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「フレンチローズとエコルド・パリ25」

2023-09-08 06:44:45 | Rose Library
「フレンチローズとエコルド・パリ25」


23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。


「荻須高徳」1901年~1986年
東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業した1927年、本場の油彩画を学ぶためにパリに渡った荻須は、パリの街絵を歩いて絵を描くなかで、建物の歴史の重層性や人びとの息遣いにふれ、それらに強く惹かれるようになる。個展の開催やパリ万国博覧会への出品など、画家としての足場を固めてゆくものの、1939年には第二次世界大戦が勃発、翌年にドイツ軍のフランス侵攻によりパリが陥落したため、荻須は帰国することとなる。戦後、フランスの友人の尽力により、荻須は再びパリに渡る。戦後の美術界の主流は抽象画ではあったものの、具象画を手がけてきた荻須は自己の表現を大きく変えることはなかった。1956年にフランス政府からレジオン・ドヌール勲章を受章し、1978年にはパリ市主催で回顧展が開かれるなど、国際的な評価を受けるようになりました。


「荻須高徳」
「パリを愛し街並み描いた彼こそは 最もフランス的な日本人」



「バーとたばこ屋」1976年
参照
https://www.fashion-press.net/news/77503

23年7月17日撮影


※9月9日(土)10日(日)はお休みです。

「フレンチローズとエコルド・パリ24」~ラローズドウモリナール

2023-09-07 06:45:01 | Rose Library
「フレンチローズとエコルド・パリ24」~ラローズドウモリナール


23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。


「ジョアン・ミロ」1893年~1983年
ジョアン・ミロ・イ・ファラー(1893年4月20日-1983年12月25日)はスペイン・バルセロナ出身の画家、彫刻家、陶芸家。具象と抽象のあいだをいくような独特な画風が知られる。一般的にはミロ作品は、オートマティスム系のシュルレアリスム作家と解釈されており、無意識を利用した子どものような自由にドローイングや故郷カタルーニャの世界観を表現しているという。また、ミロはブルジョア社会を支える方法として、従来の伝統的な絵画技法に批判的な態度を示し「絵画の暗殺」を宣言する。1975年に故郷バルセロナに設立されたジョン・ミロ財団美術館や1981年にパルマ・デ・マヨルカに設立されたマヨルカ島のジョアン・ミロ財団美術館に作品が多数所蔵されている。



「ジョアン・ミロ」
「どきも抜く具象と抽象あいだいく シュルレアリスムの独特な画風」



「農園」1922年

23年7月17日撮影

フレンチローズ「ラローズドウモリナール」
四季咲き性。樹勢が強く耐病性も強い、シュラブ樹形のバラ。トゲは普通。うどんこ病に強く黒星病にも強い。無農薬でも育つとても丈夫なバラ。月に一度の薬剤散布を行えば、一年を通して綺麗な株姿を維持できる。また葉を落としたとしても何事もなかったかのように枝葉を伸ばしなおし、繰り返し咲く。樹高が高め、ガーデンなら半ばから後方に。横張り樹形なのでスペースをしっかり考えて植え付けるか、オベリスクやトレリスなど支柱を上手に使いスペースを活用すると良い。名前の由来は、南仏の香水会社モリナールから命名しました。
品種名 ラローズドウモリナール
咲き方 四季咲き
花色  ブライトピンク
香り   強香
作出年 2008年
作出者 デルバール
作出国 フランス


「フレンチローズとエコルド・パリ23」~パピーデルバール

2023-09-06 06:14:58 | Rose Library
「フレンチローズとエコルド・パリ23」~パピーデルバール


23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。


「ジョルジュ・ブラック」1881年~1955年
ジョルジュ・ブラックは、フランスの画家。パブロ・ピカソと共にキュビスムの創始者のひとり。ピカソよりも画家としてのキャリアでは劣ったが、絵画における発明の才はピカソも一目を置いた。第一次世界大戦を挟んで画風は一変するが、生涯に渡って絵を書き続けた画家である。仲間から「白い黒人」と描写されるほど体格が良く、また好んでスーツを着るハンサムであった。



「ジョルジュ・ブラック」
「キュビスムの絵画における才こそは ピカソも一目置いた存在で」



「レスタックの家」制作年:1908年
参照
https://www.art-frame.net/single/8705

23年7月17日撮影

フレンチローズ「パピーデルバール」
オレンジ、アプリコット、黄色の混ざりあった暖かい花色で、開くと花弁の重ねが多いオールドローズのタイプの大輪系ロゼット咲きのつるバラ。壁面を大きく覆うのにも適している。新鮮なフルーツの香り。大株に仕立てて年数を重ねることで四季咲き性が強くなる。名はデルバールの創始者ジョルジュ・デルバールにちなむ。
品種名 パピーデルバール
咲き方 返り咲き
花色  オレンジ・黄・アプリコットブレンド
香り   強香
作出年 1995年
作出者 デルバール
作出国 フランス


参照
https://www.delbard-japon.com/2018/03/16/1577/

「フレンチローズとエコルド・パリ22」~ジェームスギャルウエイ

2023-09-05 06:58:19 | Rose Library
「フレンチローズとエコルド・パリ22」~ジェームスギャルウエイ


23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。


「パブロ・ピカソ」1881年~1973年
パブロ・ピカソは、生涯の大半をフランスで過ごしたスペイン出身の画家、彫刻家、版画家、陶芸家、舞台装飾家、詩人、劇作家である。20世紀で最も影響を与えた芸術家の一人で、ジョルジュ・ブラックと共にキュビスムの創立者である。代表作は、キュビスム黎明期の「アヴィニョンの娘たち」(1907年)や、スペイン市民戦争におけるドイツ軍のゲルニカ空爆を描いた「ゲルニカ」(1937年)である。ピカソ、アンリ・マティス、マルセル・デュシャンの3人は、20世紀初頭の視覚美術に革命的な発展をもたらし、絵画のみならず、彫刻、版画、陶芸など幅広い美術分野に影響を与えた。ピカソの死後、80年代にアート・ワールドで新表現主義が流行り始めると、晩年のピカソの作品は注目を集めることとなりました。



「パブロ・ピカソ」
「視覚美術の革命的な発展に 影響与えた芸術家こそ」



「泣く女」1937年
本作は、1937年に描かれた「泣く女」シリーズのなかでも最も有名な、イギリスのテート・ギャラリーに所蔵されている作品
。写真家であり絵も描いた愛人ドラ・マール(本名、アンリエット・テオドラ・マルコヴィッチ)をモデルにした、有名な作品の一つ。ドラ・マールをモデルに描かれた作品には《ドラ・マールの肖像》など油彩に限らず他にもあるが、最もよく知られるのはこの《泣く女》である。ただし「泣く女」をモチーフとした作品には100種類以上のバリエーションがあるといわれる。
参照
https://www.musey.net/54

23年7月17日撮影

イングリッシュローズ「ジェームスギャルウエイ」
強い性質で茎に刺がなく、つるバラとしても最適なばかりでなく、大きな丸いシュラブ樹形にする事もできます。オールドローズのとてもよい香りを持ちます。 大輪で花弁が密に詰まる花に開花し、中心は温かみのあるピンクで端になるほど淡くなります。
品種名 ジェームスギャルウエイ
咲き方 四季咲き
花色  ピンク
香り   中香
作出年 2000年
作出者 デビッド・オースチン
作出国 イギリス

参照
https://www.ogafarm.co.jp/detail.php?seq=433&&kw=

「フレンチローズとエコルド・パリ21」~オフェリア

2023-09-04 07:09:45 | Rose Library
「フレンチローズとエコルド・パリ21」~オフェリア


23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。


「モーリス・ド・ヴラマンク」1876年~1958年
フランスの画家、モーリス・ド・ヴラマンク(1876〜1958)は、独学で絵を学び、20世紀初頭にアンリ・マティスやアンドレ・ドランらとともに、「フォーヴィスム(野獣派)」で一世を風靡。その後、セザンヌに傾倒し、形態のボリュームを強調した構成力のある作品を描いた。第一次世界大戦後はパリ郊外にて、厚塗りの情感溢れる大きな筆致で対象を描き出し、次いでパリから100km以上離れた小村リュエイユ=ラ=ガドリエールに住まいを移し、抑制された色調や、スピード感あるタッチで田園風景や妻が活けた花束などを描き続けました。



「モーリス・ド・ヴラマンク」
「厚塗りの情感溢れる筆致こそ 傾倒した野獣派の凄み」



「束ねられた麦のある畑 」1950年
参照
https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/16729

23年7月17日撮影

フレンチローズ「オフェリア」
名花オフェリアのつる性品種。花色は白に近いアプリコットピンクで弁底にわずかに黄色を含む。香りは言わずもがなの一級品、オフェリア香。管理はHT枝変わりのつるバラに準じます。
品種名 オフェリア
咲き方 四季咲き
香り  強香
作出年 1912年
作出者 William Paul
作出国 イギリス

参照
https://www.baranoie.com/shopdetail/000000000569/

「フレンチローズとエコルド・パリ⑳」~ジュヌヴィエーヴオルシ

2023-09-01 06:28:21 | Rose Library
「フレンチローズとエコルド・パリ⑳」~ジュヌヴィエーヴオルシ


23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。


「ジョルジュ・ルオー」1871年~1958年
ジョルジュ・ルオーは1871年パリに生まれ、ステンドグラス職人修業を経て画家に転向。進学したエコール・デ・ボザールでアンリ・マティスと出会い、ともにギュスターヴ・モローに師事。黒く太い輪郭線や厚塗りが特徴的な油彩画や、版画作品などを多く残した。ルオーが描いたのは、疲れ果てた道化師の姿、暖かな光を放つ秋の夕暮、そして、苦しみの果てにうつむくキリストだ。人間が抱える苦しみや悲しみに向き合い、その果てに見出される生命の輝きを表現しているとして高く評価されてきた。



「ジョルジュ・ルオー」
「人間が抱える苦しみ向き合いて いのちの輝き画家は表現」



「秋の夜景(部分)」1952年
参照
https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/17107

23年7月17日撮影

フレンチローズ「ジュヌヴィエーヴオルシ」
見る角度によって微妙に色を変える花は非常に美しく、その上品な香りも格別です。強健で花付きが良く、美しい花が咲きそろう姿は見事。ティーの香りを基調に、バニラ、クローブ、タンジェリン、アプリコットの香りが混じります。
品種名 ジュヌヴィエーヴオルシ
咲き方 四季咲き
花色  アプリコット
香り   強香
作出年 2009年
作出者 QUILLOT
作出国 フランス

参照
https://www.baranoie.com/shopdetail/000000005530/

※9月2日(土)3日(日)はお休みです。

「フレンチローズとエコルド・パリ⑲」~アンドレトウルカ

2023-08-31 07:14:49 | Rose Library
「フレンチローズとエコルド・パリ⑲」~アンドレトウルカ


23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。


「アンリ・マティス」1869年~1954年
アンリ・マティスは、フランスの画家。野獣派(フォーヴィスム)のリーダ-的存在であり、野獣派の活動が短期間で終わった後も20世紀を代表する芸術家の一人として活動を続けた。自然をこよなく愛し「色彩の魔術師」と謳われ、緑あふれる世界を描き続けた画家であった。彫刻および版画も手がけています。



「アンリ・マティス」
「色彩の魔術師マティス野獣派は 緑あふれる世界を描く」



「リュート」1943年
参照
https://media.thisisgallery.com/20221068

23年7月17日撮影

フレンチローズ「アンドレトウルカ」
咲き始めイエローの強い花は、次第にピンク、オレンジが強くなる。花弁がぎっしり詰まった大輪で、まるでブーケのようなボリューム。形の整ったカップ咲きの花は、開くにつれてロゼット咲きへと変化。花には強いアニスの香りがある。超音速旅客機コンコルドのチーフテストパイロットを務めたフランス人パイロット、アンドレ・トゥルカ氏に捧げられたバラ。
品種名 アンドレトウルカ
咲き方 繰り返し咲き
花色  オレンジ系、アプリコットピンク+ピンク
香り   中香
作出年 2002年
作出者 Dominique Massad
作出国 フランス

参照
https://item.rakuten.co.jp/baranoie/c/0000007031/

「フレンチローズとエコルド・パリ⑱」~ピンクサクリーナ

2023-08-30 06:37:02 | Rose Library
「フレンチローズとエコルド・パリ⑱」~ピンクサクリーナ


23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。


「シュザンヌ・ヴァラドン」1865年~1938年
ルノワール、ロートレックらの画家のモデルを務めながらも独学で絵を描き始め、エドガー・ドガに師事した女性です。ヴァラドンは、サーカスの曲芸師として活躍していたのですが、空中ブランコから転落し、重症を負ってしまいサーカスを退団。その後、母親の洗濯婦の仕事を手伝い、画家たちへ洗濯物を届けて回っているうちに、画家たちのモデルも務めるようになります。



「シュザンヌ・ヴァラドン」
「シュザンヌは多くの画家のモデルにも ドガに師事して天賦を発揮」



「自画像」1898年
参照
https://www.tabitobijutsukan.com/

ヴァラドンは、ルノワールのモデルを務めてもいます。ヴァラドンはルノワールの恋人でもあったと言われています。
「ブージヴァルのダンス」1883年


ピエール=オーギュスト・ルノワール ボストン美術館蔵(アメリカ ボストン)

ヴァラドンはルノワールの他、ロートレックのモデルも務めました。
ロートレックはルノワールとは対照的にヴァラドンを厳しい生活を生きる女性のモデルとして描きました。
「二日酔い」1888年


アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック フォッグ美術館蔵(アメリカ マサチューセッツ州ケンブリッジ)

23年7月17日撮影

「ピンクサクリーナ」
一重咲きの5枚の花弁が桜のようなハート型で、おしべも美しいバラです。わずかに紅をさしたようなピンクの花弁が咲くにつれ桜色となり、散り方もひらひらと桜の花のようで優雅です。花付きもよく、どんどん新しい花が上がってきて、1房に1~15輪もの花がまとまって咲きます。ピンクサクリーナは黒点病に強い修景バラです。うどん粉病に強い。鉢植えや花壇、オベリスクなど使い勝手が良いので、用途やシーンを選ばずに用いやすい品種が多いです。シュラブローズは冬に強い剪定をして木立ちにしてもいいし、トレリスとかオベリスクに誘引しても楽しめます。ベランダで楽しめるつるばらと言う感じです。
品種名 ピンクサクリーナ
咲き方 四季咲き
花色  淡いピンク系
香り   中香
作出年 2006年
作出者 Meiland
作出国 フランス


参照
https://www.baranoie.com/shopdetail/000000002384/

「フレンチローズとエコルド・パリ⑰」~プリPSルドーテ

2023-08-29 06:40:43 | Rose Library
「フレンチローズとエコルド・パリ⑰」~プリPSルドーテ


23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。


「アンリ・ルソー」1844年~1910年
19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの素朴派の画家。20数年間、パリ市の税関の職員を務め、仕事の余暇に絵を描いていた「日曜画家」であったことから「ドゥアニエ(税関吏)・ルソー」の通称で知られる。ただし、ルソーの代表作の大部分はルソーが税関を退職した後の50歳代に描かれています。



「アンリ・ルソー」
「いつの世も戦争体験悲惨さで 画家の感性影響受ける」



「戦争」1894年
ルソーが本作《戦争》を描いたのは、1870年のフランコ・プルシアン戦争や1871年のパリ=コミューンより20年以上経過した後のことであった。彼は依然としてこれらの出来事の影響を大きく受けていた。中央では、しかめ面をした女性が剣とたいまつを持っている。ローマ神話の戦争の女神ベローナのようなこの女性は、モンスターのような馬に乗っている。暗い地面は死体の山で覆われており、カラスがその死肉をついばんでいる。木々は黒く焦げたようであり、雲は赤い。逸話や物語の要素を使わずに、ルソーはイメージで出来事を伝えている。多数のギザギザした形や、特に色の選択が、このイメージに寄与している。希望を表す緑は皆無であり、哀悼と地の色である黒と赤が画面を支配している。
参照
https://www.musey.net/16947

23年7月17日撮影

「プリPSルドーテ」
コロンとしたカップ咲きの花は、フランボワーズピンク色で中央がアプリコット色のグラデーションに。 開花が進むにしたがって淡くなっていきます。多花性で5~6輪の房咲きになり、照り葉のしなやかな枝に咲く。 ジャスミン、スズラン、バニラ、ティーローズ、干し草の強い香り。 花名の「ピエール=ジョセフ・ルドゥーテ賞」は、フランスのガーデニングやボタニカルアートの 優れた本に与えられるもので、ベルギーのアストリッド王女により命名されました。
品種名 プリPSルドーテ
咲き方 返り咲き
花色  黄みがかったピンク系
香り   中香
作出年 2009年
作出者 GUILLOT
作出国 フランス


参照
http://www.omoriplants.com/commodity/rose/guillot/prix-pj-redoute.html

「フレンチローズとエコルド・パリ⑯」~ノバイア

2023-08-28 05:46:59 | Rose Library
「フレンチローズとエコルド・パリ⑯」~ノバイア


23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。


「佐伯祐三」1898年-1928年
佐伯は画家としての短い活動期間の大部分をパリのモンパルナス等で過ごし、フランスで客死した。佐伯の作品はパリの街角、店先などを独特の荒々しいタッチで描いたものが多い。佐伯の風景画にはモチーフとして文字の登場するものが多く、街角のポスター、看板等の文字を造形要素の一部として取り入れている点が特色である。作品の大半は都市風景だが、人物画、静物画などもある。



「佐伯祐三」
「独特のパリ街角を荒々しく 旺盛に描く都市風景を」



「テラスの広告」1927年
佐伯祐三のアトリエから程近い、ポール・ロワイヤル通り周辺のカフェを描いた作品です。右上の"UZO SAHEKI/ A PARIS/ NOV 27/ HOTEL DU MARCHE"という文字から、この作品は2度目のフランス滞在時期である1927(昭和2)年の11月に制作されたことがわかります。画面を踊るいくつもの黒い文字は、作品全体の中で装飾的に再構成され、画面に動きを与える要素として重要な役割を果たしています。この作品は、佐伯の没後開かれた1929年の第4回一九三〇年協会展の特別陳列に出品されました。
参照
https://www.artizon.museum/collection/category/detail/192

23年7月17日撮影

「ノバイア」