コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。


年度初め、見聞感想メモ

2012-04-11 23:03:21 | 
昨年度は色々放心状態で、芝居・映画、美術館など、行っても感想を書いてないし、そもそも記録も取らなかったんだけれど、やっぱり箇条書きでも文字化した方が記憶のよすがになるし、他の人と意見交換も出来るので、今年度から復活させようと思う。

というわけで、四月になってから、授業が始まるまでの間に見た映画と演劇は、以下の四本。


04/05 映画 ピアノマニア シネ・ギャラリー

スタインウェイのピアノ調律師を密着取材したドキュメンタリー。
とにかく、この“主人公”のキャラが魅力的。従って、ピアノの知識や特別な聴覚が無くても充分楽しめる。
キーワードは“ピアノ”と言うより寧ろ“マニア”。
職人の話。
一流のピアニスト、録音エンジニアたちのこだわりっぷりがすごい。
この映画を観たらエマールの『フーガの技法』が欲しくなること請け合い。


04/07 演劇 前衛漫画劇『帰ってきた日本』 SCOT 静岡芸術劇場

長谷川伸の戯曲に基づく二部構成。
前半は『瞼の母』の冒頭と水熊~終幕の一部。
後半は『沓掛時次郎』冒頭に『関の弥太っぺ』冒頭。
そこに、“外野”がヘンチキを言う。
全体は例によって“病院”らしい。

*ただし、『関の弥太っぺ』は通常の原作ではなく、長谷川一夫主演の映画の脚本を元にしているらしい。
確認を取っていないが、この映画冒頭は明らかに『沓掛時次郎』を利用しているので、この芝居を別の意味で混乱させる原因を作っているように思う。なんでこんなことをしたんだろう。

演出や装置、音楽など色々言うべき事はあるが、まず特筆すべきなのは、馬場の忠太郎と、六ツ田の三蔵が“ニッポン・ジン”という名前になっていること、それから、他のやくざ物たちもそれぞれ“ところ”が国名になっている。
主役級の人物の名前を“日本人”にするだけで風景が違ってくる、と言うことの作用は単純に面白い。ただし、外国名のメタファーとしての有効性に意識を向けると足下を掬われる。

さて、長谷川伸の中でも最も読まれ、上演されていると思われる三つの作品の中から、[母/息子]と言う状況を抜き出して使っているのだけれど、実際には、三蔵は夫婦だし、弥太っぺの徳蔵はそもそも原作にはない。だから、微妙、と言うか、かなりずれる印象がある。狙っているのかどうか……。
『瞼の母』に対するヘンチキ論は面白い視点を提示してると思うんだけれど、そこからどうなるでもなく。
母子癒着の話はそれとして、長谷川伸に対する皮相的な解釈をそのまま受け入れて作っている印象で、立っている場所が違うなぁと思う。前にみた『椿姫』は世間的な解釈より深いところに立ってヘンチキをやったので面白かったのに。
アフタートークは姜尚中と鈴木忠志。1時間以上喋って、狙いみたいなことも出てきたんだけれど、その狙いが実現しているようには思えなかった。

ここのところ、アメリカで『沓掛時次郎』がやられたり、いろんなところで『瞼の母』や『一本刀土俵入』やったり、長谷川伸は終わってないぞ、という印象があるんだが、佐藤忠男を超える読みは出てこないし、新しい解釈による上演も、あるんだかどうだか。
すごい水脈だと思うんだけども。
『鯉名の銀平』の歌を歌った人がよかった。


04/09 映画 ヘルプ シネシティ ザート

黒人差別問題を扱ったアメリカ映画はいくらでもある。この映画が大ヒットしたのは、それを政治的な文脈から切り離して見せたから、というのが大きい気がする。役者がみんな良いし、話はすっきりわかりやすい。
「これは公民権運動とは別の話だ」、という台詞がある。
「本当の差別主義者に知られたら」というような台詞もあった。
ここに出てくる人たちは、大きな歴史の流れの中にいることを知らない。
辛うじて解っているライター志望の娘と、電話が、それをつなげる。あと、テレビか。
ものすごくいろんな“見所”があると思う。
メイドさん役者たちの活躍が話題だけれど、白人のおばさんたち二人、特にシシー・スペイセクの怪演は特筆物だと思う。
ジョニー・キャッシュ、ジューン・カーター、ボブ・ディラン、チャビー・チェッカー、ボ・ディドリー、良い音楽使ってますね。そして最後がメアリー・J・ブライジ。
いちゃもんだけど、パンフのメアリー・J・ブライジのコメントとか、女言葉にする必要あるのかな。


04/09 映画 アーティスト。 シネ・ギャラリー

アカデミー賞作品賞受賞作。
愉しい映画。
だけど、好みとしては『ヒューゴの不思議な発明』の方が上だなあ。
映画愛の表出方法とネタのおもしろさで。
この作品を観ていて面白かったのは、サイレント映画を観ているときの脳の働き、みたいなこと。
英語と日本語の字幕を両方観ようとするし、唇も読みたくなるし、勿論言葉以外の表現も読もうとするからめちゃめちゃ疲れる。最後の解放感はすごい。
コルベイさんと少し話をして、当時のサイレント映画はあたかも声が聞こえる可のように見せる工夫をしたけれどこの映画は逆、というような見解が面白かった。
文字が発明される以前の思考方法を今想像するのが困難なように、この映画にも、偽造された起源がある。ねらってるのかもしれないけど。



かなり雑だけどこれでアップしよう。

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