湧水町の幸田棚田は石積みの美しさで日本棚田百選に選ばれたと聞く。この棚田がいつの時代に作られたかは判らないが、地形に恵まれず苦労してこの水田を開墾した人々の願いはただひとつ。それは彼らが生きていくための手段だったのではないだろうか。今、棚田が文化的遺産として、また国土保全の機能を持つと再評価されているが、先人達にとってはそれは結果論でしかない。
米文化の国ではこのような棚田が多く点在しているというが、日本の棚田ほど手入れされているという。石垣や畦の美しさは群を抜くという。それも一粒でも多く生産するための工夫だったのだ。里山の米が見直されているというがそれは当然のことだろう。自然の力を利用し、悪条件を利に変えた先人達の創意工夫がこの棚田に表れている。
【幸田地区から霧島山系を望む】 幸田の米は「幸の田の米」といわれている。 もうしばらくするともっと美しい黄金色の風景が見られる。