よみがえる鉄門
今日で10月も終わり…
あっという間に11月です
この分だと11月20日の県民の日もあっという間に来てしまいそう
さて、今日は未来を担う大工さんのたまごが鉄門の見学に来ました
一番手前は、みんなに説明をしている現場代理人の神田さんです
普段は学校で大工の知識を学んでいるそうですが、せっかく鉄門という
立派な建物を建てているんだから現地で大工さんの仕事を見たい
ということで、来てくれました
現場代理人の神田さんや大工の棟梁や同世代の若い大工さんに、同世代ならではの疑問を聞いたり…
みなさん鉄門工事現場の隅から隅まで見学して帰っていきました
一般住宅とは異なり、在来工法にこだわって進めている鉄門。
見学が終わった後は、みなさんやる気があがったようでした
いろんな現場を見て、たくさん吸収して、立派な大工さんに
なってくださいね
あっという間に11月です
この分だと11月20日の県民の日もあっという間に来てしまいそう
さて、今日は未来を担う大工さんのたまごが鉄門の見学に来ました
一番手前は、みんなに説明をしている現場代理人の神田さんです
普段は学校で大工の知識を学んでいるそうですが、せっかく鉄門という
立派な建物を建てているんだから現地で大工さんの仕事を見たい
ということで、来てくれました
現場代理人の神田さんや大工の棟梁や同世代の若い大工さんに、同世代ならではの疑問を聞いたり…
みなさん鉄門工事現場の隅から隅まで見学して帰っていきました
一般住宅とは異なり、在来工法にこだわって進めている鉄門。
見学が終わった後は、みなさんやる気があがったようでした
いろんな現場を見て、たくさん吸収して、立派な大工さんに
なってくださいね
今から290年前の享保9年(1725年)の3月11日のこと
約20年間甲府城の主であった大名柳沢氏が大和郡山(現在の奈良県)へ移封することとなりました。
柳沢氏は6月には甲府城を幕府に明け渡し、
甲斐国は幕府直轄地となりました。
甲斐国の支配体制はあらためられることが決まり、
7月には小普請組支配から2名の甲府勤番支配が任命されました支配役の下には、200石以上の小普請組から選抜された200名の勤番士が配置されました。
新たな体制がスタートし、10月にはいると勤番支配による甲府城受け取りが完了、勤番士たちの引越しが始まりました
勤番体制は山手、追手のふたつの組による月番交代で、甲府城の守衛および町政がおこなわれました。
急遽きまったできごとに、とまどったことでしょう
現在では車や電車で約2時間ほどで行き来できる山梨-東京間ですが、
江戸時代は急ぎの旅で2泊3日といわれています
甲府勤番となった人々が甲府にむけて引越してきたのが、ちょうど290年前の10月~11月、ちょうど今頃の季節なのでした
今日の甲府城
約20年間甲府城の主であった大名柳沢氏が大和郡山(現在の奈良県)へ移封することとなりました。
柳沢氏は6月には甲府城を幕府に明け渡し、
甲斐国は幕府直轄地となりました。
甲斐国の支配体制はあらためられることが決まり、
7月には小普請組支配から2名の甲府勤番支配が任命されました支配役の下には、200石以上の小普請組から選抜された200名の勤番士が配置されました。
新たな体制がスタートし、10月にはいると勤番支配による甲府城受け取りが完了、勤番士たちの引越しが始まりました
勤番体制は山手、追手のふたつの組による月番交代で、甲府城の守衛および町政がおこなわれました。
急遽きまったできごとに、とまどったことでしょう
現在では車や電車で約2時間ほどで行き来できる山梨-東京間ですが、
江戸時代は急ぎの旅で2泊3日といわれています
甲府勤番となった人々が甲府にむけて引越してきたのが、ちょうど290年前の10月~11月、ちょうど今頃の季節なのでした
今日の甲府城
教安寺には徳川家康の8男仙千代の廟所(びょうしょ)があります。
どうして家康の子どものお墓が甲府にあるのだろう?と思い、
調べてみると……
甲府城と深~い関係のある人物が見えてきました
その人の名は「平岩親吉」です
徳川家康のもとで2度にわたり甲斐の国の経営を任された人物です
親吉は幼少の頃より家康に仕え、同い年の家康の側近として
常にその行くところに従いました
家康が6歳で尾張織田氏の人質となったときも、8歳で今川氏の
人質となったときも同行した間柄
家康の親吉への信頼は厚く、家康の長男信康や、9男義直の
教育係もしていました。
軍事面での功績ももちろんです
関が原の戦いにも従軍し、翌慶長6年(1601)に甲斐国への加増転封
の沙汰を受け、甲府城6万3千石の領主となったのです
しかし、親吉には子がなく、平岩氏が断絶することを惜しんだ家康は、
8男の仙千代を養子として親吉に与えたのです
仙千代は4歳まで母親と伏見で暮らし、慶長4年に大阪に移り、
翌年わずか6歳で早逝してしまいました
そこで、親吉は教安寺を菩提寺として仙千代を弔ったという訳です
その後、徳川義直付の家老として尾張に移ることとなり、仙千代の
菩提寺も清洲に移されています。
親吉は慶長16年(1611)に亡くなり、平岩家も断絶してしまいますが、
仙千代の墓所も親吉の墓所も尾張藩によって厚く保護されたそうです
11月20日の県民の日
甲府城ではひらけ!玉手箱のイベントが行われます
ついこの間、夏休みの展示会とイベントを行ったような感覚でいたら、もう県民の日のイベント間近(´Д`)
毎日仕事と並行して、県民の日に向けた準備も着々と行っています
そんなあわただしい時こそ気持ちを落ち着かせ、集中して書道を・・・
といきたいところですが、
この筆と硯と墨は県民の日のイベントで使用します!
何に使うかは当日のお楽しみです(*^_^*)
◎県民の日イベントの詳細はこちらひらけ!玉手箱をクリック(`・ω・´)
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