古代の日本語

古代から日本語には五十音図が存在しましたが、あ行には「あ」と「お」しかありませんでした。

日本紀の「愛」

2021-08-01 09:32:38 | 古代の日本語

前回は、日本紀の「可愛・哀・埃」が、実はや行の「え」を表記していたということをお伝えしました。

今回は、最後に残った「愛」という漢字について調べてみました。

その結果、「愛」が登場するのは二か所で、最初は神武紀の次の歌謡です。なお、漢字の表記については、『国史大系 第一巻』を参照しました。

「愛瀰詩烏毗儾利 毛毛那比苫 比苫破易陪廼毛 多牟伽毗毛勢儒」

この歌の読みと意味は、『紀記論究 外篇 古代歌謡(上)』(松岡静雄:著、同文館:1932年刊)という本によると、次のようになります。

読み:えみしをひたり ももなひと ひとはいへども たむかひもせず

意味:蝦夷の男子は一人で百人に敵するというけれども向って来ない

ここで、『日本古語大辞典』によると、蝦夷の「えみ」は弓の転呼であり、この種族が弓術に長じていた事実によってなづけられたと思われるそうです。

また、夷(弓と人の合字)という字をあてるのもそのためだそうですから、「ゆみ」が「えみ」になったのであれば、この「え」はや行の「え」に間違いないでしょう。

二つ目は、天智紀の次の歌謡です。

「美曳之弩能 曳之弩能阿喩 阿喩舉曾播 施麻倍母曳岐 愛倶流之衞 奈疑能母縢 制利能母縢 阿例播倶流之衞」

この歌の読みと意味は、『紀記論究 外篇 古代歌謡(下)』によると、次のようになります。

読み:みえしぬの えしぬのあゆ あゆこそは しまへもえき えくるしゑ なぎのもと せりのもと あれはくるしゑ

意味:ミ吉野の吉野(川)のアユは島辺(に棲むこと)もよい。(然るに)嗚呼苦しや、なぎ(=水葱)の下、芹の下(では)自分は苦しや

ここで、『国史大系 第一巻』によると、「愛倶流之」は「吾(あ)苦し」であるとし、その理由として、釈日本紀に「吾苦也」と書かれていることを挙げています。

また、『紀記論究』の著者の松岡静雄氏は、「愛をエと訓むべしとすれば可愛の義によるものであらう。」と述べているので、仮に「愛倶流之」が「えくるし」であっても、前回論じたように、この「え」はや行の「え」だと思われるのです。

したがって、以上の検討結果から、日本紀の「愛」もや行の「え」を表記していたという結論が導かれます。

次回は、かつて「う」がわ行にあったということを説明したいと思います。

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