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どうも、こんにちは。
何万もの人形が奉納されている人形供養の霊場として、また曰く付きの人形などがある心霊スポットとしても知られる和歌山県・加太の淡嶋神社。
その淡嶋神社の分社ともいうべき、‘京のあわしまさん’ともいうべき寺社がありました。
しかも京都市のほぼど真ん中に。
それが‘粟嶋堂’宗徳寺(そうとくじ)です。
まずはいつもの通り交通アクセスから。
JR、新幹線、近鉄、京都バス、京都市営バス・地下鉄、高速バスなどあらゆる交通機関が集まる京都駅。
大企業のオフィスビルや巨大商業施設が並ぶここは四条烏丸と共に、京都の中心部ともいえる場所ですが、そんな場所の近くにも、実は結構多くの霊場魔所があるんですね。
道祖神社とか明王院不動堂とか。
これから目指す粟嶋堂宗徳寺もそのひとつですが。
京都駅北口に面している塩小路通りを西へと進みます。
オムロン本社、京都市営バス「下京区総合庁舎前」停留所の前を通って。
堀川通との交差点へ。
ここから西、塩小路通りは細くなり、途中で三哲通りと名前が変わりますが、さらに進んでいきます。
少し進めば、目指す粟嶋堂宗徳寺が見えてきます。
「人形供養」と書かれた大きな看板があるからすぐわかります。
まずは本堂へ礼拝。
すみません。
本堂にぶら下がっている提灯には皆、個人名が書かれているので、スポット修正で隠しました。
その為、写真のその部分が見苦しくなってしまいました。
本堂前には、あの賓頭盧(びんずる)行者の像も。
確か、お釈迦様の弟子の一人ですが、仏教で禁じられている「飲酒」がどうしてもやめられなかった為、お堂の中に入れてもらえず、その外側に祀られているという何とも人間くさい人物です。
ところでここは。
それと、ここの総本社ともいうべき淡嶋神社とは何を祀っている神社なのか。
お寺で配布されていたパンフレットによれば、今から約600年前、行阿上人によって開山した西山浄土宗の寺院であり、神仏習合の流れを汲み、境内には粟嶋(淡嶋)大明神を祀る粟嶋堂がある、と説明されています。
現在の和歌山県加太市に建つ古社・淡嶋神社を総本社として、全国各地に建つ「淡嶋」または「粟嶋」と名の付く寺社のうちのひとつです。
ご祭神は「淡嶋(粟嶋)大明神」ですが、日本・出雲神話で有名な少彦名命(すくなひこなのみこと)が化身した神様であり、本地垂迹説では虚空蔵菩薩と同一の存在ともされています。
この淡島信仰は、江戸時代に「淡嶋願人(あわしまがんにん)」という半僧半俗の遊行者によって全国に広められた、と伝えられています。
かつてはこの周辺には花街もあって、女性の守護神でもあるこの神様は、昔から「あわしまさん」「京のあわしまさん」と呼ばれ、良縁や婦人病平癒、安産子授けなどのご利益がある女性の守護神として、親しみを込めて信仰され続けてきたそうです。
……っと、ここまでは、
パンフレットや粟嶋堂や淡嶋神社のホームページで由緒を調べてわかることなのですが。
それでもこの「あわしまさん」について、今の今まで肝心なことを知らずにいたのですね。
少彦名命が医学の神様であることはわかるのですが、それならば何故、婦人病平癒など女性の守護神として信仰されているのか?
何故、花街の女性たちに親しまれ、信仰され続けてきたのか?
そもそも「あわしまさん」という神様の本当の由緒や正体とは何なのか?
そういう一番肝心なことを、私は今まで知らなかったのですね。
ただ、「淡嶋神社」=「人形供養の霊場」「髪が伸びる人形など曰く付きの人形が奉納されている心霊スポット」という程度の認識しか無いまま、淡嶋神社に対する取材をし、記事を書いていました(※淡嶋神社に関するシリーズ記事はこちら)。
そうした疑問や「あわしまさん」の正体について、納得できる答えを見つけたのが、最近読んだ『京都異界紀行(講談社現代新書、西川照子・著)』という本でした。
第五章・四「宗徳寺・あわしま明神」にはこのように書かれています。
(以下、引用)
>淡島さまは、天神の六番目の姫君として誕生した。そして一六の春に住吉明神の一の后として嫁いだが、「下の病」にかかり「うつぼ舟」に乗せられ「堺の浜」から流された。「うつぼ舟」とは、“聖”なるものを海や川に流す時に用いる呪箱。神の乗り物。その神の乗り物「うつぼ舟」は、流れながれて、「三月三日」という“日”に加太の「淡島」に漂着された。
(引用ここまで)
同書では、「うつぼ舟」ではなく、「四谷怪談」のお岩さんみたいに「戸板にくくりつけられて流れ、怨霊・タタリ神と化した」という説も紹介されています。
さらに、この「あわしま信仰」を広めた「淡嶋願人(あわしまがんにん)」も実態は、女性たちから櫛、鏡、賽銭の他、古くなった針や穢れ物などを物乞いの様に奉納を受けて生計を立てていたという、乞食僧同然の存在だったとも書かれています。
何とも衝撃的な話ですが、これで納得がいきました。
確かにこんな話、寺社のパンフレットにも、公式ホームページのホームページの由緒書きには、なかなか書けそうにもないですね。
何故、婦人病平癒・子宝祈願など女性の守護神となったのか。
何故、淡嶋神社には大量の人形や、使い古した針、女性用下着などが奉納されてきたのか。
ようやくわかったような気がしました。
日本神話や北欧・ギリシャ神話など、多神教の神々は、しばしばアホなこと、理不尽なこと、残酷なことなどもやらかしたりしますが、これは酷い。昔はともかく、今の基準からすれば何とも・・・。
あるいは、「下の病や不治の病となった嫁を家から追い出す」などということは昔は実際に行われて、神話や伝承などにもそれが反映されていたということかもしれない。
しかしだからこそ。婦人病ゆえに酷い扱いを受け、悲劇的な運命を辿った女神様だからこそ。乞食同然の遊行者によって広め伝えられたからこそ、花街の遊女など社会的に差別・偏見を受ける立場の女性たちの共感や信仰を集めることができたのか、と納得がいきました。
境内の片隅に、与謝野蕪村がここで娘の病気平癒を祈願した時の歌碑がたっています。
「粟嶋へ はだしまいりや 春の雨」
わざわざここに平癒祈願に訪れたということは蕪村翁の娘さんも「下の病」だったのでしょうか……。
桜の咲く境内には、人形を奉納してある場所も幾つか見られます。
その中には実に多種多様な人形が奉納されています。
総本社である加太の淡嶋神社で観た、境内一杯に無数の人形が並ぶ光景(※それについてはシリーズ第403回記事を参照)と比べたら、それほどでも無いですが、それでも多数の人形が並んでいる光景には、一種の怖さのようなものを感じてしまいます。
もしかしたら、この人形たちの中にも、総本社のように「髪が伸びる人形」とか「霊魂が宿る人形」とか、曰く付きの人形があっても不思議では無いような、そんな気すらします。
境内の片隅に「人形癒やしの石碑」が。
これを観て、何だかもの悲しい気持ちになりました。
「人形供養」。
「婦人病平癒など女性守護のご利益」。
「曰く付きの人形も奉納されている心霊スポット」。
そんなものの裏側には、理不尽で悲劇的な運命を辿りながらも同じ目に遭った世の弱者を守ろうとした健気な女神様と。
社会の下層に追いやられながらも、その女神様を支えに生き続けた数多くの女性たちの存在とがあった。
それを知っただけでも、今回の探訪には、また下調べで『京都異界紀行』という本を読んだ意義はあったと思います。
今回はここまで。
また次回。
*粟嶋堂宗徳寺へのアクセスはこちら。
*粟嶋堂宗徳寺のHP
http://awashimado.jp/
*『京都妖怪探訪』シリーズ
https://kyotoyokai.jp/
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