/2cri/3.html
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12 コメント

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『アンドレ・ヴェイユ自伝』 (271828)
2011-06-21 06:21:57
とねさん おはよう

ブルバキの中心人物の一人はアンドレ・ヴェイユですが、彼の『アンドレ・ヴェイユ自伝』を持っています。かなり昔に買ったのですが積読状態です。

私達団塊世代では彼の妹シモーヌ・ヴェイユの方がずっと有名、私も兄を知ったのはずっと後のことです。
返信する
Re: 『アンドレ・ヴェイユ自伝』 (とね)
2011-06-21 12:49:37
271828さん

こんにちは。

僕はシモーヌ・ヴェイユの名前くらいしか知りませんでした。一般の人でも知っているくらい妹さんのほうが知られていたのですね。

大学時代に数学原論をかじったとはいえ、アンドレ・ヴェイユについてはフェルマー予想が証明された時、その関連情報として知った程度でした。

今回妹さんのことをネットで調べていると、あらためて一般常識レベルのことでも、欠如している部分があるものだなと思っているところです。
返信する
構造人類学 (T_NAKA)
2011-06-21 14:05:52
レビィ=ストロースに協力したときの兄ヴェイユの仕事を簡単に紹介した「思想の中の数学的構造」(山下正男著:ちくま学芸文庫) という本がありました。
その要約をブログ記事にしたことがあります。参考までに、、

『親族の基本構造』での群論_(1)http://teenaka.at.webry.info/200611/article_27.html
『親族の基本構造』での群論_(2)http://teenaka.at.webry.info/200611/article_28.html

など。。
返信する
Re: 構造人類学 (とね)
2011-06-21 19:17:32
T_NAKAさん

面白い記事を紹介していただき、ありがとうございます。

結婚相手が限定されてしまうのは哀しいものがありますが、こういう婚姻習慣が実際に行われていたのですね。

その中に「クラインの四元群」や「4位の巡回群」が潜んでいることを見つけてしまうのもスゴイと思います。
返信する
白い尖塔 (なんだい峠)
2011-06-22 01:10:05
とね様

南台話ばかりでなく、たまには「本業」についてもコメントをさせていただきたく。

ブルバキ一派が構築した数々は言うまでもなく
20世紀数学の金字塔のひとつでしょう。

それを十分に分かった上で、しかし、次の志賀浩二先生の言葉(おそらく先刻ご承知の言葉でしょう)に大きく与したい自分もいるのです:

ブルバキの建築術は、数学という深い森の中に建てられた白い尖塔であったような気がする。それはモダンであり、かつまた瀟洒であって、そこに立って見下ろすと、森の木々の間を縫ういくつかの道のつながりを明らかにすることは出来た。しかし、木々を育てる水と土とには、結局はむえんであったのではなかろうか、と私は思うのである。

これは位相への30講のなかでの談話だったように思います。
これは多分に、私がジーゲル的な具体的数学に
興味を惹かれることと無縁ではないと思います。

ともあれ、数学は楽しいですね♪
返信する
Re: 白い尖塔 (とね)
2011-06-22 01:25:17
なんだい峠さんへ

コメントと志賀先生のお言葉の引用をしていただき、ありがとうございます。

今の日本に、というより世界にブルバキのように若い数学者が協力して新たな白い尖塔を築き上げることができるものか、数学だけでなく他の分野でも協力して後世に残る仕事をするエネルギーを持つ若者集団がいるものか、つい考えてしまいました。

1930年代のフランスに、このようにエネルギーに満ちたグループがいたことが奇跡のように思えます。

今更ながら、この原論の執筆活動が続いていればよかったと思います。

> ともあれ、数学は楽しいですね♪

同感です。今はリー群とリー環を学んでいます。少しその意味や意義が自分のものとして理解できるようになりました。

ところで一昨日あたりから笹塚のロッテリアやC&Cカレーのあったあたりの工事現場の壁が取り除かれ、新しい建物が見え始めました。駅の周辺は明るさを取り戻しつつあります。
返信する
なるほど… (kik)
2011-06-25 17:48:23
なんて言いながら、理解できていませんが…

とても熱意を感じました
また遊びにきます
返信する
Re: なるほど… (とね)
2011-06-25 20:09:06
kikさん

初コメントありがとうございます。
なるほど、こちらの記事にコメント下さったのですね。

もっと易しめの記事もたくさんありますので、またのお越しをお待ちしております。

いま、ブルバキの別の本(記事中の黄色い表紙の本)を読んでいますが、詳しく知れば知るほど常識にとらわれない結社だったことがわかってきました。熱意+才能+徹底ぶり+仲間意識がものすごいです。
返信する
Unknown (ひろゆき)
2011-06-28 00:22:52
いろいろ3月からの目標(というかイベント)はひとまず終わったので、これから物理を勉強し始めます。QMのSakuraiを読み始めます。じょじょに元のペースにギアを戻していこうと思います。並行してRyderのQFTもやってますが、ポアンカレ群、ディラックスピノルで止まってます(笑

試験前は数学をメインにやっていた(頭に負担がかからないので)のですが、やっぱり、きっちりしている学問だなぁと改めて思いました。定義、定理としっかり書いてあるおかげで、曖昧な議論が一切なく、洗練されていてすごいと思いました。。

・・・記事と全く関係ありませんが・・・。

ブルバキみたく、仲間で組んで云々を物理verでやりたいと思いますが、物理はいろいろな考え方があったりする(個性のある本がおもしろかったりする)ので仲間で、統一的にシリーズでやるというのは難しい気がします。

以前からブルバキは知っていたのですが、とねさんの記事を見て、また見てみようと思いました!

返信する
ひろゆきさんへ (とね)
2011-06-28 00:38:56
RyderのQFTを読み始めたのですね。僕も読みたいですが、今購入しても積読になるのは目に見えているので「その時」になったら注文しようと思います。

QMのSakuraiは英語版(つまり第2版)のでしょうか?日本語版は第1版の訳でしたよね。

ブルバキですが20代から20~30年もの間、協力して、というか議論し尽くしてあれだけの著作が出来上がるということは、数学にしても物理にしても、今の日本では考えられませんよね。せいぜい本1~2冊出せるくらいでしょうか。
それだけ当時のフランスは数学界が衰退していて、危機的状況から脱しなければという必要性があったのだと思います。

僕は「連続群論」と「ブルバキ―数学者達の秘密結社:モーリス マシャル」を併読していますが「ゼルダの伝説 3D」を買ってしまったため、勉強はおろそかになりがちです。小学生のようにゲームは1日1時間までとかルールを決めて遊ぶようにしています。(笑)
返信する

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