感動は命の肥し

曇りなき眼で、物事を見つめるなら必ずや真実を見極めることができる。覚醒の時を生きた記録として。

隣人は息子の殺人犯

2011-10-10 | 感動は命の肥やし
隣人を愛しなさい。というタイトルでニュースが始まります。

ミネアポリスで一人の青年が殺され犯人は牢に送られた。それから後この話は驚く展開を迎える事になる。
北ミネアポリスの小さなアパートで暮らす補助教師は何をためらう事なく神を称える歌を口ずさむ。
そうする資格がある人がいるとするならそれはまさしくMary Johnsonこの人である。

1993年2月、マリーの息子Laramiun Byrdはパーティーの最中に言い合いになり銃で撃たれ死んだ。彼は20歳、マリーのただ一人の子供だった。
犯人の名前はOshea Israel 16歳。
マリーは「彼は獣だ、牢に入って当然だ。」と彼を裁いた。
裁判で彼は成人と同等に扱われ25年半の刑を言い渡され、17年の刑を終えた後最近牢を出た。そして今、彼が昔住んだ町であるここに、マリーの隣人として住んでいる。

どうして殺人犯が、自分が殺した犠牲者の母親の隣の家に住むことが出来るのか…それはあなたが考えるような不幸な偶然などではないのです。これは、記憶すべき慈悲の話なのです。
数年前、マリーは彼に会おうとStillwater state prisonを訪ねた。篤実なクリスチャンであるマリーはもし道があるなら、彼女の息子の殺人犯を許したいと無理を押して彼に会いに行ったのだ。
彼女が始めて私に会って最初に言ったことは、「さあ、あなたは私を知らない、私はあなたを知らない、まず、そこから始めましょう。」でした。「私は戸惑いました。」
それから、定期的に会うようになったと彼はいう。彼が刑を解かれた時、マリーは彼女の推薦状と共に彼をアパートのオーナーに紹介し、同じアパートに暮らせるようにしたのだ。そして今日彼らはただ近くに住むというだけでなく、親しい隣人として暮らしている。

マリーは神の力によって赦す事が出来たと信じている。しかし、もっと個人的な赦す目的があったのです。
「赦せない気持ちは癌と同じだ。それは私たちを体の内側から蝕んでゆく。
赦したところで彼が犯した罪が軽くなるわけでもない、ええ、彼は私の息子を殺しました、
でも赦す事は他の誰の為でもない、私自身の為なのです。」

そしてまた、Oshea Israel 自身にとっても簡単なことではない。「まだ自分自身を完全に赦しきれてない。」「一生懸命自分を赦そうと頑張ってるところです。」と語る。
現在は、彼自身を成長させるのに忙しい。廃品回収工場で昼は働き夜は大学に通う。
彼は彼女の許しに対するお返しは社会に貢献する事と決断した。
教会や牢で神を讃え赦しについて証しすることで社会に貢献している。

CBSニュースのアサインメント・アメリカのコーナーで取り上げられた話です。
この話にはまだ続きがあって、下記のサイトにその事が書かれています。

http://www.alafiaplace.org/alafiaplace/Home.html

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