京都の闇に魅せられて(新館)

南禅寺の紅葉と妖怪退治伝説(その3) @ 京都妖怪探訪(523)





(記事中の写真はクリックで拡大します。プライバシー保護等の為、人の顔部分に修正を加えていることがあります)


 どうも、こんにちは。
 多忙と風邪による体調不良の為、しばらく間を空けてしまいましたが、頑張って再会したいと思います。
 今年の『霊場魔所の紅葉』シリーズ、第6弾。前々回前回に引き続き、京都でも有名な紅葉名所のひとつ、南禅寺をその紅葉光景と共に紹介します。
 今回は、南禅寺創建にまつわる妖怪退治伝説の舞台になったと思われる、現在の南禅寺別院・南禅院(なんぜんいん)を、紅葉を眺めながら巡ります。


 前回の続き、山門、本堂から方丈(ほうじょう)の方へと進みます。





 方丈の前から横へそれます。






 南禅寺境内を通る「水路閣」。








 現在も京都に水を供給している
 この光景でお気付きの方も居られるかもしれませんが。
 京都を舞台にしたドラマでよく撮影に使われる場所です。よくここで殺人事件が起こったり、事件の鍵を握る人物が重大なことを告白したり等、特別なイベントが発生したりします(笑)。
 ここはこちらの過去記事でもとりあげましたが、レンガと紅葉って結構良く合うと思うのです。








 レンガと紅葉。
 明治以後、積極的に近代化(?西欧化)を進め、技術や文化を取り入れてきた。
 日本古来のものと、西欧のものとを融合させようとも試みてきた。
 京都にはこうした近代都市としての顔もある。
 それを象徴する光景のひとつが、この光景です。






 水路閣のさらに裏側へと回ります。









 そこに南禅寺別院・南禅院があります。





 拝観料を支払って中に入ります。
 前々回前回で紹介した妖怪退治伝説。
 その舞台となり、現在の南禅寺発祥の地ともなった「禅林寺殿」とは、ここ「南禅院」です。
 いろんな意味で非常に貴重な場所なのですが、『京都妖怪探訪』を続けていながら、不覚にも今まですっかり見落としておりました。
 今回、始めて訪れることになります。
 ここで、第521回の繰り返しにはなりますが、南禅寺創建にも関わる、妖怪退治伝説の概要を。
 元々この地には、後嵯峨天皇が文永元年(1264年)に造った離宮がありました。その離宮は、その北にあった禅林寺(※紅葉名所としても有名なあの「永観堂」です)にちなんで「禅林寺殿」と呼ばれていました。
 のち正応4年(1291年)、亀山法皇は無関普門を開山として、禅林寺殿を「龍安山禅林禅寺」という寺に改めました。
 その時に、こんな伝承が伝わっています。
 この禅林禅寺には、毎晩妖怪が出没しました。
 何も無いところで物音がしたり、物が無くなったり、ポルターガイストみたいに戸が勝手に開いたりなど、怪現象が起こりました。亀山法皇は困り果てて、護摩や加持祈祷などをしましたが、怪現象は止まず、当時80歳だった、東福寺第3世・無関普門禅師に妖怪退治を依頼します。
 最初、禅師は「徳は妖怪に勝るからその必要はない」と言いますが、亀山法皇はそれでも頼みこみます。
 そして妖怪退治となるわけですが、その退治方法がこれまたユニークです。
 禅師は弟子たちを引き連れて、禅林禅寺に入り、座禅をし、禅宗の教えに従って修行と生活を続けたのです。なんと、それだけで妖怪は居なくなり、怪現象も収まったのです。
 亀山法皇は、禅師にここの開山を命じ、こうして南禅寺が創建された、と伝えられています。
 この「禅林禅寺」を前身とするのが、ここ「南禅院」。
 おそらくはその伝説の舞台となった場所です。











 かつてここに亀山法皇が住み、今で言うポルターガイスト現象などの怪現象に悩まされていたのです。
 「法皇が住む離宮にしては、思ったよりも小さな建屋だな」というのが、最初に抱いた印象ですが。
 しかし、庭園に広がる紅葉の光景を観て「あっ、なるほどやはりここは離宮なのだな」と納得しました。














 外見上の大きさ、豪華さを追求するよりも、質素だけど清楚。
 人工の創られた美よりも、自然美を巧みに取り入れている。
 嗚呼、これぞ古来よりの日本人の美意識の表れではないか。


 そんなことを考えながら、道を少し進むと亀山法皇の分骨所がありました。
 ここに亀山法皇が眠っています。






 分骨所の隣にこんな石塔があります。





 これは一山国師の墓所でしょうか。
 後で調べたことですが、一山国師とは、元時代の中国の禅僧でしたが、元の使者として来日し、それから南禅寺の第3世になったという人物でした。
 元の時代、クビライ・ハーンは、日本に従属国となる様に何度か使者を派遣して居ましたが、当時の鎌倉幕府はその使者を全て処刑していたので、一山国師を使者として派遣しました。当時の日本は、禅宗を尊ぶ気風があったため、大師号を持つ禅宗の高僧・一山国師が選ばれたわけです。結局、日・元の交渉は決裂して戦争になってしまいましたが、禅の高僧だった一山国師は処刑を免れ、幽閉をされたものの、後に南禅寺の第3世となりました。
 いやー。
 こんなにユニークな経歴を持つ人物が居たとは、初めて知りました。
 自分の勉強不足を改めて感じましたが、面白かったですね。


 さらに庭園を歩きます。
 この庭園は、回遊式庭園という形式の庭で、池を中心に回れる構造になっているようです。








 おお、なんと美しい光景でしょう。
 妖怪伝承の地を巡ってこんな光景に出くわすとは。
 来て良かった。
 霊場魔所の紅葉とかやってよかった。
 そう喜びながら、南禅院を後にしました。












 それでは今回はここまで。
 続きまた次回。




*南禅寺へのアクセス・周辺地図はこちら




*南禅寺のHP
http://www.nanzen.net/




*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




ふるさとを守る脱米救国バナー ふるさとを守る脱米救国バナー



事実報道社宣伝バナー



岩上安身責任編集 ? IWJ Independent Web Journal



2ちゃんねる から子供たちを守ろう!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「妖怪スポット」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事