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「フレンチローズとエコルド・パリ⑮」~ピエドウ

2023-08-25 06:54:19 | Rose Library
「フレンチローズとエコルド・パリ⑮」~ピエドウ


23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。


「オシップ・ザッキン」1890年~1967年
ロシア出身の彫刻家、日本ではあまり知られていないようですが、日本国内にはたくさんの作品が点在しています。オシップ・アレクセーエヴィチ・ザッキンは、ピカソやブラックらによる「キュビズム」から着想を得た彫刻を制作した彫刻家としてパリを中心に活躍しました。なお、ザッキンはレオナール藤田とも親交があり、藤田の勧めもあり、二科会外国会員として二科展に出品を続けた親日家としても知られ、多くの作品を日本でも見ることができます。



「オシップ・ザッキン」



「三美神」
参照
https://sdart.jp/archives/882

23年7月17日撮影

フレンチローズ「ピエドウ」
「淡いピンクに絞りが特徴の、カップ咲き、中輪房咲きの花。ダマスクにティとパウダーの中香。四季咲き性。樹勢が強く耐病性も強い、シュラブ樹形のバラ。トゲは多い。うどんこ病に強く黒星病にも強い。無農薬でも育つとても丈夫なバラ。月に一度の薬剤散布を行えば、一年を通して綺麗な株姿を維持できる。また葉を落としたとしても何事もなかったかのように枝葉を伸ばしなおし、繰り返し咲く。樹高が高め、ガーデンなら半ばから後方に。秋には枝が伸びるので、場所によってはオベリスクやトレリスなど支柱を上手に使うと良いでしょう。名前の由来は、名前はフランス語で小さなラブレター。
品種名 ピエドウ
咲き方 四季咲き
花色  ピンクグラデ
香り  中香
作出年 2010年
作出者 デルバール社
作出国 フランス


参照
https://www.flowerpark.or.jp/flower/rose-book/181/

※8月26日(土)~8月27日(日)はお休みです。

「フレンチローズとエコルド・パリ⑭」~シフォード

2023-08-24 06:43:20 | Rose Library
「フレンチローズとエコルド・パリ⑭」~シフォード


23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。


「モイズ・キスリング」1891年~1953年
モイズ・キスリング(1891-1953)は、ポーランドの古都クラクフの裕福な仕立屋の息子として生まれました。明るく鮮やかな色彩で、異国的な情感の女性像を描くことで知られるエコール・ド・パリを代表する画家のひとりです。地元クラフクの美術学校で、印象派の影響を受けたユゼフ・パンキェヴィッチ(1866-1940)に師事。その後、1910年にパリへ出て画家として本格的に絵を描き始めました。パリへ出た当時、第一次世界大戦開戦前ということで生活は苦しかったといいます。しかしキスリングと同郷の画商、アドルフ・パスレルや東欧出身のユダヤ系の支援に恵まれるなど、経済的な困窮はなかったのだそうです。



「モイズ・キスリング」
「モデルたち嫉妬の渦に巻き込んだ 逸話の残るキキの艶姿」



「モンパルナスのキキ」1925年
参照
https://artmuseum.jpn.org/mu_monparunas.html

23年7月17日撮影

フレンチローズ「シフォード」
やや波打つ花弁がやさしく重なる中輪花で、5輪前後の房咲きに。クリームピンクからクリームイエローに変化しながら開花するので、花房全体として淡いグラデーションが美しいです。樹形は小型のシュラブでまとまりよく、耐病性も強いので育てやすいバラ。花名は、「シフォン”のようにやさしく柔らかい」花のイメージから名付けられました。
品種名 シフォード
咲き方 四季咲き
花色  クリームイエロー
香り   微香
作出年 2011年
作出者 ドリュ
作出国 フランス


参照
https://hanahana-shop.com/products/doa39849

「フレンチローズとエコルド・パリ⑬」~アンナプルナ

2023-08-23 06:55:10 | Rose Library
「フレンチローズとエコルド・パリ⑬」~アンナプルナ


23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。


「ペール・クローグ」1889年~1965年
芸術家として、紙のドローイング、イラスト、ポスターから、舞台装置のデザイン、彫刻、記念碑的な絵画まで幅広い分野にわたって活動した。1930年にノルウェーに戻ってからは、オスロの国立芸術デザイン大学で教鞭を執った。1946年には国立芸術アカデミーの教授に任命され、1955年から1958年までは同アカデミーの所長を務めた。ニューヨークの国連ビル内にある国連安全保障理事会室の壁画を制作。その他にも、オスロ大学の物理・化学棟やオスロ市庁舎など、多くの公共施設に大きなフレスコ画を描いている。コペンハーゲン国立美術館には6点の作品が収蔵されている。



「ペール・クローグ」
「見つめよう国連壁画今の時期 再建目指して未来への希望」



「国連安全保障理事会会議場の壁画」
安全保障理事会の会議室でまず目を引くのは、ノルウェーの画家、ペール・クロフが描いた油彩壁画です。 そこには灰から飛び立つ不死鳥が描かれ、第二次世界大戦からの世界の再建を象徴しています。 下方部分の暗い不吉な色の上に、よりよい未来への希望を象徴した明るい色でさまざまなイメージが描かれています。

23年7月17日撮影

フレンチローズ「アンナプルナ」
白、丸弁高芯咲き、中大輪房咲きの花。ダマスクにティの強香。
四季咲き性。樹勢は普通で耐病性も普通、木立樹形のバラ。トゲは普通。うどんこ病は普通で黒星病も普通。ときどきの薬剤散布で良く育つ丈夫なバラ。月に2度の適切な薬剤散布を行えば一年を通して綺麗な株姿を維持できる。葉を落としたとしても、樹勢により枝葉を伸ばしなおし、繰り返し咲く。樹高がやや高め、ガーデンなら半ばから後方に。名前の由来は、ヒマラヤ山系の名山から。
品種名 アンナプルナ
咲き方 四季咲き
花色  白・アイボリー
香り   強香
作出年 2000年
作出者 デルバール社
作出国 フランス


参照
https://www.flowerpark.or.jp/flower/rose-book/31/

「フレンチローズとエコルド・パリ⑫」~ローズジネルジック

2023-08-22 06:56:42 | Rose Library
「フレンチローズとエコルド・パリ⑫」~ローズジネルジック


23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。


「フアン・グリス」1887年~1927年
パリでは同じスペイン出身のピカソと出会い、1908年にはピカソを通じて、ジョルジュ・ブラック、ギヨーム・アポリネール、アンドレ・サルモン、そしてマックス・ジャコブと知り合い、活動を始めました。キュビスムの絵画を始めるのは1911年以降のことです。この間グリスはピカソやブラックの制作を冷静に見つめ、そこに提起される造形的問題と可能性を研究して、キュビスムの新しい方向性を模索し始めました。ここで絵画は、客観的事実から出発するのではなく、画家の創意から出発する創造的なものとなりました。この作品はまさにこの時期、1912年末から14年までの間に制作されたもので、パピエ・コレやトロンプ= ルイユといった手法が使用され、現実の再構成としての画面がつくられました。



「フアン・グリス」
「新しい方向目指し模索する 造形的なキュビスム絵画」



「新聞と開かれた本」1913年
参照
https://www.artizon.museum/collection/category/detail/165

23年7月17日撮影

フレンチローズ「ローズジネルジック」
資生堂とデルバールのコラボレーションで誕生。繊細なモーブ色のフリルが優雅に重なり、類いまれな美しさと香りに高貴な気品が漂う。この薔薇に導かれて、クレ・ド・ポー ボーテのオードパルファム”ローズシネルジック”が生まれた。エモーションブルーは2013年度より品種名がローズシネルジックに変更となりました。ローズシナクティフは「ローズシナクティフ」と命名される前は、ローズシネルジックという名で流通していました。その前はエモーションブルーという品種名でした。
品種名 ローズジネルジック
咲き方 四季咲き
花色  赤紫
香り  強香 
作出年 1999年
作出者 デルバール社
作出国 フランス


参照
https://roseraie.jp/barazukan/rose-synactif/

「フレンチローズとエコルド・パリ⑪」~グリマルディ

2023-08-21 06:47:17 | Rose Library
「フレンチローズとエコルド・パリ⑪」~グリマルディ


23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。


「アレクサンダー・アーキペンコ」1887年~1964年
アレクサンダー・アーキペンコはキエフ出身アメリカ人前衛芸術家、彫刻家、およびグラフィック・アーティスト。キュビズムに影響を受けた独創的な彫刻スタイルで最もよく知られる。1887年、当時ロシア帝国であったウクライナの首都キエフで誕生。彼はウクライナ人として人々の記憶に残りたいと思っていたという。そして1964年にニューヨークで亡くなるまで、常にウクライナ人としての自身のルーツに誇りを持っていたといわれる。芸術家としてのアレクサンダー・アーキペンコは、キュビズムの流れに多大な影響を受けていたが、中でも特に影響を受けたのがパブロ・ピカソの作品である。アーキペンコは特定の人物ではない女性像の彫刻を制作する際に、単純化の形式を通して幾度もピカソの手法を取り入れている。



「アレクサンダー・アーキペンコ」



「シバの女王」1961年リンデン彫刻庭園
参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/

23年7月17日撮影

フレンチローズ「グリマルディ」
鮮やかなオレンジとクリーム色の絞り。やわらかく波打つ花弁の抱え咲き。耐病性に優れ樹はコンパクトに良く茂り強健。四季咲き性も非常に強い優秀な品種。名はピカソがアトリエとした南フランスのグリマルディー城に由来する。1999年モンザ国際バラコンクール銀賞受賞。名前は、フランス南部の都市アンティーブにある城の名称で、この城は画家パブロ・ピカソのアトリエでした。現在はアンティーブ・ピカソ美術館になっています。
品種名 グリマルディ
咲き方 四季咲き
花色  オレンジにクリームの絞り
香り   中香
作出年 1999年
作出者 デルバール社
作出国 フランス


参照
https://keihan-engei.com/rose-collection/14000

「フレンチローズとエコルド・パリ⑨」~マルクシャガール

2023-08-10 06:37:20 | Rose Library
「フレンチローズとエコルド・パリ⑨」~マルクシャガール


23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。


「マルク・シャガール」1887年~1985年
マルク・ザロヴィッチ・シャガール(1887年7月6日-1985年3月28日)はロシア出身のユダヤ系フランス人画家。初期前衛芸術運動の代表的な画家であり、また、エコール・ド・パリの中心的な人物です。キュビスム、フォーヴィズム、表現主義、シュルレアリスム、象徴主義などさまざまな前衛芸術スタイルと土着のユダヤ文化を融合した。また絵画、本、イラストレーション、ステンドグラス、舞台デザイン、陶芸、タペストリー、版画など、さまざまなジャンルで活動を行っています。


「マルク・シャガール」
「愛の画家妻への敬愛一途にて 愛や結婚作品数多く」



「誕生日1915年」
参照
https://www.artpedia.asia/marc-chagall/
23年7月17日撮影

「マルクシャガール」
やさしいピンクに白の絞りが入る大輪花。カップ咲きからロゼット咲きに。明るい緑の葉と相まってとても存在感のある株となる。樹形は直立性のブッシュタイプで鉢植えにも向く。耐病性が強く育てやすい。名前は画家マルク・シャガールより。
品種名 マルクシャガール
咲き方 四季咲き
花色  ピンク系・ピンク+淡い黄色
香り   ティにフルーツ
作出年 2013年
作出者 デルバール社
作出国 フランス


参照
https://www.delbard-japon.com/2018/03/05/450/

「フレンチローズとエコルド・パリ⑧」~ピエール ドウ ロンサール

2023-08-09 07:33:07 | Rose Library
「フレンチローズとエコルド・パリ⑧」~ピエール ドウ ロンサール


23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。


「ディエゴ・リベラ」1886年~1957年
ディエゴ・リベラ(1886年12月8日−1957年11月24日)はメキシコの画家。フリーダ・カーロの夫。リベラの最も大きなフレスコ画は、メキシコにおけるメキシコ壁画運動創設の起爆剤となりました。1922年から1953年の間に、リベラはメキシコシティ、チャピンゴ、クエルナバカ、サンフランシスコ、デトロイト、ニューヨークで壁画制作を行いました。1931年に回顧展がニューヨーク近代美術館で開催されました。


「ディエゴ・リベラ」
「キュビズムの影響受ける壁画画家 民衆のため芸術興す」



「アラメダの日曜日の夢」
参照
https://www.artpedia.asia/diego-rivera/

23年7月17日撮影

フレンチローズ「ピエール ドウ ロンサール」
豪華な大輪カップ咲きで、幾重にも重なる花弁と中心にピンクがのる優雅な色調がとても上品です。殿堂入りも果たし、作出から時間もたちますが、衰えぬ人気を誇るつるばらです。トゲも少ないほうですし、大きな照りのある葉との相性も見事です。春の花付きは素晴らしく、枝を大きく曲げなくても開花してくれます。大輪花には珍しくステムが短いため、壁面仕立ては特に見事。クライミングローズの中でも特に演出効果に優れた名花といえるでしょう。
品種名 ピエール ドウ ロンサール
咲き方 返り咲き  
香り  微香
作出年 1985年
作出者 Jacques Mouchotte
作出国 フランス


参照
https://himenobaraen.jp/item/pierre_de_ronsard

「フレンチローズとエコルド・パリ⑦」~エドガー・ドガ

2023-08-08 07:33:08 | Rose Library
「フレンチローズとエコルド・パリ⑦」~エドガー・ドガ


23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。


「エルミーヌ・ダヴィド」1886年~1970年
パリ生まれ。エコール・デ・ボザールに次いでアカデミー・ジュリアンに通い、版画や象牙による細密画などを学び、1905年に画壇にデビュー。1907年にパスキンと出会い、渡米後の1918年に結婚。1920年アメリカ国籍を取得。その後モンマルトルに居を構えました。1930年にパスキンが悲劇的な最期を遂げた後も数多くの展覧会へ出品、個展も開催しました。版画付の挿絵本文化が花開いた19世紀末から20世紀にかけてのパリで、挿絵画家として飛躍。油彩画では、緑を主調としてパリやその近郊の風景などを描きました。当時数少ない女性芸術家の一人です。


「エルミーヌ・ダヴィド」
「挿絵本文化の花咲くパリ画壇 個展も開くパスキン夫人」



「セルピーニ通り」
参照
http://www.museum-kiyosu.jp/archive/ecopari/artist/

23年7月17日撮影

フレンチローズ「エドガー・ドガ」
花の中心が金色、赤と淡いピンクのセミダブルのバラ。強健で病気に強く初心者向けだが横に広がるので地植え向き。フランス生まれの印象派画家に由来するネーミング。スゴイ名前を背負わされてますね…トゲが少なめで強健、育てやすい品種。樹形がコンパクトで、地植え(庭植え)以外に鉢植えにも向いてそうです。名前は、同名のフランスの印象派画家、イレール・ジェルマン・エドガー・ドガにちなみます。なお彼はエコルドパリ派でなく印象派画家になります。
品種名 エドガー・ドガ
咲き方 四季咲き
花色  赤色と黄色の絞りから赤色と淡いピンクの絞りへ
香り  微香~中香ティとスパイス香
作出年 1994年
作出者 デルバール社
作出国 フランス


参照
https://botanist99.net/?p=3523

「フレンチローズとエコルド・パリ⑥」~ガートルードジェキル

2023-08-07 06:58:27 | Rose Library
「フレンチローズとエコルド・パリ⑥」~ガートルードジェキル

 
23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。


「ジュール・パスキン」1885年~1930年
ブルガリア出身の画家。パリに出てエコール・ド・パリの時代には派手な生活を送り、 藤田嗣治 とも交流。第1次世界大戦を逃れてニューヨーク滞在していた際には 国吉康雄 と知り合っています。第1次世界大戦後にパリに戻って活動を続けましたが、アルコール依存と鬱の結果、自殺してしまいました。



「ジュール・パスキン」
「奔放な生活送る自由人 画風愛され自殺するも」



「花束をもつ少女 」1925年-1926年
参照
https://www.tabirai.net/sightseeing/column/0005088.aspx

23年7月17日撮影

イングリッシュローズ「ガートルードジェキル」
艶やかなローズピンクの花色。花径10〜12cmと大輪のロゼット咲きで、花弁がぎっしりと詰まっています。 早咲きで花付きがよく、春は1〜5個の房咲きになります。 その花首は強く、うなだれることなく真っ直ぐに咲きます。このバラは英国のガートルード・ジェキル(1843−1932)に捧げられました。彼女は著名な園芸家、ガーデンデザイナーで、絵画や写真、工芸、文筆にも秀でた芸術家でもありました。
品種名 ガートルードジェキル
咲き方 返り咲き
花色  濃いピンク
香り  強めのオールド・ローズ香
作出年 1986年
作出者 デビッド・オースチン
作出国 イギリス


参照
https://www.engei.net/Browse.asp?ID=1119

「フレンチローズとエコルド・パリ⑤」~ジュネラシオンジャルダン

2023-08-04 07:23:10 | Rose Library
「フレンチローズとエコルド・パリ⑤」~ジュネラシオンジャルダン


23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。



「レオナール・フジタ」1886年~1968年
藤田はパリのモンパルナスに住み、そこに集まった若手芸術家たちと交流し、刺激受ける中で自分独自の作品を模索していきました。はじめはパリの風景や、ピカソらのキュビズム絵画に影響を受けた作品、アンリ・ルソーの素朴で新鮮な画風に影響を受けた作品を描いていました。そして1920年ごろに、「乳白色の下地」の技法と、日本画で用いる面相筆や真書と呼ばれる、書道で用いる筆を使った細い輪郭線で裸婦を描くスタイルを確立しました。これが絶賛され、「乳白色の下地」を使って描く裸婦像は藤田の代名詞に。この乳白色の下地の特性を生かせるように、その作品のほとんどを藤田はキャンバスから手作りしていて、支持体には目の細かい麻布を使っていました。細く、長い輪郭線を引くためには下地が重要な役目を果たしていたからです。


「レオナール・フジタ」
「裸婦像は乳白色の肌と呼ばれ 細く流れる線描の技術」



「カフェにて」1949年
参照
https://omochi-art.com/wp/leonard-tsugouharu-foujita/

23年7月17日撮影

フレンチローズ「ジュネラシオン・ジャルダン」
鮮やかなローズピンクの大輪花。花芯を優しく包み込みながら盃状に開くエレガントシェイプ。花弁が丈夫で花の傷みが少なく花もちが良い。切花にしても長く楽しめます。樹は耐病性が強く生育強健で非常に育てやすいです。秋までには背丈ほどの樹高になるため、アーチやオベリスクなどに絡め、ショートクライマーとしても楽しめます。花名の「ガーデン世代」は同名のガーデニングの振興協会に捧げられました。
品種名 ジュネラシオンジャルダン
咲き方 四季咲き
花色  ローズピンク
香り  中香・ティ
作出年 2009年
作出者 Dellbard
作出国 フランス


参照
https://www.delbard-japon.com/2018/03/15/1530/

※8月5日(土)6日(日)はお休みです。