前の記事の続きです。
イベント後半は、
第2部 トーク&トーク
「図書館って本当に必要ですか?」 午後2時40分から4時
阿曾千代子氏(図書館友の会全国連絡会)
常世田良氏(日本図書館協会常務理事、前千葉県浦安市立図書館長)
平野雅彦氏(静岡市立図書館協議会会長)
実際には15:15~16:30でした。
指定管理者制度の導入で、図書館不要、と言うことになったら、どうなんだろう。
或いは、現時点で、図書館なんて、必要ないでしょ、と言う人に対して、どう答えるのか、と言った、かなり重たい問いかけ。
なのだけれど、余り面白くない御幼少の頃のエピソードを語り合ったり、海外を含めたいくつかの成功例を紹介したり、本当はこうあるべきだ、行政はここがいけない、と批評してみたり。議論がどこへ向かっているのか今ひとつつかめない。
私が苛立つのは、この手の議論を毎週のように繰り返している職場に身を置いているからなのだけれど、会場にいた人たちは、本質的な問題よりも、個別のエピソードに注意をさらわれて一喜一憂していたように見える。
だから私の方が深く理解しているなどという気はないのだけれど。
問題は、誰に向かって、何を伝えたいのか、そのときどんな方法が有効なのか、と言うことが、不明確じゃないのか、ということで。
会場に来た人たちは、そこそこ図書館好きなのだろう。そういう人たちと「至福の一時」(そう、司会者は言った。この人にとっては、楽しい会でしかないらしい)を過ごせればいい。
実際、図書館はどこも満員なのだから、安泰じゃないか、ともいえる。危機感なんて大げさ?
ポジティブに考えることも大事。「雨が降ったら緑が輝く」。
それにしても。
司会者だけでなく、終了後に告知をした団体の人たちも、伝える、と言うことに意識が行っていない。多分、自分たちのやっていることに自信があって、ストレイトに伝えれば伝わると思っているのだろう。或いは、会場に来ていた人たちの殆どが知り合いだったのかも知れない。
鼎談でも、そういう、内向きの雑談になってしまう場面が何度もあった。
親睦会、あぁ、そういうことか。
我々部外者は、疎外感が大きい。
図書館の問題は、本当に難しい。
必要なのか、と言われれば、私の場合、当然、と答えても良さそうなのだけれど、所謂研究者は、図書館を一般の人ととは別の使い方をしているので、「図書館」でなくても良いのだ。
ライブラリーとアーカイブと言うのを正確に定義して説明するのは私の能力ではきついのだけれども、少なくとも、近世以前の情報が欲しい私にとっては、文書館の方が親しみがある。例えば国立公文書館、宮内庁書陵部、静嘉堂文庫、それから勿論国文学研究資料館も、図書館とは言わない。
国会図書館の古典籍室も、感覚としては違う。
あとはレファレンスが充実していればいいし、実際、国会図書館も、県立中央図書館も国文学研究資料館も、余裕があればネットで検索してから出かけるし、国会図書館の雑誌コピーは、現物に触れないで注文した方が早い。
受験生たちの自習室、ホームレスのたまり場。
図書館でなければならないのは??
巨大な無料貸本屋にしてしまったところもある。人気の本は複数揃え、需要は減れば廃棄する。
知らない土地に行くと図書館の郷土コーナーにいくんですよ、と壇上のひとが言う。
そこで、美味しい店を……と。
そんな最新情報が、郷土資料のコーナーに充実していますか?
私は、学生の頃、旅先では真っ先に観光案内に行っていたし、次に行くのは地元の本屋の中の郷土本コーナーだった。今でも行動パターンは同じ。図書館に、そういうフロー情報を求めようとは思わない。
そこで勝負されても困るぞ。
この問題は、答えがない。
収拾がつかなくなってきた。
身近な存在でもあるし、かなりネガティブなことばかり書いてきたけれど、もう少し続けてみようと思う。
大学、文系の学問の未来を考えるのと平行な関係にある気がするし。
イベント後半は、
第2部 トーク&トーク
「図書館って本当に必要ですか?」 午後2時40分から4時
阿曾千代子氏(図書館友の会全国連絡会)
常世田良氏(日本図書館協会常務理事、前千葉県浦安市立図書館長)
平野雅彦氏(静岡市立図書館協議会会長)
実際には15:15~16:30でした。
指定管理者制度の導入で、図書館不要、と言うことになったら、どうなんだろう。
或いは、現時点で、図書館なんて、必要ないでしょ、と言う人に対して、どう答えるのか、と言った、かなり重たい問いかけ。
なのだけれど、余り面白くない御幼少の頃のエピソードを語り合ったり、海外を含めたいくつかの成功例を紹介したり、本当はこうあるべきだ、行政はここがいけない、と批評してみたり。議論がどこへ向かっているのか今ひとつつかめない。
私が苛立つのは、この手の議論を毎週のように繰り返している職場に身を置いているからなのだけれど、会場にいた人たちは、本質的な問題よりも、個別のエピソードに注意をさらわれて一喜一憂していたように見える。
だから私の方が深く理解しているなどという気はないのだけれど。
問題は、誰に向かって、何を伝えたいのか、そのときどんな方法が有効なのか、と言うことが、不明確じゃないのか、ということで。
会場に来た人たちは、そこそこ図書館好きなのだろう。そういう人たちと「至福の一時」(そう、司会者は言った。この人にとっては、楽しい会でしかないらしい)を過ごせればいい。
実際、図書館はどこも満員なのだから、安泰じゃないか、ともいえる。危機感なんて大げさ?
ポジティブに考えることも大事。「雨が降ったら緑が輝く」。
それにしても。
司会者だけでなく、終了後に告知をした団体の人たちも、伝える、と言うことに意識が行っていない。多分、自分たちのやっていることに自信があって、ストレイトに伝えれば伝わると思っているのだろう。或いは、会場に来ていた人たちの殆どが知り合いだったのかも知れない。
鼎談でも、そういう、内向きの雑談になってしまう場面が何度もあった。
親睦会、あぁ、そういうことか。
我々部外者は、疎外感が大きい。
図書館の問題は、本当に難しい。
必要なのか、と言われれば、私の場合、当然、と答えても良さそうなのだけれど、所謂研究者は、図書館を一般の人ととは別の使い方をしているので、「図書館」でなくても良いのだ。
ライブラリーとアーカイブと言うのを正確に定義して説明するのは私の能力ではきついのだけれども、少なくとも、近世以前の情報が欲しい私にとっては、文書館の方が親しみがある。例えば国立公文書館、宮内庁書陵部、静嘉堂文庫、それから勿論国文学研究資料館も、図書館とは言わない。
国会図書館の古典籍室も、感覚としては違う。
あとはレファレンスが充実していればいいし、実際、国会図書館も、県立中央図書館も国文学研究資料館も、余裕があればネットで検索してから出かけるし、国会図書館の雑誌コピーは、現物に触れないで注文した方が早い。
受験生たちの自習室、ホームレスのたまり場。
図書館でなければならないのは??
巨大な無料貸本屋にしてしまったところもある。人気の本は複数揃え、需要は減れば廃棄する。
知らない土地に行くと図書館の郷土コーナーにいくんですよ、と壇上のひとが言う。
そこで、美味しい店を……と。
そんな最新情報が、郷土資料のコーナーに充実していますか?
私は、学生の頃、旅先では真っ先に観光案内に行っていたし、次に行くのは地元の本屋の中の郷土本コーナーだった。今でも行動パターンは同じ。図書館に、そういうフロー情報を求めようとは思わない。
そこで勝負されても困るぞ。
この問題は、答えがない。
収拾がつかなくなってきた。
身近な存在でもあるし、かなりネガティブなことばかり書いてきたけれど、もう少し続けてみようと思う。
大学、文系の学問の未来を考えるのと平行な関係にある気がするし。
指定管理者に移行するにしてももうちょい議論の余地ありですね。
ただ、学生が話題の本を購入するのは実際難しいですし、一回しか使わないような調べ学習の資料も購入するのは厳しい。
その辺も鑑みてよい制度にしていってほしいものですが。
僕はほしい本は買っちゃうし、あまり利用しないので本の購入数を減らして自習および調査目的の使用がメイン似るのが望ましい姿なのかなと思います。
でもこれも主観でしかないしなぁ・・・。
OK.
問題は、自分でその「主観」に確信を持てるか。
あとのことは政治的に決まって行くものです。