和歌山県田辺市の会津川の河口に築城された田辺城を見に行ってきました
1606年(慶長11年)、甲斐から紀州に移封した浅野幸長の家老、浅野左衛門佐氏重(知近、良重、氏定)が新築したお城です。
残念ですが、残りが悪く水門と新しい石垣しか残っていませんでした。
でもこの人物、甲斐時代には都留市の勝山城を築城した人でもあるんです。
ですから、我々は浅野家の普請や作事の総元締めと睨んでいるんです。氏重が、甲府城築城の総責任者ではないかと。
そしたら、国立公文書館にその証拠が・・・
やがて氏重は、1619年(元和5年)に浅野本家と芸州(福島正則の旧領)に移るのですが、お家の中の揉め事により親子で切腹。
あんまり記録が残されていない理由ですかね。
残念。 合掌
ところで、もう一人。浅野家で普請に長けた人物がいるんです
そのお話は、また次回にしますが、今までまるで分らなかった甲府城築城の歴史が徐々に見えてきた気がします
1606年(慶長11年)、甲斐から紀州に移封した浅野幸長の家老、浅野左衛門佐氏重(知近、良重、氏定)が新築したお城です。
残念ですが、残りが悪く水門と新しい石垣しか残っていませんでした。
でもこの人物、甲斐時代には都留市の勝山城を築城した人でもあるんです。
ですから、我々は浅野家の普請や作事の総元締めと睨んでいるんです。氏重が、甲府城築城の総責任者ではないかと。
そしたら、国立公文書館にその証拠が・・・
やがて氏重は、1619年(元和5年)に浅野本家と芸州(福島正則の旧領)に移るのですが、お家の中の揉め事により親子で切腹。
あんまり記録が残されていない理由ですかね。
残念。 合掌
ところで、もう一人。浅野家で普請に長けた人物がいるんです
そのお話は、また次回にしますが、今までまるで分らなかった甲府城築城の歴史が徐々に見えてきた気がします
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