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ぶらぶら日記

ぶらぶらしてます。

音楽の話 (46)

2020-03-12 16:25:42 | 思い出
 音楽の話 (30)で少し触れたが、私は女性のフォークデュオといえば、ベッツィ&クリスとシモンズを思い出すのである。

 今回はそのベッツィ&クリスを取り上げる。どちらともハワイ出身と思っていたが、ベッツィだけとわかった。クリスはアイダホらしい。69年に「白い色は恋人の色」でデビュー。北山修と加藤和彦が作詞・作曲している。この曲で彼女たちは素晴らしいハーモニーを聞かせてくれる。

 セカンドシングルは作詞作曲は同じコンビ、「花のように」、これもいい曲だ。「白い色は恋人の色」ではイントロがアコースティックギターで始まるが、この曲はストリングスで始まる。

 その後、数曲出すが私は、「美しいものたちよ」が好きだ。やはり北山修と加藤和彦が作詞・作曲している。

 その後とんと音沙汰を聞かなくなったが、NHKで10数年前に「ベッツイ&エマ」として、ベッツイだけ娘のエマと共演したのを見た。

音楽の話 (45)

2020-03-11 19:08:46 | 思い出
 今回はバンバン。バンバンの代表曲といえば「『いちご白書』をもう一度」である。作詞作曲は荒井由実(松任谷由実)。実はこの曲の発売された年(75年)は、私が中学3年生の年だった。ラジオの深夜放送好きの私は、谷村新司のセイヤングのリスナーだった。その時、ばんばひろふみが「超心理学講座」なるコーナーに携わっていたと記憶している。発売前紹介されて「いい曲だなあ」と思った。発売日に私の住んでいる市のレコードショップには売ってなくて、隣の市まで電車に乗って買いにいった。

 学生運動が下火になり、なんとなく(私の年齢からみたら)大人が自信を無くし、挫折みたいなものを私にも読み取れた。その後、「霧雨の朝突然に…」(荒井由実)、「縁切寺 」(さだまさし)とシングルを出すも、「『いちご白書』をもう一度」があまりにもヒットしたので、後の曲はかすんでしまった印象。

 谷村新司のセイヤングのリスナーだった私は、「永すぎた春」も忘れられない曲である。

音楽の話 (43)

2020-03-10 09:51:40 | 思い出
 今まで、68~75年ぐらいの日本のフォークソング界を書いてきた。実はフォークとニューミュージックの区別がなかなかつけづらい。今まで書いてきた歌手やグループはフォークが多いとは思う。

 このグループはフォークというカテゴリーに入れてよいと思っている。「シグナル」である。出身が滋賀県や京都なので一応関西フォークか?でもあまり関係ないかな?

 代表曲は何といっても75年の「20歳のめぐり逢い」である。イントロのギターが印象深いし、歌いだしの「かぜにぃ~」からずーっとハイト-ンボーカルである。私はシングルレコードを買って持っている。ラジオで聞いて気に入って買ったのではないかと思う。というのはテレビで見た記憶が全くない。

 みんな元気なんだろう。年齢は60代後半に差し掛かるぐらいだ。

音楽の話 (42)

2020-03-09 13:35:15 | 思い出
 ふとした時に思い出すフォークグループがいる。そんな一つが、猫である。猫の最初のヒット曲は何といっても吉田拓郎作詞作曲の「雪」。「ゆっきでした~」という歌いだしで私もシングルを持っていた。やはり、拓郎はヒットメーカーとしておそるべし!である。一時、拓郎のバックバンドを務めたと聞いている。

 次のヒット曲もまた拓郎の「地下鉄に乗って」(作詞は岡本おさみ)である。私はこの曲のほうがよく覚えている。「おきざりにした悲しみは」同様、ラジオの「欽ちゃんのドンといってみよう!」という番組で良くかかっていたからだ。田舎の小学生だった私にはよくわからなかったが、後年その地下鉄が「丸の内線」であることを知る。歌詞の内容は、恋人と最後は分かれてしまうと思っていたが、今考えると地下鉄の中でタイプの女性を見つけて妄想の中の恋かもしれないと解釈もできるがそれは考えすぎか?

 73年にリリースされた「戻ってきた恋人」も拓郎の作品(作詞は安井かずみ)で、これは拓郎のLP「今はまだ人生を語らず」に収録されている曲だが、猫の方が早く発表されている。猫の曲の中では「各駅停車」が一番好きな曲かもしれない。イントロのホーンセクションと男くさいボーカルが何とも言えない。

 解散後、数度再結成という形で一緒にステージに立ったが、メインボーカリストの田口清が91年に42歳で死去。

音楽の話 (41)

2020-03-08 18:45:04 | 思い出
 音楽の話 (40)のクラフトより少し前にヒットを飛ばしていたのが、ニュー・サディスティック・ピンクである。私にはNSPの方がなじみがある。

 73年「さよなら」でデビューするがこの曲はその時は知らない。この曲を知ったのは、彼らのベスト盤を買った時だから十数年前である。私がはじめて彼らの曲を知ったのは、74年の「夕暮れ時は寂しそう」である。曲の中にある「ごめんごめん」という歌詞が印象深い。

 その後、「赤い糸の伝説」「線香花火」「弥生つめたい風」「北北東の風」など心に残る曲を発表。かぐや姫が先駆けだった叙情派フォークに属す。

 それから数年を経て休止状態となる。メンバーだった天野滋は、いろんな歌手に楽曲を提供するが、2005年の52歳という若さで亡くなる。