今日から三日間ほど傘マークの出ている呉市です。
今日は、夕方から雨のようです。
水不足なので、恵みの雨になってくれるとよいのですが。
被害が出るような雨の降り方はしないと思うのですが、一度にたくさん降らないでほしいですよ。
妻は、今日の夕食は新しい油を使って天婦羅を作ると言っていました。
来週の月曜日か火曜日に、孫に頼まれている唐揚げを作るのでしょう。
新しい油で唐揚げをするのは、もったいない気がすると言っていました。
私は、料理は何もしないのでそのあたりのことはよくわかりません。
私は小学校の時の5、6年生の時の家庭科の授業で裁縫や料理などがあったのですが、私の母が先生に『男の子にそんなことを教えてもらわなくてもいいので、私の子には何もさせないでください』と申し出ていましたからね。
今では考えられないことでしょうが、大正生まれの母としては男の子は裁縫・料理などしなくてもよいと思っていたのでしょう。
大学時代は、寮にいるときは学食で食事は済みますし、ボタンが取れたりズボンが破れた時は寮母さんに頼んでいました。
下宿をしてからは、近くに学生専門の食堂がありましたから。
ボタンが取れたり、図本が破れたりしたら、同じ下宿に器用な後輩がいましたので頼んで直してもらっていました。
その時は、ちゃんと夕飯をおごっていましたけどね。
最近のお父さんは、なんでもできる人が多いようです。
婿さんも、自分で作って食べたりしていますからね。
そういうのを聞くと肩身も狭くなりますが、今更変われないですから。
私は、今のままを通しますけどね。
今日は、私は年賀状の印刷を終えますよ。
みなさんも、素適な一日を元気に楽しくお過ごしください。
自炊生活をしていました。
主に夕食を作っていました。
働いていたところが田舎で
外食が出来なかったため。
今、何もしないと、おそらく家に居られませんね。
私の息子は40歳過ぎまで独身でしたが、昼・夕は会社の社員食堂で済ませていたようです。
学生の時は、時々自炊をしていたようですけどね。
といっても、ご飯だけ炊いておかずは出来合いの物を買ってくるというものですけどね。
料理ができる人って、尊敬しますよ。
いつも、ありがとうございます。
我が家は父親が長年患っていましたが、すべて母がしてくれていましたからね。
父親の入院中は、父のために朝・昼・夕食を作って病院に届けていました。
その間、留守番をするくらいだったので・・・
今は妻が仕事をしていますから、朝洗濯物を干して、午後3時過ぎに取り込むのが私の仕事です。
後は、植木の水やりくらいでしょうかね。
かろうじて、家に置いてもらっていますよ。(笑)
いつも、ありがとうございます。