どうも、こんにちは。
本シリーズの北京都編。
シリーズ前回に続きまして、近畿最北の地にして、京都最北の妖怪伝説「経ヶ岬」を巡ります。
昔、この辺りの海には悪竜が出没し、船を転覆させるなどの悪事をはたらき、それをある僧がお経や文殊菩薩真言の力で悪竜を封じたか、改心させたので、「経ヶ岬」と呼ばれるようになった。そんな伝承も遺されています。
あるいは、「文殊菩薩自身が悪竜と戦い改心させ、その後一万巻の経を納めたというので‘経ヶ岬’という」との説もあります。
悪竜と戦った僧、あるいは文殊菩薩は岬の上に上って三日三晩もの間、経(文殊菩薩真言)を唱え続けたとされています。
それで海岸から、岬の上へと登る道を行くことにしました。
バス停から岬に行くには、2通りの道がありました。ひとつは車でも行ける広い道。もうひとつは、浜辺から断崖沿いを通る狭い道と。
私は後者の道を選びました。海岸浜辺の光景もゆっくり見てみたかったのと、車の通らない道を歩く方が事故の危険も少ないだろうと考えたからです。
ここまでがシリーズ前回。
浜辺から断崖沿いへを通る道を歩きましたが……。
これがまた、何とも大変な道でした。舗装されてないのというだけならまだいいのですが。急な斜面があったり。路面が凸凹だったり。そこいら中に落石や倒木が転がっていたりして。
そんな道が延々と続き、日頃の運動不足もあって、全身汗だくになりながら歩き続けました。
この時正直、この道を選んだことを後悔しかけていたのですが……。
しかし、この断崖沿いの道から見る海の光景を観ると、そんな後悔も吹っ飛んでしまいます。
灯台に辿り着きました。
この灯台は結構有名だそうです。
明治政府の富国強兵に伴う海運助成政策の一環として1898年(明治31年)12月25日初点灯した灯台です
第1等フレネルレンズを使用した第1等灯台に指定されているという話です。どういうことかと言いますと、灯台には、使用されているレンズの大きさや焦点距離の長さによって第1等から第6等まで投球があるそうです。つまり、最大の大きさと焦点距離とを持つレンズを使用しているのが第1等灯台で、日本ではここを含めて5カ所しかないそうです。
(※あとの4カ所は千葉県・犬吠埼、島根県・日御碕、山口県・角島、高知県・室戸岬の灯台)
「京都百景」と「日本の灯台50選」に選定されています。
そういうものに選ばれるだけあって、この灯台からの見晴らしもいいものです。
灯台から、駐車場などがある「経ヶ岬園地」へ。
園地から眺めた光景です。
伝承の僧や文殊菩薩はこの岬に立ち、この海を舞台に三日三晩激しい戦いを繰り広げたのか。
壮大な海を見ながら、伝承の戦いの場面を想像(空想? 妄想?)してみますと、何とも感慨深いものが。
帰りはさすがに、舗装された広い方の道をあるきます。
行きに通った道ほど開けてはいませんが、こちらから見える光景もなかなか。
そういえば。
シリーズ第375回の「宮津・智恩寺」にも同じように、「悪竜を改心させた文殊菩薩」の伝説があります。
この伝説は、丹後半島の広範な地域に伝わっているのでしょうか。
いかにも、壮大で厳しい海の自然と共に生きる人々が生み出したらしい伝説ですが。
「文殊菩薩はあまたの竜神を教化した」という所伝もあるそうです。
平安時代から伝えられたという密教では、多くの異教の神々も尊天や仏教守護神のなどの形で取り込まれています。
「文殊菩薩はあまたの竜神を教化した」というのも、密教が竜神などの異教の神々を、つまり密教が他宗教の信仰をも取り込んできたという歴史の反映しているのかもしれません。
丹後半島に伝わる竜と文殊菩薩の伝承も、密教(を信仰する中央政権)が、土着の竜神信仰(を持つ土着民)を取り込んでいった歴史をも象徴しているのかもしれない。
確証はありませんが、ふとそんなことを考えてしまいました。
こうして、今回の北京都巡りを終えました。
以下は帰りのバスから見た、丹後の海の光景です。
それでは今回はここまで。
また次回。
*経ヶ岬(「京丹後市観光協会」HPより)
http://www.kyotango.gr.jp/navi-blog/kyotango-tourist-attractions/nature/resort/tango-resort/%E7%B5%8C%E3%83%B6%E5%B2%AC/
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm