京都の闇に魅せられて(新館)

京都文化博物館:【インカ帝国展】と【鈴鹿山の名宝】





 こんにちは。
 先日、『京都文化博物館』で開催中の2つの展覧会に行ってきました。
 ひとつは、6月23日まで開催されています『インカ帝国展』です。
 もうひとつは、6月末まで開催されています『祇園祭-鈴鹿山の名宝-』です。



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 京都市の中心部から近い烏丸御池の交差点から。





 京都市営地下鉄「烏丸御池」駅が、京都文化博物館への最寄りの交通機関ですが、そこへ直行する前に少し立ち寄りたい場所がありました。

 烏丸御池の交差点から、烏丸通りを南へひと辻進んだ姉小路通りとの交差点。
 




 その南西角にある小さな町屋があります。
 祇園祭で巡行する山鉾のひとつ、「鈴鹿山」の御神体である女神像が安置されています。
 ちょうど京都文化博物館で、ほぼ同時にこの「鈴鹿山」に関する展覧会も行われています。
 この「鈴鹿山」と展覧会については、また後ほど触れますが、ここでひとつ。
 何故私が、この「鈴鹿山」と『祇園祭-鈴鹿山の名宝-』に注目するのかを言います。
 それは、「鈴鹿山」の女神像が、祇園祭の山鉾で唯一と言われる美女(美少女像)であり、また祇園祭でナンバー1の「萌えキャラ」でもあるからです(笑)。



 話を戻します。
 烏丸通りをさらにひと辻南へ。
 三条烏丸の交差点を東へ進んでいきますと、赤煉瓦造りが特徴の京都文化博物館が見えてきます。






 ここで、6月23日まで『インカ帝国展』が行われています。





 このインカ展、インカ帝国時代の様々な遺物や文物(祭器、衣装、生活用品など)や、なんと5体ものミイラまでが展示されていました。
 それだけでも十分面白いのですが、私がこの展覧会で最も興味深いと思ったのはそこではありません。
 それは、スペインによる征服・帝国滅亡当時やその後、インカや民族がたどった歴史についても触れられている点です。
 今までインカや中南米の古代文明についての展覧会はいくつも行われてきたようですが、今回のこの企画は、その点でも注目すべきものがあると思います。


 インカ帝国の滅亡についての展示を見ているうちに、かの国の滅亡の歴史についてより興味がわいてきました。
 それで、会場・京都文化博物館1階の売店で見つけたこんなDVDも買いました。





 ナショナルジオグラフィックの『インカ帝国 滅亡の真実』というDVDです。
 その主な内容。
 ペルーのリマで、インカ帝国滅亡当時の戦いで惨殺されたと思われる兵士たちの遺骨が発見されます。
 その遺骨を考古学、歴史学、さらには現代の法医学など様々な観点から調べ、「当時何が起こったのか?」や、「インカを滅亡に追い込んだ戦いとはどのようなものだったのか?」を検証していきます。
 その結果、インカ滅亡という大事件に関して、従来の通説を覆すような衝撃的な真実が浮かび上がってきた、というものです。

 あれだけの勢力を誇ったインカ文明が、何故あっさりと滅ぼされてしまったのか?
 当時最新鋭の武装をしていたとはいえ、インカ軍に対して圧倒的に少数で、しかも兵士としての能力・練度も決して高いとはいえなかったフランシスコ・ピサロ率いる一団が、広大なインカ帝国を滅ぼすことが出来たのは何故か?
 さらに、その歴史的真実が長らく闇に葬られてきたのは何故か?

 長年の謎とされてきた事実が明らかにされます。
 また、こうして明かされたインカ帝国滅亡の歴史には、現代に生きる我々にも示唆や教訓を与えてくれるように、私には思えてきます。
 「ひとつの国や組織、共同体が滅びる時には、どのようなパターンをたどるのか?」
 「何が、誰が、国を滅ぼすのか?」
などなど。
 これらの問題については、また別の機会にでも考えたいと思います。



 その後、『インカ展』と同時に行われていた『祇園祭-鈴鹿山の名宝-』も訪れました。
 御神体の女神像に着せられていた衣装や、山鉾に飾られていたという「前懸」「胴懸「後懸」「見送」などと呼ばれる刺繍作品など、鈴鹿山に関する様々な文物が展示されていました。

 さて、何故私がこの展覧会と鈴鹿山に注目したかと言いますと。
 先述しましたように、「鈴鹿山」の女神像が、祇園祭の山鉾で唯一と言われる美女(美少女像)であり、また祇園祭でナンバー1の「萌えキャラ」でもあるからです(笑)。
 この山で祭られている「鈴鹿権現(=鈴鹿御前)」は、非常に面白いキャラクターで、「人々を苦しめる悪鬼や悪人を退治した正義の味方」と伝えられているかと思えば、別の説話や伝説では「邪悪な女鬼、女魔王(=天竺四大天魔王の娘)」としても伝えられているという、様々な顔を持つミステリアスな存在でもあるのです。
 以下の過去記事でもとりあげたことがあります。


*京都妖怪探訪(121):祇園祭・鈴鹿山
http://moon.ap.teacup.com/komichi/276.html


 室町時代に創られた『田村の草紙』や、江戸時代の奥浄瑠璃『田村三代記』などには、「女鬼神、女魔王(=天竺四大天魔王の娘)」であり、しかも「鈴鹿山中の御殿に住む、16~18歳の絶世の美少女」として描かれています。
 卓越した武術と魔術・妖術や、魔力を持った三本の宝剣「大とうれん(大通連)」「小とうれん(小通連)」「けんみょうれん(顕明連)」などを使って、朝廷の命令で討伐にやってきた英雄・田村将軍を相手に戦いを繰り広げます。
 が、なんと敵であるはずの田村将軍と恋に落ち、子供までもうけてしまうのです。
 その後は田村将軍と協力して、高丸や大嶽丸などといった日本各地の悪鬼を倒していくという話です。
 また、「田村将軍に倒される」という別パターンの物語もあるそうです。

 田村将軍と言えば、桓武天皇に仕えた征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)。
 東北征伐という大事業を行った武人ですが、その活躍は後に多くの鬼退治伝説を生み出しました。
 ファンタジーに例えたら、「国王に仕えて各地の魔族や怪物と戦う勇者」の日本版みたいな人(被征服民の立場からすれば「侵略者」でしょうが)であり、鈴鹿御前と恋に落ちるという話は「勇者と女魔王(もしくは魔族の姫)」とが恋に落ちる」という類の話なのです。

 そういえば最近でも、『まおゆう!』というファンタジー小説原作のアニメが放映されていました。
 「勇者の青年と巨乳の美女魔王とが協力して、社会改革を目指す」という社会派としての色合いも帯びたユニークな作品でした。
 鈴鹿御前と田村将軍との物語も(2人で社会改革を目指したわけではありませんが)、それに似たたころがあるように思います。
 『まおゆう!』に限らず「勇者や英雄と、女魔王や魔族の姫とが恋に落ちる」とかいった類のファンタジー作品が過去にいくつもあったように思いますが、そういった作品が何百年も前の日本に既にあったというのは面白いですね。
 なお、以下が『京都妖怪探訪』シリーズ第121回で紹介しました、鈴鹿山の鈴鹿御前(権現)像です。





 それでは、今回はここまで。
 また次回。




*「インカ帝国展」の公式HP
http://www.mbs.jp/pgm2012/1358458835.shtml


*「祇園祭-鈴鹿山の名宝-」
http://www.bunpaku.or.jp/exhi_matsuri.html#suzu


*「京都文化博物館」のHP
http://www.bunpaku.or.jp/index.html




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