入社式から幾日かたち…。
ここはプチテレビの中にある、レコーディング・スタジオ。
ハルナは、いま、伊藤純保とスタジオにふたりきりだった。
ここ2年ほど刑事ドラマが好調なテレビ夕日に視聴率王座の座を奪われてはいるものの、
過去、トレンディドラマやバラエティの雄といわれたプチテレビである。
レコーディング・スタジオのつくりは頑丈で豪華で、控室のソファーも高級品だろう、ふわふわとすわり心地がよい。
そのソファーに埋もれるように、純保とハルナは並んで座っていた。
ハルナの隣に座る純保からは、ほのかにいいにおいがした。
なんの香水だろう。いやみにならない程度に付けている。
ハルナはつい純保を盗み見してしまう。
ネクタイをせずボタンを少しあけた胸元は、角度によって、彼の白く透き通る美肌と、それに一見似合わない筋肉が感じられた。
白い胸元から首筋に目線を移動してゆく。
優しそうで形のいいふっくらとした唇と、
すっきりとした鼻梁、一重の切れ長の目とすこし下がった眉尻がとてもかわいい。
ハルナは落ち着かない気持ちになる。
隣で 軽く目を閉じ、なにかを思案していた純保が、おもむろにハルナのほうを見た。
「ハルナ、いいかい?」
一重の切れ長の奥の潤んだ瞳でハルナをみつめる純保。
「純保先輩、わたし、・・・ダメです」
「そんなこと、言わないでよ」
純保の手がハルナの手をとる。
なめらかであたたかい掌。
「純保先輩、わたし、本当にこわいんです!」
しかし純保は手を離してはくれない。むしろキツく握り、ハルナの目をみつめる。
「大丈夫。君は何も心配する必要はないんだよ。さあ、僕のするように、してごらんよ・・・みていて?」
純保はそういうと、ハルナの手を優しくほどき、おもむろに立ち上がった。そして、息を吸った。
ハルナは、覚悟を決めた。
初めての、体験。
静寂。
純保が
おもむろにマイクに向かう。
「あ…ゴホン!」
「この夏はー!湾岸合衆国へー家族で出掛けよう!
イベントも盛りだくさ~ん!いくなら~ぁっ今でしょ!」
「ワンピース祭りも開催!めちゃいけファミリーも湾岸合衆国に登場!めざましライブでは夢のコラボもやっちゃうよ!
みんな、夏休みは湾岸にぃ~行くならぁ~今でしょっ!」
プチテレビが毎年夏に実施する「湾岸合衆国」なるイベントの、CM用のナレーション録りだ。
「きゃあ!純保先輩、すごーい!」
いつもはクールな純保が、仕事となると裏声も含む七色の声色を使い分けてナレーションをする姿を見、
ハルナは黄色い声を上げた。
「こらこら、褒めてもなんにも出ないですよ~。次はハルナの番です!」
ほめられて気を良くしたのか、純保がわざと敬語を使ってくる、かわいい。
「さ、やってみて?どうじょっ」
そう、ハルナの、初仕事なのだ…。
「あのー。純保先輩、私むりです。まだアナウンス教育きちんと受けてません。
そりゃ学校で勉強はしましたが、まだそんな…自信が…」
ミスキャン。その容姿と前向きな精神で就職試験の難関は突破したが、
アナウンス能力の実力に関しては、ほんとういうと、自信はなかった。それは自分が一番よくわかっている。
「だいたい純保先輩が教育してくれるっていうからついてきたのに、どうしていきなり本番なんですかっ。こまります」
「…まあそう言わずにさ、考えてごらん、新人がいきなりデビューだよ?
喜んで欲しいなあ。これ、ほんとは新人にやらせるような仕事じゃないんだけどさ…」
「NY支局から3年ぶりに返ってくるアナウンス室長を出迎える準備で忙しいからね。
君にお鉢がまわってきたんだよ?さあ、おいで、僕が教えてあげるから」
そういわれると、純保に手取り足取り?教えてもらえるのも悪くないような気がしてきた。
ハルナはしぶしぶソファーをたち、マイクに向かった。
自信がないなんて言ってられないんだ。
社会人になったのだから―――。
―第2話後編につづく―
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