続・おじじの雑記帳&まゆつば実験

日々、興味のあることを記事にしてみたい。
又、オーリングによる地震予測「まゆつば実験」も時折載せます。

小説「津軽」の旅

2009-08-22 14:40:06 | Weblog
「太宰治生誕100年」ということや「あおもり検定」の問題の中に小説「津軽」から出題されるということもあり、もう一度小説を読み直してみてこの中の「旅」をしてみようという誘惑に駆られた。

私は太宰の小説をすべて読破したわけでもなくどちらかいうと「心中」した作家のイメージが強く、好きだったわけでもありません。

しかしながら、いろいろな情報に接するうちにそこに太宰自身の生き様をも見え隠れするようで津軽を紹介するだけでなく何があるのか探っても見たいと思います。

小説「津軽」の見開きに津軽に降る七つの雪が載せてあります


こな雪

つぶ雪

わた雪

みず雪

かた雪

ざらめ雪

こおり雪

同じ雪にもさまざまな表情があるように人にもいや人生にも・・・


太宰の評価は二分されるのではないか

人間「津島修治」は心中未遂、薬物中毒、不倫、最後には心中してしまう
まことに「人間失格」そのものであり、地元の人たちからも「めぐせぇ」「はんかくせぇ」(恥ずかしい)と思われていることが多いのである。

半面、小説家「太宰治」は文体の巧みさやユーモア、また『葛藤』や『悩み』を書いた文章に共感を覚える人たちも多い(今もなおすべての文庫本が残っている)

そういうことも太宰の「生い立ち」に深く関わっている

金木町の大地主「ヤマゲン」の六男として生まれ、厳格な父と病弱な母から「愛されていない」と思いながら叔母「キエ」、子守「タケ」、使用人「アバ」等に囲まれて育てられた。
昔は長男以下は「おんじかす」(おんじ=弟、かす=糟)と呼ばれ、一段低く見られた。

それがゆえに太宰は「小説」を書き有名になる(芥川賞をとる)ことで親に認められたかったのではないのかと

この小説「津軽」は出版社からの以来もあるが自分の育った愛する「津軽」をもう一度見つめなおすためのものであったのではないかと思う(真実もありフィクションもある)


前置きが長くなりましたが「序編」です。

さて、太宰はこれまで「金木」「五所川原」「青森」「弘前」「浅虫」「大鰐」を見ただけでほかの町村は知ることがなかった。

そこで津軽のほかの町を見聞きし


専門科目「愛」を追求できたなら・・・

金木

太宰の生家「斜陽館」



隣接する金木観光物産館「マディニー」に太宰が着たのと同じ「マント」を貸し出し中、気分だけでも「太宰」に



その隣には津軽三味線会館




「五所川原」は本編で紹介します。


「青森」

太宰が「青森中学」時代に暮らした町

下宿していた家の隣に棟方志功の菩提寺でもある「常光寺」(ここの境内で身体を鍛えるためにダッシュの練習をしていたという)



ここから「堤川」を渡って学校へ



学校は現在「青森市営球場」となっています



青森の桜の名所でもあり市民憩いの公園「合浦公園」の中にあります





長いので続く・・・
コメント
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