古代の日本語

古代から日本語には五十音図が存在しましたが、あ行には「あ」と「お」しかありませんでした。

古代歌謡の分析1

2022-02-20 11:05:18 | 古代の日本語

本ブログの「漢字の音訳が意味するもの」という記事では、漢字が音訳された時代(五世紀前半か?)には、あ行の「い、う、え」が存在しなかったと論じました。

そうであれば、「魏志倭人伝」に登場した伊都国の伊も、や行の「い」だったはずです。

そこで、「い」を表記する万葉仮名について、現代中国音を調べてみました。

まず、『大日本国語辞典』によると、「い」を表記する万葉仮名は次の14文字でした。

◆「い」の万葉仮名:伊、意、怡、肄、壹、以、移、夷、易、已、異、射、五十、膽

ただし、射、五十、膽は訓読みなので、ここでは除外します。

この11文字のうち、や行の「い」を表記する漢字は次の6文字とされていました。

◆や行の「い」:以、移、夷、易、已、異

つまり、残った次の5文字があ行の「い」を表記する漢字となります。

◆あ行の「い」:伊、意、怡、肄、壹

しかし、これら11文字の現代中国音をインターネットで調べると、四声とよばれる抑揚は異なるものの、すべて同じ「yi」という発音でした。

逆に言うと、日本語のあ行の「い」に該当する音は、中国語には存在しないようです。

このことから、これらの漢字はすべてや行の「い」を表記するものだったと推測することができるでしょう。

ただし、古代においては異なる発音だった可能性もありますから、事実を検証するため、漢字によって歌謡が一字一音で筆記され始めたと思われる応神天皇の時代について、日本紀の歌謡を調べてみました。(参考文献:『紀記論究 外篇 古代歌謡(上)』)

まずは、応神天皇の十三年に、大鷦鷯(おほさざき)皇子(=後の仁徳天皇)が、天皇から髪長媛という美女を賜ることを知り、大いに喜んで詠んだとされる歌です。

原文
読み
意味
瀰豆多摩蘆 みづたまる 水溜まる
豫佐瀰能伊戒珥 よさみのいけに 依網の池(大阪にあった古代の大池)に
奴那波區利 ぬなはくり 沼縄(ぬなわ=水草、じゅんさい)を繰るように
破陪鷄區辭羅珥 はへけくしらに (大御心が遠く)延びていたことを知らず
委愚比菟區 ゐぐひつく 堰杙(いぐい=水をせきとめるくい)を築くように
伽破摩多曳能 かはまたえの 川俣の入江の
比辭餓羅能 ひしがらの 菱殻の(棘があるので、次の「さし」にかかる)
佐辭鷄區辭羅珥 さしけくしらに (大御心が深く)さしていたことを知らず
阿餓許居呂辭 あがこころし 自分の心こそ
伊夜于古珥辭氐 いやうこにして はなはだ迂闊(うかつ)であったよ

次は、応神天皇の二十二年に、妃の兄媛(えひめ)が両親の住む吉備に帰ることになり、天皇が難波大隅宮(なにはのおほすみのみや)の高台から彼女が乗った船を見送るときに詠んだとされる歌の冒頭部分です。

原文
読み
意味
阿波旎辭摩 あはぢしま 淡路島は
異椰敷多那羅弭 いやふたならび (峰が)幾重にもかさなっている
阿豆枳辭摩 あづきしま 小豆島も
異椰敷多那羅弭 いやふたならび (峰が)幾重にもかさなっている
(以下省略)
   

これらを見比べると、「いや」という言葉が共通して使われていますが、これを漢字で書くと「彌」(弥の旧字体)で、「いよいよ、ますます」という意味だそうです。

つまり、同じ言葉が、前者では伊夜、後者では異椰と書かれているので、これは伊と異が同じ発音であったことを証明していると思われます。

しかも、『日本語原』によると、「いや」(彌)はや行の言葉なので、伊と異はや行の「い」だったと判断できます。

そして、「い」を表記する残りの万葉仮名も、三段論法によって、や行の「い」だったと推論することができるのです。

次回も古代歌謡の分析です。

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