「成人」ランナー“フル完走112回”ひで会長の日記

フルマラソン完走112回まで到達! ランナー生活32年、ランナーズマイスターのシン・ランニングクラブ会長マラソン日記

私のランナー履歴書 5 「ランナー創成期編(2) 20km、ハーフを主戦場にレースに本格参戦、”やればできるじゃん♪”も・・・」

2018年08月26日 | 私のランナー履歴書


無謀なる30kmレースで最下位になった私は「マラソンの素質はない」と思いつつ、次なる目標として当時(90年代前半)の市民マラソンで主流種目であった20km、ハーフへと挑戦していくのでした!





1993年当時は市民ランナー自体の人口もまだまだ少なく、フルマラソンもなかなか手が届かない(そもそも大会数も少なかった)時代であり、市民マラソン大会は20kmやハーフマラソンが花形種目でありました。

30kmレース(新春マラソン)では最下位という超・大撃沈をした私も20kmくらいまでは一応は走れていたため、20km程度ならまだ走れるだろうということで次なる目標として当時は3月に20kmレースとして開催されていた神奈川マラソンにエントリー!

この神奈川マラソンではやはり30kmを経験していたこともあり走り切って(タイム的にも1時間40分を切って)ゴールすることができました。

次にエントリーしたのは当時5月に開催されていた「まほろば国際マラソン」という厚木基地の中を走るハーフマラソンです。(現在は大会廃止)
私にとって初ハーフということになります。
この大会では1時間43分でゴール!

これまでマラソンには全く素質がないと思った私でも

「やればできるじゃん♪」

と初めて思えるようになってきたのでした!

それまでは練習も平日の昼休み程度だったのが休日にも練習を行うようになり、距離も少しずつ延びていきました。
秋には浦安ベイシティマラソンと第1回だった小川和紙マラソン(いずれもハーフ)にも出場し、小川和紙ではハーフで初めて1時間40分を切ることができました!





「こうなったら30kmもリベンジだ〜!!」

翌1994年の新春マラソンでリベンジレースに挑んだのでしたが…。

結果は前年と同様にボロボロの3時間半越え〜〜!!!(笑)

これにより、私の創成期はハーフを主戦場にする反面、フルマラソン挑戦からは大きく遠ざかるのでした・・・。
(続く)


フルマラソン年間11本完走に挑戦中!
秋には松本、みやぎ復興、横浜、つくば、さいたま国際の5連戦にも挑戦!!
ぜひ下記リンクへの応援クリックをお願い致します!!!
(読者登録、応援コメントも歓迎いたします)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 私のランナー履歴書 4 「... | トップ | 私のランナー履歴書 6 「... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

私のランナー履歴書」カテゴリの最新記事