京都の闇に魅せられて(新館)

葛城トオルと一条戻り橋 @ 京都妖怪探訪(767)





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 どうも、こんにちは。
 今冬某日、京都の妖怪絵師・伝道師の葛城トオル氏によるイベントツアーに参加し、一条戻り橋の他、京都一条から北野までの幾つものミステリースポットを巡りました。
 今回はその時訪れたスポットのひとつ、「一条戻り橋」を紹介します。
 このスポットは、シリーズ第2回記事第729回記事などの過去記事で取り上げたこともありますが、ここでは葛城氏の解説も加え、改めて取り上げます。


 今回は朝10時頃、京都・一条戻り橋に集合。








 「蘇生伝説」「渡辺綱と鬼女の伝説」「十二神将伝説」など、鬼・妖怪など幾つもの伝説・伝承が遺されていますが。
 何故ここに、幾つもの伝説や伝承が遺されているかというと。
 それは、ここがかつての平安京の端、平安京の内と外との境目にあったからです。
 よく言われることですが、妖怪や幽霊など異界の存在が現れるのは、妖怪などの伝承が遺されているのは、町や村など共同体の内側と異界であるその外側との境目であると言われています。
 ここ一条戻り橋は、平安京の際、端っこ、平安京の内と外との境目だったのです。
 ・・・などと言われても、ピンと来ない人も多いかもしれません。
 私も葛城氏の解説を聞くまでは、「え? こんな、今では京都市街地の真ん中にあるような場所が、平安京のはじっこだって?」と思っていましたから。
 それには、葛城氏の言う「第一期平安京」と「第二期平安京」との違いを理解する必要があります。
 平安京は最初、北は一条、南は九条まで碁盤の目状に整備された広大な地域(それでも現在の京都市よりは小さいですが)に広がっていました。この当初の都を「第一期平安京」とします。
 しかし、それから80年ほどすると衰退、縮小していきます。
 まずは、右京とよばれた当初の都の西半分は、あまりにも川がたくさんありすぎて治水が上手くいかず、結局衰退、荒廃していきます。こうして都市部が次第に縮小していき、実質的に「都」と呼べる都市部の南端は、五条(現在の松原通り)まで縮小します。そして、東の端は鴨川まで、西の端は堀川まで狭まってしまいます。この時期の都を「第二期平安京」とします。
 つまり、平安時代中期には、この一条戻り橋がかかる堀川は「平安京の端っこ」にあたり、内側の都と外側の異世界との境目だったわけです。
 以下、過去記事内からですが、葛城氏が「第二期平安京」について解説した動画を、以下に貼っておきます。

 

 

【動画】葛城トオル、平安京の葬送地・松原を語る(1)

 



 現在の一条戻り橋の下へ。








 現在は横に堀川通りという大通りが通り、周辺には住宅地などが広がる、京都市街地の真っ只中です。
 現在の光景からは、かつては「平安京の端っこにある魔所」だったとは思えないのですが・・・。


 なおこの後、一条通りをさらに西へ歩き、一条通り界隈の霊場魔所を巡ります。






 今回はここまで。
 この続きまた次回。




*葛城トオル氏のTwitter
https://twitter.com/yokaido




*『京都妖怪探訪』シリーズ
https://kyotoyokai.jp/




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