とある、麻布十番のスターバックス・・・。
社長業を追われた紀村俊はここでアルバイトしていた—。
数々のメディアに顔出しをしてきた俊だが、都心中の都心のスタバだからか、時々かけているダテメガネのおかげなのか?
幸いにも客に気がつかれ騒がれることはない。
さすがにバイト仲間は彼がサイパーの紀村であることを知っている。
名前を見れば誰でもハッとする程度には有名人なのだ。
”バイト?どうして?”
”社長から一文無し?”
社長からフリーターになった俊に投げかけられる質問は大体決まっていた。
その都度、俊は適当に笑ってやり過ごすのだが。
実は———
金には、さほど困っていない。
いや、もちろん以前のように派手に使いはしないが、社長を追われたとはいえそれなりの報酬ももらったし、
開発したシステムの権利料は永久的に入ってくるわけだし…。
ではなぜこうして時給900円のコーヒーショップでアルバイトをしているのか?
紀村俊は、単純に労働を楽しんでいるのだ。
思えば東大在学中にサイパーをたちあげ、ずっと働いてきた。
休養するなど毛頭考えていないし、
学生らしい事をしてこなかった彼にとってアルバイトはしてみたい事のひとつだった。
しかしここからが、社長。
ただのコーヒーショップをここまでのチェーンにのし上げたスターバックス社の経営理念に興味もあったのだ…。
そんなわけで紀村俊は今日も麻布十番のスターバックスのレジに立ち、笑顔でオーダーを受けている。
・
或る日、1人の客が入店してきた。
「こんにちは~」
スターバックス式いらっしゃいませ。
客は外国人の男。外国人は土地柄めずらしくない。
「ご注文お決まりでしたらどうぞ~」
「ハイー、バニラフラペチーノにチョコレィト・チップをツイカしてくださいね?
グランデでおねがいしマスね」
「はい、…ごいっしょにアップルクランベリーケーキはいかがですか?そろそろ終わりますよ?」
「おいしそですね、お願いしまスネ」
甘党だな…俊はそう思った。
サングラスの奥で外国人の目が俊を見定め、光る。
勘のいい読者ならお分かりだろう、堀辺の隠し玉――ジョージだ。
//////////
一方、グランド・ハイアットのフレンチキッチンの個室では、
玉澤竜二、黄桜賛成、堀辺創がビジネス・ランチをとっていた。
堀辺は伊藤純保と自分の関係を、プチテレビのふたりに、ほぼ、すべて打ち明けた。
純保のプライベートな話―もちろん彼には事前に許可をとった―、細かな事は伏せたが、
堀辺の父がどれだけ純保を見守っているかは充分に伝わったようだ。
賛成など、話の途中からずっと無言でうつむいている。
親友である純保の生い立ちを知り、複雑な心境なのだろうと玉澤は思った。
「つまり伊藤にとっての、なんていうか、幸せ、…のためにプチを救ったって?」
玉澤が言う。
「ええ。平たく言うとそういうことですね」
堀辺はいつも通り静かな微笑みを浮かべている。
「話が壮大すぎて、なんと言っていいか・・・」
「堅苦しく考えないでください。父は…父はやっと、純保君の役に立てたと喜んでいます。それより、今日はお返事をいただきにきました」
JYとプチの新事業の件。
玉澤は用意していた答えを堂々と口にする。
「堀辺さん。新事業、正式に進めたいと思います」
「玉さん、それ」
賛成がやっと我に返り発言する。
つまり紀村をJYプチの新事業の中核に招く。
そういう返事でいいのか?
「そうですか。ネットとの融合はこれからの時代不可欠です。玉澤社長の英断、さすがです」
堀辺は微笑む。
「ただ、こちらにもお願いがあります。堀辺さん、あなたには出資だけでなく、共にプロジェクトの実務にも参加してほしい。
僕はあなたと一緒にも仕事をしてみたいんですよ」
「なるほど。…一度アメリカに帰らなければなりませんが、前向きに考えてみましょう」
ここにJYとプチの新事業が成立した。
3人はあらためてグラスを合わせ乾杯した。
堀辺の携帯がなる。
「ああ、・・・電話だ。ちょっと失礼しますね?」
テーブルナプキンを置き席を立ち個室からでていった。
ふたりになり、賛成が玉澤に話しかける。
「玉さん、ほんとに大丈夫なんですか?」
「ああ、伊藤の話を聞く前から気持ちは固まってた。俺はこの新事業が楽しみでたまらない。わくわくしてるんだ。
いままでのおやすみライブだってほとんど紀村くんが仕切ってたようなもんだろ?
プチのエンタメ事業に彼が参画してくれるなら、むしろこっちが頭をさげてきてほしいくらいだ。
ネットと放送の融合。いいぞ、おもしろい。彼以上の適任者がいるか?いや、いない。」
「…それはそうですが」
「賛成?おまえが気にしてるのは別の事だろ?・・・ミーのことは気にするな。
こないだも言ったけど、全然別の話だよ?俺はミーと紀村がヨリを戻したって気にやしないさ…」
「・・なら、いいですけど?」
「おい~!妙な気まわすな!おまえはやっぱりまだまだ子供だにゃあ?
公私混同するなよ。しっかりしろ?今回みたいにラッキーな事、二度はないぞ?俺もお前も気を引き締めないと…」
「ほんとにその通りです…僕がしっかりしてないから。すみません」
「なんだ?今日はずいぶんしおらしいな」
実は賛成は、この一連の騒動を経験し、ずっと”或る事”を考えている。
まだ迷ってはいるのだが・・・。
「ところで玉澤さん、紀村さんは今どこにいるんでしょうね?」
「ああ…」
たしかに、この話をしようにも紀村の居場所が分からなければどうしようもない。
そこに電話を終えた堀辺が帰って来た。
「すみませんでした、食事を続けましょう。どうですか?ワインをもう一杯」
「ええ。もちろん。いやあ、ここのパテは絶品ですね」
「ええ、ここは野菜もうまいし。あの、堀辺さんは彼の自宅を知ってますか?」
「俊の自宅?知っていますよ?ただ、彼は既に引っ越しています」
堀辺はメインの鴨のコンフィにナイフを通しながら話した。
「だとすると、早く彼を見つけないと…」
自分で新事業を始めたり、海外にいってしまう可能性も充分にあるだろう。
「それならご心配なく。今、見つかりました。」
「え?」
「今?」
プチの二人が声をあげる。
「見つかりました。このすぐ近くです」
堀辺はにっこりと微笑んだ。
//////////////
麻布十番スタバ。
「豆乳の人にはちゃんと豆乳のカードをわたしてください」
「はい、すんません・・・」
俊がバイトの先輩に注意されていた。
「紀村サン、今日はハロウィンなんで、レジ担当はこれを付けてくださいね」
「え!これ?!え~……はい・・・」
ここで働き初めてまだ10日とたたない。覚える事がたくさんだ。
しかしまさかこんなカチューシャまで・・・。
付け始めて数時間。
パンプキン・カチューシャにも慣れたころ、アンニュイな雰囲気の男が入店して来た。
黄桜賛成だ。
グランドハイアットからその足でここにやってきた。
「黄桜・・・」
「紀村さん。ぼくらと一緒に働きませんか?」
「なんだよ開口一番。・・・血迷ったのか?」
「プチはJYと組んで新事業を立ち上げます。エンタメをWEBと放送で融合させたニュー・ジェネレーションの新事業です。
あなたの力を貸してください。僕らと一緒に――」
「お客様、注文をどうぞ」
俊は賛成の言葉を遮りレジに誘導した。
「ご注文を」
「じゃあ、アイスコーヒーのトールで。…ねえ紀村さん、あなたの開発したPanstagramと番組を連動させて…」
「340円です」
ポケットから札入れを出しカードで支払う。
「サインレスですので~」
「来てもらえませんか?プチテレビに」
黄桜賛成、渾身の一言だった。
すべてを受け入れ、流し、新しい気持ちで俊にむかいあう。ひとりの副社長として。
その真剣な眼差しに紀村も思わず賛成を見つめ返した。
「…お願いします。一緒に仕事しましょう。このビジネスにあなたの力は不可欠です」
「次の、…お客様が待ってらっしゃいますので…」
「———紀村さん、俺、正直、一緒に働くなんてあり得ないと思ってました、ほんの最近まで。
だけど玉澤さんのプラン面白いんです。世の中をもっと明るくして、もっと好きになりたい、そんな愛に溢れています、だからあなたの力が必要なんです。
あ、マフィンもください。――また来ます」
賛成は店を出ると目の前に停めてある車に乗り込んだ。
玉澤は気分転換に自家用車を運転して移動していたのだ。
「どうだった?」
「いました。・・・手強いです。どうします、玉さん、行きますか?」
「いや・・・日を改めるよ。今日は会社に戻ろう」
玉澤にはなにか策があるのかもしれない。
賛成はアイスコーヒーをすすった。
「どうします?こんな時ですし…」
「いや、みんなも楽しみにしてるだろう?決行するよ。20時におまえんちだよな。
悪いが会社に戻る前に買い物に付き合ってもらうぞ」
「今年はどうするんですか…?」
「まだ迷っている…」
玉澤は運転に集中した。
「バンパイアと男爵を混ぜるのはどうだろう?」
「ドラキュラ伯爵っていいますしね。違和感ないと思いますよ…」
アクセルを踏みスピードを上げた…。
//////////
そして、同じ日の夜。麻布十番スタバ
「紀村さん!」
「伊藤くん・・・君まで!そのカッコ…!なんだよ、プチって、いったい、なんなんだよ?!」
「いや、違うんです。今から賛成の家でハロウィン・パーティなんです」
この近くなんすけど、まだちょっと時間があって・・・。
社長が気合入れて用意してるらしくって、早めに着いちゃダメって言うんですよ~。
あ、スターバックスラテとキャラメルマキアート、テイクアウトで下さい」
「まったく・・・。おい、明日は誰がくるんだ?」
俊が皮肉まじりに笑う。
「賛成にこっそり聞いちゃいました、ここで働いてるの。…みんな心配してるんです。紀村さんのこと」
「なんでだよ?俺は敵だった男だぜ?君らに心配されるような事じゃないだろ・・・」
紀村は純保の手から千円札をむしりとり、とっとと会計をすませた。
「飲み物は右手の赤いランプの所からお出ししますので…」
「紀村さんの経験が必要なんです。一緒に働きましょう?
そうだ、なんならパーティ来ません?紀村さん仮装似合いそうですし…」
(純保のイメージ)
「仮装か…うん、確かに好きだ。いや?!行くわけないだろ?」
「…出会い方によっては仲良くなれたかもしれない、、、って、言いましたよね?
俺、嬉しかったです。だから、今から仲良くなりませんか?!
いつだって、どこからだって、やり直しはきくんです、きっと…」
純保はつい自分の事と照らし合わせているのだ。
まだ堀辺の話を咀嚼しきれていないが、ただ感じる、自分がいろいろな人に愛されていることを。
愛というものの本質に触れはじめている。
愛されるより、愛したい…。
俊は答える。
「俺、自分がホントに何をしたいのか考えてるんだよ。
新事業か…。でもさ、いままでとぜんぜん違うことに挑戦してみるのもいいと思わないか?
たとえばこういうカフェとかさ?だれかの息抜きの場を提供できるなんて、最高だろ?」
「――やってるじゃないですか」
「え?」
「紀村さんはもうそれをやってるじゃないですか。いつだってあなたが作るものはだれかの息抜きになってますよ?」
紀村が開発して来た様々なSNS、おやすみライブに代表されるイベント。
そのすべてが疲れた現代人へのちょっとした癒しの場になっている。
「一緒に働きましょうよ?新事業はあなたにしか出来ない事です」
「・・・飲み物できてるぞ?」
そっけない俊を残念におもいつつ飲み物を受け取る。
店を出る時、話しかけた。
「あの、紀村サン、明日って…」
「早く行け。…パーティ始まるぞ?」
意図的に言葉を遮られたな、、純保はそう思いながら賛成の家へ向かった。
///////
そして次の日の朝。
再び麻布十番スタバ。
渋みばしったガタイのいい男が颯爽と入店し、真っ直ぐにレジへ向かう。
「アイスコーヒー!」
「サイズは・・あ?」
レジにはもちろん俊。顔をあげ客の顔を見ると、それは玉澤だった。
「紀村くん、元気か?」
「まったく、入れ代わり立ち代わり。暇なんだなプチテレビは。
…どうだったんですか?ハロウィンパーティは?」
「まあ、なかなかだったよ。賛成の死神とか、張本もなんかよくわからんかったが・・。
まあ俺のが一番よかったな」
「今日は社長として来たんじゃない。ひとりの男として来た」
「はい?」
「すまなかった。君の恋人なのを知ってて俺はミーに手を出した」
「・・・・・・」
「卑怯だったと思う。謝るよ」
「謝るって・・・」
「だけど本気だった」
無言のふたり。
緊張が走る。
「だけどミーは、―――ミーは君のことが好きみたいだ。
もう別れたんだ、俺たち。水に流してくれとは言わないけど、それだけ伝えておきたくてな?」
ニヒルな笑みを浮かべ紀村からアイスコーヒーを受け取りると、小銭を置いて店から出て行った。
紀村はしばし呆然としていたが、やがて正気にもどりトレイを見る。と、
350円。
グランデは380円なのだが…。
「た、足りない…!」
ため息と同時に玉澤のその憎めないキャラクターを思い出し、おもわず笑ってしまう俊だった…。
・
玉澤はアイスコーヒーを飲みながら麻布十番の街をあてどなく歩く。
いい街並だ。
都心にあってこの落ち着ける雰囲気。
広場で立ち止まるとケータイを取り出した。
ミーコは、昨日のパーティには来なかった。
少し考えるが、やはり、と思いメールを打ち始める。
(今日はミーにとって特別な日だからな…。)
なんどか文章を書き直し、送信ボタンを押した。
―29話後半につづく―
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