ケバル川のほとり日本でも

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からし種ほどでも信仰によって歩ませていただこう

2024-02-14 20:01:33 | 日記

 今日はバレンタインデーなんですね。日本ではたしか明治か大正に東京の方で始まったとか。今では完全にバレンタイン商戦に日本中が巻き込まれていますね。私も物心ついた時から完全に巻き込まれてきた一人です。

 今日はやや身体の具合が悪いですが、このブログを書いたら床に就きます

 しかし、今日は嬉しかったことがあったので、それにまつわる回顧録から書きます。

 私がいま顔を出している豊川市の教会でお世話になっている方が、高槻市の教会に身内の方が通われていることだけは知っておられ、諸事情によりその後は会えなくなっていたそうですが、元気にしておられることを仲介してお伝えすることが出来て感謝でした。

 思えば私自身も高槻市の教会には不思議な神様の導きを覚えました。

 それは、2022年の一月から五月末までの間、それまで勤めていた会社を出ざるを得なくなり一人和歌山県の現場で働いておりました。通勤時に聞いていた関西一円に届けられているABCラジオの「福音の光」という番組を週末には聞いていました。

 ある時、番組から懐かしい声が聞こえてきました。私がイエス・キリストへの信仰に導かれた二十代の前半、近隣の教会間の集まりで集会を持った時、まだ新入りだった私をリーダーとしてサポートしてくれたクリスチャンの姉妹です。

 その方はそれから間もなく神様に全生活を捧げて歩もうと決心して神学校に学びに行かれ、その後は大学生を相手とする活動に従事され、全国へ行かれました。なんか凄いな(私には出来ないので羨ましくも思えた)と思いました。

 私がラジオで聞いたのはその方の声でした。約30年ぶりに聞きました。その後に、その姉妹が通われている高槻市の教会の牧師先生がショートメッセージをされました。

 私は懐かしさのあまりネットで教会名から調べ、その教会宛に「今日は懐かしいお声が聞けて感謝でした!」とメールを入れさせていただきました。

 すると、後日その姉妹から私宛に返事が届きました。そして私は「仕事柄全国へ行くことが多いので、もし現場が近くになった時には足を延ばします!」と書き、姉妹からは「お近くになったら礼拝にも是非顔を出してください。」とのことでした。

 それからすぐだったと思います。和歌山の現場に、現在お世話になってる会社の部長さんが来られ、最後の二週間だけ一緒に働き、「もし、次がどこへ行くか決まっていなかったら、是非高槻市の現場へ入ってください。」と、こんな私に現場を調整してまで先に入っていた方と入れ替えで行くようにしてくださいました。そしてその現場は、なんとラジオで話されていた方々の教会から約10分の所にありました。

 そして、メールのやり取りをしてから一ヶ月も経たないうちに、私は連絡もせず日曜日に直接教会へ行き、「すぐ近くの現場になってしまいました!」と。先生も姉妹も唖然としておられました。

 そこで、約一年間コロナ禍でしたが、主なる神様にあって交わりが与えられたことは大変に感謝でした。

 それだけでなく、その高槻市は私にとって人生の分岐点ともさせて頂いた、絶対に行かなければならない現場だったとも思っております。

 まさか、今回はその高槻市の方と豊川市の方とを繋ぐことにもなろうとは、まさに神様のご計画は、私たちにはまったく知り得ることは出来ない深い御思いがあることを知りました。

 ★ "あなたの目は胎児の私を見られあなたの書物にすべてが記されました。私のために作られた日々がしかもその一日もないうちに。

神よあなたの御思いを知るのはなんと難しいことでしょう。そのすべてはなんと多いことでしょう。

数えようとしてもそれは砂よりも数多いのです。私が目覚めるとき私はなおもあなたとともにいます。"

詩篇 139篇 16〜18節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

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【聖書日記】マタイの福音書

今日の聖書箇所はいろんな出来事があっても、主は全てを通してもお弟子さんたちを教育してくださるのだと思いました。

 律法の教師は、神殿に税を納める義務は無かったそうですが、ここに教師以上の栄光なるお方がおられるのに、教師扱いすらしない人々に対して、またしても先走ったことを言ってしまったペテロ…。

 ペテロはきっと肩を落として主の元に帰ったのでは、と思いました。ところが主の方からその問題に触れてくださり、指示を与えられました。

 本来栄光に輝く神様であられるのに、人につまづきを与えないようともされた、救い主イエス様のへりくだられたお姿をここにも見ました。

 私たちが神様から与えられた権限を自分達のものと錯覚せず、主にならってへりくだりつつ、当然成すべきことを行っていきたいと願います。

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"彼らが群衆のところに行くと、一人の人がイエスに近寄って来て御前にひざまずき、

こう言った。「主よ、私の息子をあわれんでください。てんかんで、たいへん苦しんでいます。何度も火の中に倒れ、また何度も水の中に倒れました。

そこで、息子をあなたのお弟子たちのところに連れて来たのですが、治すことができませんでした。」

イエスは答えられた。「ああ、不信仰な曲がった時代だ。いつまであなたがたと一緒にいなければならないのか。いつまであなたがたに我慢しなければならないのか。その子をわたしのところに連れて来なさい。」

そして、イエスがその子をお叱りになると悪霊は出て行き、すぐにその子は癒やされた。

それから、弟子たちはそっとイエスのもとに来て言った。「なぜ私たちは悪霊を追い出せなかったのですか。」

イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに言います。もし、からし種ほどの信仰があるなら、この山に『ここからあそこに移れ』と言えば移ります。あなたがたにできないことは何もありません。」

※後代の写本に二一節として〔ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。〕を加えるものもある

彼らがガリラヤに集まっていたとき、イエスは言われた。「人の子は、人々の手に渡されようとしています。

人の子は彼らに殺されるが、三日目によみがえります。」すると彼らはたいへん悲しんだ。

彼らがカペナウムに着いたとき、神殿税を集める人たちがペテロのところに近寄って来て言った。「あなたがたの先生は神殿税を納めないのですか。」

彼は「納めます」と言った。そして家に入ると、イエスのほうから先にこう言われた。「シモン、あなたはどう思いますか。地上の王たちはだれから税や貢ぎ物を取りますか。自分の子たちからですか、それとも、ほかの人たちからですか。」

ペテロが「ほかの人たちからです」と言うと、イエスは言われた。「ですから、子たちにはその義務がないのです。

しかし、あの人たちをつまずかせないために、湖に行って釣り糸を垂れ、最初に釣れた魚を取りなさい。その口を開けるとスタテル銀貨一枚が見つかります。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」"

マタイの福音書 17章 14〜27節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 


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