古代の日本語

古代から日本語には五十音図が存在しましたが、あ行には「あ」と「お」しかありませんでした。

漢字の音訳時期

2022-02-06 10:43:06 | 古代の日本語

前回、漢字の音訳時期は応神天皇の時代だとお伝えしましたので、今回はその年代を明らかにしたいと思います。

まず、第十五代応神天皇が即位した年は庚寅(かのえとら)と日本紀に書かれています。

干支は60年周期で繰り返され、直近の庚寅の年は西暦2010年でしたが、四世紀なら西暦330年と西暦390年が、五世紀なら西暦450年が庚寅の年となります。

次に、本ブログの「彌馬升=孝昭天皇説の検証」で、第十代崇神天皇が西暦300年頃に即位したと考えました。

これは、古事記に崇神天皇の没年が戊寅(つちのえとら)と書かれていて、これが西暦318年と推定できるからです。

また、本ブログの「雄略天皇の和名」でご紹介したように、稲荷山古墳から出土した鉄剣は西暦471年に制作されたと考えられており、これは第二十一代雄略天皇の時代に比定されています。

すると、崇神天皇の時代と雄略天皇の時代のほぼ中間に相当する庚寅の年は西暦390年となりますから、私はこの年を応神天皇即位の年と判断しました。

つまり、崇神天皇から応神天皇まで、西暦300年から平均18年で天皇が交代したと考えたわけですが、崇神天皇の時代には疫病の大流行が記録されていて、当時は平均寿命が短かったはずですから、これは妥当な数字だと思われます。

また、応神天皇即位から雄略天皇即位までは80年弱と考えられますが、この間には、次の図に示すように、履中天皇、反正天皇、允恭天皇の三兄弟と、安康天皇、雄略天皇の兄弟が即位しており、兄弟は一世代だと考えれば平均25年程度で世代が交代しているので、これも妥当な数字だと思われます。

天皇家の系図(応神-雄略)

ところで、前回お伝えしたように、古事記には、応神天皇の時代に和邇吉師(わにきし)が論語十巻と千字文一巻を日本に伝えたことが記されています。

一方、日本紀には、応神天皇の十六年に王仁(わに)が来朝したことが書かれています。

この王仁は、古事記の和邇吉師と同一人物だと思われますから、論語十巻と千字文一巻が日本に伝えられたのは西暦405年だったと計算できます。

つまり、漢字の音訳が開始された時期は五世紀の初めだと考えられるのです。

したがって、次の図に示す、あ行の「い、う、え」が欠落した古代の五十音図は、少なくとも五世紀の初めまでは、その形を保っていたはずです。

古代の五十音図

そして、漢字の音訳が進むにしたがって、新しい発音が日本語に定着した結果、本ブログで論じているように、奈良時代の初頭までに次のような五十音図に変化したと考えられます。

八世紀の五十音図

つまり、五世紀から八世紀までの300年間に、や行の「い」とわ行の「う」があ行に移動したと思われるのです。

次回も漢字の音訳に関する考察です。

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