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どうも、こんにちは。
今年も紅葉の時期を迎えましたので、毎年この時期恒例となりました『霊場魔所の紅葉』シリーズをやります。
今年の第一弾は、菅原道真の霊を祀った北野天満宮の境内の一角に植えられている「手向山の紅葉」を紹介します。
「手向山の紅葉」といえば、あの小倉百人一首で、菅原道真が読んだ24番目の歌、
「このたびは 幣も取りあへず 手向(たむけ)山 紅葉(もみぢ)の錦 神のまにまに」
で、有名な「手向山の紅葉」です。
北野天満宮は本シリーズでこれまでにも何度訪れていますが、改めてアクセスから。
「北野天満宮前」停留所からすぐ、天満宮の「一の鳥居」から。
参道を通って「楼門」へ。
「三光門」をくぐり、本殿へ礼拝。
ここまでは本シリーズで何度か紹介してきましたので省略。
今回の本題は、本殿裏手の一角にありますので。
確か、この辺りに……。
見落としてしまいそうな小さな木ですが、ありました。
「このたびは 幣も取りあへず 手向(たむけ)山 紅葉(もみぢ)の錦 神のまにまに」
現代語訳すると、「今回の旅は急な旅行により、神様に捧げる幣(ぬさ)も準備できませんでした。その代わり、手向山の紅葉の光景を捧げますので、どうか(神様の)御心のままにお受け取りください」という意味です。
「幣(ぬさ)」というのは、「神様にささげるもの」を意味するそうです。
この一首は、道真が自分を取りたててくれた宇多天皇の行幸に随行した時に詠まれた歌のようです。多くの歌人も随行したかなり大規模で盛大なものだったようです。
道真が「神様に捧げたい」と評価した手向山の紅葉の一本をこうして北野天満宮の境内にも植えたのですが。
実はこの「手向山」がどこなのか、というのにも諸説あるそうです。
当時の行幸のルートからすると、当時の山城(京都)と大和(奈良)の境目辺りの場所だとする説が有力だそうですが。
手向山の紅葉の場所から本殿を眺めてみました。
この歌は、道真が最大の理解者であった上司と共に楽しんでいた時、おそらくは彼自身が幸福に過ごして頃に詠んだ歌でしょう。
この時、後に自分が「神様」になってしまうなどとは、まさか夢にも思わなかったのでしょうね。
「手向山の紅葉」を観た後は、境内の御土居の紅葉を観に行きますが、ここで一旦切ります。
今回はここまで。
また次回。
*北野天満宮へのアクセス・周辺地図はこちら。
*北野天満宮のHP
http://www.kitanotenmangu.or.jp/index.php
*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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