交通事故と闘う

私の父は交通事故に遭い、脳に障害を負いました。加害者は謝罪せず、損保の対応は二転三転..。その「闘い」を綴っています。

損保のバカさ加減

2005-04-29 23:35:24 | 交通事故と闘う
久しぶりの書き込みです。
今日は、既に忘れ去られようとしている感もありますが、先般の、明治安田生命の保険金支払い拒否事件に関連して、おもしろい記事を「日経ビジネス」で見つけました。

明治安田生命の厚顔、「不祥事は語らず、業界団体トップには就任」

こんなタイトルが付いていましたが、要は「業界団体の会長を持ち回りで決めていて、たまたま順番に当たった明治安田が不祥事を起こしたが、そんなのお構いなしに代表になっちゃった(笑」というところです。
何でも、業界団体の代表者交代にしては異例の記者会見(記者の人数)だったそうですが、新代表者当人がトンズラ(笑)したのか、記者会見の場に出てこなかったようです。前任者が出席しないのはまぁ分かりますが、これから代表となる方が欠席とは、さすがは損保、世間一般とは常識のレベルが違いますね。

閑話休題。先週末に身内の不幸があったため、ブログどころではなかったのですが、ちょうど尼崎線の脱線事故の話題で世間は持ちきりでした。
私にとっては、1人の人間の死を間近に見たその日に、100人余りの命が一瞬で奪われたというニュースを聞いたわけですが、世間一般、どうも人の死に慣れすぎているのではないか、そんな気がしてなりません。

「保険」はリスク分散のための優れたシステムです。しかし現実には、「保険」があることが安心材料になり、少々の危険を冒すことに目をつぶったり、あるいは金に飽かせて道義的責任を免れようとする輩が多いのも事実ではないでしょうか。
また、脱線事故で100人も死ぬと「悲惨だ」とか「許せない」という話になりますが、毎年毎年、その約100倍(約1万人)の人間が交通事故で命を落としていることを考えれば、ある意味あんな脱線事故は大したこと無いとも言えるのです。

日々の生活の中で、脱線事故よりは、車の事故の方が、身近なところに存在します。
脱線事故を単に「電車の事故」と捉えるのではなく、毎日の生活で余裕を持つことの大切さ、人の命を尊ぶことを学ぶ機会にしたいものです.....。