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Keep Your Stick on the Ice!

カナダで出会った生きている英語

I'm bushed.

2006年12月27日 | Weblog
 悪役でもあり英雄でもある隣国の大統領George W. Bush。彼の姓"Bush"は、「やぶ」という意味の名詞だが、密猟されないように狩猟場などをやぶで囲むという動詞としての働きもあるらしい。そして受け身にして"I'm bushed."とすると、なぜか「くたくたに疲れた」というような意味の俗語になる。もともとは日本にいる時にラジオ講座で覚えた表現だが、非常に簡単なのでよく使っているが、実は控えた方がいいのかもしれない。使う度に笑われる。たどたどしい英語をしゃべる僕がこんな俗語を使うとおかしいらしい。「そんな言葉、どこで覚えた?」とも聞かれ、教える方も教える方だというような顔をしている。自然に"I'm bush."と言え、そして自然に聞いてもらえるように、それ以外の英語も流暢にしゃべれるようにしなければならない。

He seems to be quite the history buff.

2006年12月26日 | Weblog
 Christmas Dayの翌日、12月26日はBoxing Dayと呼ばれ、カナダを含めた多くの英連邦諸国で連休となる。今年は月曜日と火曜日に当たっているので4連休だった。なぜ"Boxing Day"と呼ばれるのか、諸説あるようだが、格闘技のボクシングとは無関係で、クリスマスプレゼントの箱に関わるらしい。ところで遺伝研究部では、研究室ごと自分のボスにクリスマスプレゼントを贈ることが習慣になっている。去年は、Flat Stanleyという有名な絵本のキャラクターがいるのだが、その主人公をSteveに置き換えた本を作ってプレゼントした。ストーリーはLaylaが担当し、キャラクター作りなどはAndrew、そしてみんなで作り上げた力作である。さて今年はどうするのか。電子メールが飛び交っていた。Jeffが送ったメールの中に"He seems to be quite the history buff."というのがあった。"He"とはもちろんSteveのことだが、確かに彼は歴史が好きだと自ら言っているのを聞いたことがある。"buff"とは初めて聞いた単語だが、この手の物はたくさんある。"freek"、"nut"、"fanatic"。まともな表現だったら、"enthusiast"、"fan"、"expert"、"authority"といった感じだろうか。類語辞典を見れば、もっともっと見つかる。日本語だったらマニアといったところか。僕は各種マニアには敬意を持っている。僕自身も何らかのマニアにならねばと思っているが、なりたいと思ってなれるのがマニアではない。ところで、今年のプレゼントは何だったのか。残念ながら、その時、僕は帰国していたためよく知らない。

She's very athletic.

2006年12月25日 | Weblog
 運動が得意な人のことをスポーツマンとかスポーツウーマンなどと日本語では呼び、辞書を調べてみると確かにsportsmanおよびsportswomanという単語が載っている。でも、実際には聞いたことがない。Christianの彼女Taraとは、スケートやビーチバレーボールをやったことがあるぐらいだが、それらはもちろん、他の話を聞いていてもいかにもスポーツウーマンといった感じなので、彼女のことをどう表現すればいいのかと彼に聞いてみたら、"She's very athletic."と言っていた。この"athletic"を調べてみても、スポーツマンやスポーツウーマンを臭わせるような訳が出ていない上に、主に陸上競技に長けた選手が連想されてしまう。「日本だったらスポーツウーマンと呼ぶが、カナダでは使わないのか?」と聞いてみたら彼の返事は"Not really."だった。Christianが僕に対してよく使うこの"Not really."は死んだ英語を示唆しているものと思っている。それにpolitical correctnessの思想にも反するので避けた方が賢明だ。日本語の「アスレチック」よりも広い意味を持つ"athletic"をもっと使ってみよう。

Use it or lose it.

2006年12月24日 | Weblog
 米国には移民のためのESL、つまりEnglish as a second languageのクラスが無料で開講されているらしい。米国に劣らず移民の多いカナダでも、例えば僕が住んでいる所ならばToronto市のESLをただ同然の授業料で受けることができる。移民でないとちょっとした制限があるのだが、なぜか僕のように就労許可証を持っている外国人にも開放されているので、貧乏人の僕もありがたく利用させてもらっているが、日本人に会うことはまれだ。移民のためというだけあって、貧しい国で苦労してきたという人が多く、そんな仲間に混じって英語を勉強するとは、日本にいては全く想像できない状況である。1年以上前、3ヶ月間だけTOEFLのクラスを受講してみたが、大学に進ませるべくそして進むべく、講師も生徒もみな必死だった。母国で大学を卒業して、大学院を修了し、博士号を取って、英語もろくに話せないのに就労許可証を携えてお気楽にやって来る僕とは大違いである。そんなクラスの中で講師のJeanが耳にたこができるほど叫んでいた言葉が"Use it or lose it."である。英語だけではない。習ったら使っていないと、何事もきれいさっぱり忘れてしまう。

Japanese don't lose face.

2006年12月23日 | Weblog
 Torontoで多くの外国人と接していて、時々思わされることは、彼らには日本人に対する固定観念、いわゆる"stereotype"が、偏見として本当に染み付いていて、そう簡単には洗い落とせないということである。普通に接している限りでは、こういうことはお互い、あまり口に出さないが、仲良くなって、突っ込んだ話になってくると奴らの先入観が見えてくる。独創的なことはできないが、改良することは得意だなどなど。"Japanese don't lose face."もその一例で、日本人は面目を失うことを嫌うと心底思われている。本当にそうだろうか。父親に「親の顔に泥を塗りやがって!」と怒られたことがあるが、確かに一つ上の世代まではそうだったのかもしれない。しかし僕らが、僕らの子供に対して「親の顔に泥を塗りやがって!」と思うような事態は、これからの日本ではあまり起こらないような気がする。ということは、それなりに意味のあった固定観念なのかもしれないが、時代の流れについて行っているとは思えない。僕がどう説明しようと、奴らは首を縦に振らない。日本人各自が、せめて僕独りでも、自分なりの行動をとって示すしかない。「あいつは変わった日本人だ」と思われるだけかもしれないが。

Bus terminals are usually sketchy.

2006年12月22日 | Weblog
 昼飯を食べて職場に戻ったら、Christianにどこで食べてきたのか聞かれたので、「韓国人のやっている日本料理屋だ」と答え「今度一緒に行こう」と誘ったら、「俺はそんな"sketchy"なレストランには行きたくない」などと言われた。この"sketchy"は若者によく使われる俗語だが、辞書に出ていないし、日本語にどう訳せばいいのかよく分からない。彼は"Bus terminals are usually sketchy."と言ってくれたが、まさにこれである。日本のバスターミナルはそうでもないが、外国のバスターミナルの雰囲気、あれこそが"sketchy"である。"dodgy"が類義語らしいが、こちらもまた俗語でさらに意味不明。"suspicious"も"sketchy"の類義語らしいが、場所だけでなく人に対しても使われるということで、ちょっとだけ分かったような気になる。それにしてもアジア系の店を"sketchy"と呼ぶとは例のごとくChristianの偏見に由来するのかと思っていたが、よくよく考えてみるとその店はバスターミナルの近くにあり、付近には物乞いがうろうろしている。そんな状況を指して"sketchy"と呼んだのだろう。僕のアパートはそこから100mも離れていないが。

Today is the first day of winter.

2006年12月21日 | Weblog
 Torontoに住むと言って、みんなが何を心配してくれたかといえば冬の「寒さ」であるが、実は困ったことはそれだけではなかった。冬の「痒さ」も僕を大いに苦しめている。予想外の乾燥した空気は、僕の体中を痒くする。そして冬の「暗さ」である。高緯度ゆえの夜の長さで、すぐに日が沈んでしまうし、朝はなかなか明るくならない。Christianが"Today is the first day of winter."と言っていて、今日は冬至かと思わされ、これからだんだんと昼の長さが延びていくのかと思うと少しばかり嬉しくなった。しかし今日は21日で、冬至にはやや早い。確かに今年の日本の冬至は22日となっていた。そうか、時差だ。国によって、地域によって、さらにはタイムゾーンによって、日付はずれる可能性がある。またしても日本がちっぽけな島国であることを思わされた。冬はいったいいつ始まるのか。人によっていろいろであろうが、カナダではたいていの場合、冬至が"the first day of winter"と呼ばれ、つまり冬の最初の日である。日本では立冬が暦の上での冬の始まりで、"the first day of winter"と訳されることもあるが、誤解を生ずることがあるので避けた方がいいだろう。それに11月上旬ではまだまだ秋である。もう書く必要もないかもしれないが、春、夏、そして秋の"the first day"はそれぞれ、春分、夏至、秋分である。

Bring some goodies home for dinner.

2006年12月20日 | Weblog
 職場でpotluckをやるというメールが送られてきた。何のことかと思ったらカナダではよくある持ち寄りパーティーのことで、自分勝手にありあわせの食べ物や飲み物を持って行って参加すればいい。昼食会だから、酒類はなしだろう。実はpotluckの前にinternationalという単語が付せられていて、僕は日本料理を強制させられているような観念に駆られた。外国人が連想する日本料理といったらsushiであるが、普通の日本人は滅多に食べない。運良く直前に日本に滞在していたので、僕らが普段口にする物で何を作ってやろうか考え、買って持って来た物は焼きそばである。イスラム教徒やヒンドゥー教徒もいるから鶏肉を用意し、温かいうちに食べさせてあげようと昼前に家へ戻って作った。うちの小さなフライパンで野菜たっぷりの3皿分を作るのは非常に困難で、かつ水を入れ過ぎたため、人前に出せるような焼きそばにならなかったが、奴らにあの食感は分からない。味さえしっかりしていれば問題なしだ。そして昼には何十品もエスニックな料理が集まり、potluckは大成功に終わった。みんなが少しずつ、なるべく多くの料理を食べようとするので、どれもが余った。僕の焼きそばもそこそこ好評だったものの、残念なことに半分以上残っていて、主催したJulieから"Bring some goodies home for dinner."というメールが送られてきた。"goodies"とはこのような美味い食べ物のことで常に複数形で使う。確かに大部分が"goodies"だったのだが、正直言って少し口にするから"goodies"なのであって、夕食にまで食べる気にはなれず、日本人である僕は自分の作った焼きそばを処分することにした。

He has a green thumb.

2006年12月19日 | Weblog
 ガーデニング愛好家であるSteveのオフィスは緑が溢れている。1年くらい前に、2つほど株分けしてもらったのだが、その時、植物の名を尋ねたら「名前なんてどうでもいい」と言われてちょっとびっくりした。僕もかなりのガーデニングというか園芸というか、むしろ単なる植物好きなのだが、自分が育てている植物の名前が分からないというのは落ち着いていられる状況ではない。そのうちの1つは日本でも代表的な観葉植物の1つであるオリヅルランで、英語ではspider plantと呼ばれるらしい。その形から分からなくもないが、美しい和名に対して何とも品のない名称である。おかげさまでどんどん大きくなり、花をつけ、runnerと呼ばれる匍匐枝も伸びて子株がたくさんできた。その様を見てJulieが褒めてくれるので株分けしてあげようかと提案すると"I have a brown thumb."と言われた。なんとなく意味は分かったのだが、確認してみると、"brown thumb"は彼女の造語だという。辞書で調べ始めた僕を見て「そんなの載っていない」と言われたが、驚いたことに載っているではないか。意味は「植物栽培の才能に欠けること」とあったが、カナダ人は誰もこの存在を知らないので使う時は要注意である。普通はどう使うかというとSteveのような人を指して"He has a green thumb."とする。ヒトはthumbを2つ持っているが、"a green thumb"と必ず単数で使う。ちなみに足の親指は決してthumbとは呼ばない。日本人がtoesのことをfingersやthumbsなどと呼ぶと、足から手の指がにょきにょきと伸びて自由自在に動いているようなけったいな生命体を想像させるので気をつけるように。それはともかく、僕の知り合いに思いを巡らしてみても、Steveほどの植物好きはいない。ということは"I have a green thumb, too."である。

That's wishful thinking.

2006年12月18日 | Weblog
 東京からTorontoに向かう直行便は東北地方の太平洋沖を北上し、千島列島、Kamchatka半島沿いにさらに北上し、Bering海、Alaska上空を経て、Yellowknife付近を通り、南東へ下ってThunder Bay上空へとやって来る。この辺りから五大湖のSuperior湖とHuron湖を越えるのだが、眼下にはびっしりと雲が敷き詰められて湖面は見えなかった。高度3000mから約1000m下にあるその雲を見下ろすと、ふわふわとしたクッションのように見え、ここから落ちても助かるような気がするし、その上に寝そべったら、さぞ気持ちいいことだろうと思ってしまう。しかし飛行機が次第に高度を下げ、その雲の中に突入して行くと、やはり空中に漂う水に過ぎない、つまり"That's wishful thinking."であることを思い知らされる。「希望的観測」などと訳されるが、もうちょっと夢のある言葉のようにも思われる。僕は"a wishful thinking"というように不定冠詞を付けたくなるのだが、付けたらおかしくなるらしい。雲の上はすばらしい青空だったのに、Torontoに着いてみるとやはり曇り空だった。

Could you schlep this bag upstairs?

2006年12月17日 | Weblog
 日本人に接したことのあるカナダ人ならば、僕らが"L"と"R"の音を区別できないことぐらい容易に分かり、かつ有名な話であるので、普段、とやかく言われることはないし、そんなに困ることもない。しかしご親切なことにLoraは「なんであなたは"L"を発音できないんですか?」と僕を引き止めた。僕の"R"の音は許せても"L"は許せなかったらしい。彼女は口を大きく開けて舌の動きを僕にはっきりと見せながら何度も発音してくれた。ゆっくりやれば僕もできる自信はあったのだが、どうも甘かったようだ。近くにChristianがいて「日本人だからしょうがないんだよ」と言ってくれたが、Loraはできるようになるまで僕を離さない。ここまでやらなければ正しい"L"の音が出せないのかと嫌というほど思い知らされた。そしてイディシュ語を話せる彼女が教えてくれた単語が"schlep"という英語である。重い物などを苦労して引きずって運ぶというような意味のイディシュ語由来の動詞で、"Could you schlep this bag upstairs?"というように使う。この単語を見る度に"L"を発音してくれた彼女の顔が思い出されるが、名前はRolaだったかLoraだったかと未だに迷う。

Just a reminder not to bring your lunch tomorrow.

2006年12月16日 | Weblog
 書かれた英語で主語と動詞から成る文をなしていない表現を見ると、どうも気になる。そんな中でも電子メールでよく見受けられるのが"Just a reminder that I will be off work this Friday."というように使われる"just a reminder"である。"that"以下は不定詞を持ってきてもよく、"Just a reminder not to bring your lunch tomorrow."というのもあった。念のために書いておくと、to不定詞を否定するための"not"などは"to"の前に置く。もっと簡単な例は"Just a reminder about the meeting."で、この"about"が"of"になっている英語も見受けられる。最も単純には"Just a reminder."だけで、次に続く文でちょっとした説明をする。日本の中学生、高校生向けにどうしても主語と動詞を書き添えたければ、"This is just a reminder ..."とすればよく、実際、そのようなメールもないことはないが、極めてまれであるので、自然な英語を心掛けたければ、やっぱり"Just a reminder"で始めよう。

We will keep plugging away at this.

2006年12月15日 | Weblog
 ボスSteveはなかなかの文筆家で、小粋な言回しを電子メールの文面の中に入れることしばしばである。しゃべられては聞き流すことが多くなってしまうが、メールに残してくれれば後で確認できるのでありがたい。先日、「あの研究はどうなっているんだ?」というような問い合わせがある研究者から届いて、"We will keep plugging away at this."という返事を書いていた。最初に読んだ時は、深く考えもしなかったが、読み返してみて、また見慣れぬ表現を使っているぞと辞書で調べてみた。"plug away at"で「こつこつ働く」、「しこしこ勉強する」、「しこしこ取り組む」、「がんばる」という意味の口語になるらしい。"plug"という動詞に"away"が付いて、なぜこんな意味が出てくるのがよく理解できないが、なかなかいいイディオムではないか。あの研究とは僕のやっている仕事で、"this"はこのことを指している。彼は僕に"cc"して「しこしこ取り組んでいるか」とプレシャーをかけていたのだ。しかもその前に"keep"が付いているから「しこしこ」がより強調されている。Steveからのメールは細部まで注意深く読む価値があるし、ボスからのメールだから、もちろん、そうしなければならない。

I'm very stinky.

2006年12月14日 | Weblog
 Steveの講演があるので聴きに行こうとJulieを誘ったら、"I'm very stinky."と言われ、なんだか断られた。状況からなんとなく意味を察することができたが、辞書で調べてみるとこの"stinky"は「臭い」という意味のインフォーマルな言葉であることがわかった。ダンスを習ってきたと言っていたから、汗を流しているので、人前に出たくないのだろう。女性のこのような発言を文章にしてしまうのはあまりよくないかもしれない。彼女は小田原に数年間住んだことがあって、少しばかりの日本語がわかるようだが、まさかこの日本語が読めるとは思えないので、とりあえずは問題なしということにしておく。それから数日後、Jo-Anneが0歳の愛娘Juliannaを連れて来て、"She's stinky."と言っていた。ごく簡単な言葉だが、インフォーマルだから日本ではなかなかお目にかかれないものの、よく使われる表現なのかもしれない。ちなみに、臭いことを表現する"P.U."という感動詞があり、これも覚えておく価値がある。

Mom, if I eat it, it will make me sick.

2006年12月13日 | Weblog
 4年ほど前、博士論文の初稿に目を通してくれた先生が、あまりの英文のひどさに呆れ、薦めてくれたのが鈴木英次の『化学英語のセンスを磨く』という本だった。最初の数ページを読んだだけで、目から鱗が落ちるとはこのことかと思い知らされた。何を最も思い知ったかといえば、口語と文語の違い、そしてそれらの使い分けの重要さである。学校の英語だけを勉強していたのでは話せるようにはならないと、独りで黙々とラジオ講座で勉強していたが、ラジオ講座で学んだ英語を論文に使うことは許されないのだ。そんなことを恥ずかしながら初めて知った。さて、その本の最初に何が書かれていたかというと、可能性を表す助動詞の使い分けで、可能性の大きさによって"will > would > should > may > might > could"の順番で使い分けられていると書かれている。"will"は単なる未来を表現する助動詞だと思っていたが、現在または未来に確実に起こりそうな事実の推定に用いられ、「必ず起こる」というニュアンスがあるらしい。目から鱗が落ちつつも半信半疑だったが、Anneが同様なことを説明して、例を挙げてくれた。"Mom, if I eat it, it will make me sick." これは子供が嫌いな物を食べたくない時の母親への言い訳で、明らかな口語だ。それでも文語で説明されていたのと同じ"will"が使われ、その子は「確実に気分が悪くなる」と訴えている。僕も子供の頃は、母親がいろいろな物を作って出してくれるにも関わらず、かなりの偏食だった。それが直ったのは独り暮らしを始めてからであるが、未だにラッキョウだけは確実に僕の気分を悪くする。