前の記事は頂き物の新刊書だったんだけれど、今度は最近購入した本など。
昨日、アマゾンから一枚のCDが届いた。
何度か「入手できないのでキャンセルしますか」と言うメールが届いていたヤツだ。
今調べてみたら、注文したのは2009/3/2。
Bitter Funeral Beer Band 『Live In Frankfurt 82』
いまも「一時的に在庫切れですが、商品が入荷次第配送します。」になっている。
*しかし、日本盤が「在庫あり」。ショック!
82年のライブが、2007年に発売され、日本盤は去年出たと言うことか。
ドン・チェリーの『Bitter Funeral Beer』は、学生の時、図書館でレコードを借りて聴いた。
兄の知り合いからファラオ・サンダースを薦められたり、アブドラ・イブラヒム(その頃はまだ“ダラー・ブランド”だった)が好きだった時期で、フリージャズの周辺にいる人たちに興味はある物の、買うのは恐かったんだろう。
カセットテープにダビングして良く聴いていたんだけれど、何かの拍子にアマゾンでライブ盤を見つけて購入したと言うわけだ。
メンバーがどう違うのか、とか、詳細は判らないし、日本盤でもないので解説もない。
ただ、ネットで調べてみると“オーガニック”とか“スピリチュアル”とか、“癒し”とかいうキーワードで語られているのに、ちょっと驚く。
実際そういう背景はあったのかも知れないし、ある意味プリミティブな宗教体験の音楽だとは思うんだけれど、今の流行の元祖みたいに語られるのはどうなんだろう。
何はともあれ、聴いて、色々甦ってきて、感動した。
今は、youtubeでブツ切れながら動画も見られる。若い白人のミュージシャンたちがこういうことをやってたんだなぁ、と言うもの感慨。
色々あっても、良い時代になったな、と思う。
アマゾンではついつい“大人買い”してしまう。
注文してあった渡辺保の『江戸演劇史』上下二冊が少し前に来たのでパラパラ読んでいる。
1000頁を超える書き下ろし大著。
ご本人が後書きで語っているように、この本は所謂“文学史”と違って、読み物として非常に面白い。人物が生きている。
細かな目次を頼りに“必要”な情報を探って、どこからでも読めるのだけれど、その前後が有機的に繋がっているのでついつい周りまで読んでしまう。
研究書としては、個別の情報源について一々典拠を示しているわけではないので、“裏を取る”作業は難しく、引用しづらいと言う難点はあるけれど、こういう歴史記述によって、その対象物に興味を持つ若い人が増えてくれたらとても悦ばしい(若い人は買わないか……)。
そういえば、私は江戸文学史を重友毅の『日本近世文学史』 (1952 岩波全書)で学んだのだった。当時のスタンダードは神保五弥の『近世日本文学史』 (1978 有斐閣双書) だったはずで、両方持っていた(今でも)けれど、私は、断然重友派で、それは、今の文学観や歴史観、あるいは歴史記述観まで決定づけてしまっているように思う(これは、私の研究を知っている人なら簡単に納得できるはずだ)。もしかしたら松田修より先にこっちに影響を受けていたかも知れない。
話が逸れた。
完読しないうちに言うのも何だけれど、『江戸演劇史』は今年の大きな収穫として必ず残ることになると思う。
こういう文学史がかける人が出てくれないかな~(と、他人任せで……)。
完読しない話のついでに……。
私は本を買っても完読することはほとんど無い。
上に書いたように“必要”な所の前後を拾い読みしたり、目次や序跋をチェックして、あとは“積ん読”。読むため、と言うより調べるために買っているのだ、と言う意識が強い。
ところが最近、到着した直後に読み始めてそのまま完読してしまった本が一冊。
穐吉敏子『ジャズと生きる』(1996 岩波新書)。
先日穐吉敏子のライブに出かけた記事を書く時に情報検索したら出てきたので買った。
これは本当に面白い。
長いことファンでもあり、何度もライブに行っているから、おおよそのバイオグラフィーは何となく知っているつもりでいたのだけれど、ご本人が、極主観的に書いた記述が、引き揚げ者の、女性の、音楽家の、しかもジャズミュージシャンの、歴史の、いわば、アナール派的記述として、様々な問題を提起して、どこからでも議論を始められるボリュームを持っている。たかだか新書230頁の内容が、世界の見方を示してくれる教科書になる。人生の指針になる。
反復して出てくる謙退と矜恃、娘への謝罪(?)の言葉からは、今も美しく、姿勢正しい彼女のお人柄が伝わってくる。
よく生きている人は、よく観、良く聴き、よく現すことが出来るのだろう、などと、いささか陳腐な感想をもった。
昨日、アマゾンから一枚のCDが届いた。
何度か「入手できないのでキャンセルしますか」と言うメールが届いていたヤツだ。
今調べてみたら、注文したのは2009/3/2。
Bitter Funeral Beer Band 『Live In Frankfurt 82』
いまも「一時的に在庫切れですが、商品が入荷次第配送します。」になっている。
*しかし、日本盤が「在庫あり」。ショック!
82年のライブが、2007年に発売され、日本盤は去年出たと言うことか。
ドン・チェリーの『Bitter Funeral Beer』は、学生の時、図書館でレコードを借りて聴いた。
兄の知り合いからファラオ・サンダースを薦められたり、アブドラ・イブラヒム(その頃はまだ“ダラー・ブランド”だった)が好きだった時期で、フリージャズの周辺にいる人たちに興味はある物の、買うのは恐かったんだろう。
カセットテープにダビングして良く聴いていたんだけれど、何かの拍子にアマゾンでライブ盤を見つけて購入したと言うわけだ。
メンバーがどう違うのか、とか、詳細は判らないし、日本盤でもないので解説もない。
ただ、ネットで調べてみると“オーガニック”とか“スピリチュアル”とか、“癒し”とかいうキーワードで語られているのに、ちょっと驚く。
実際そういう背景はあったのかも知れないし、ある意味プリミティブな宗教体験の音楽だとは思うんだけれど、今の流行の元祖みたいに語られるのはどうなんだろう。
何はともあれ、聴いて、色々甦ってきて、感動した。
今は、youtubeでブツ切れながら動画も見られる。若い白人のミュージシャンたちがこういうことをやってたんだなぁ、と言うもの感慨。
色々あっても、良い時代になったな、と思う。
アマゾンではついつい“大人買い”してしまう。
注文してあった渡辺保の『江戸演劇史』上下二冊が少し前に来たのでパラパラ読んでいる。
1000頁を超える書き下ろし大著。
ご本人が後書きで語っているように、この本は所謂“文学史”と違って、読み物として非常に面白い。人物が生きている。
細かな目次を頼りに“必要”な情報を探って、どこからでも読めるのだけれど、その前後が有機的に繋がっているのでついつい周りまで読んでしまう。
研究書としては、個別の情報源について一々典拠を示しているわけではないので、“裏を取る”作業は難しく、引用しづらいと言う難点はあるけれど、こういう歴史記述によって、その対象物に興味を持つ若い人が増えてくれたらとても悦ばしい(若い人は買わないか……)。
そういえば、私は江戸文学史を重友毅の『日本近世文学史』 (1952 岩波全書)で学んだのだった。当時のスタンダードは神保五弥の『近世日本文学史』 (1978 有斐閣双書) だったはずで、両方持っていた(今でも)けれど、私は、断然重友派で、それは、今の文学観や歴史観、あるいは歴史記述観まで決定づけてしまっているように思う(これは、私の研究を知っている人なら簡単に納得できるはずだ)。もしかしたら松田修より先にこっちに影響を受けていたかも知れない。
話が逸れた。
完読しないうちに言うのも何だけれど、『江戸演劇史』は今年の大きな収穫として必ず残ることになると思う。
こういう文学史がかける人が出てくれないかな~(と、他人任せで……)。
完読しない話のついでに……。
私は本を買っても完読することはほとんど無い。
上に書いたように“必要”な所の前後を拾い読みしたり、目次や序跋をチェックして、あとは“積ん読”。読むため、と言うより調べるために買っているのだ、と言う意識が強い。
ところが最近、到着した直後に読み始めてそのまま完読してしまった本が一冊。
穐吉敏子『ジャズと生きる』(1996 岩波新書)。
先日穐吉敏子のライブに出かけた記事を書く時に情報検索したら出てきたので買った。
これは本当に面白い。
長いことファンでもあり、何度もライブに行っているから、おおよそのバイオグラフィーは何となく知っているつもりでいたのだけれど、ご本人が、極主観的に書いた記述が、引き揚げ者の、女性の、音楽家の、しかもジャズミュージシャンの、歴史の、いわば、アナール派的記述として、様々な問題を提起して、どこからでも議論を始められるボリュームを持っている。たかだか新書230頁の内容が、世界の見方を示してくれる教科書になる。人生の指針になる。
反復して出てくる謙退と矜恃、娘への謝罪(?)の言葉からは、今も美しく、姿勢正しい彼女のお人柄が伝わってくる。
よく生きている人は、よく観、良く聴き、よく現すことが出来るのだろう、などと、いささか陳腐な感想をもった。
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