例の蘇我馬子に対する皇国史観でありますが、
戦前の歴史教科書(もちろん、皇国史観)によりますと、
蘇我馬子は崇峻天皇暗殺を命じたということで、足利尊氏・道鏡と並んで
日本史上、稀に見る極悪人という書かれ方をされています。
一方、聖徳太子は戦前・戦後を通じて、神様のような偉人として賞賛されているのは
周知の通りです。
戦後の日本史の教科書では推古天皇・聖徳太子・蘇我馬子の三者が協力して
見事な国家を築きあげて、遣隋使を送り、隋の皇帝と対等の外交を行なったと
いうことになっています。
ここで、自虐史とも言うべき戦後教育において、
数少ない皇国史観との接点が生じるのです。
左翼学者(自虐史観の歴史学者)ですら、聖徳太子を批判するものはまずいない。
聖徳太子を褒めている分には角が立たないのである。
逆に、これが伊藤博文や豊臣秀吉だと角が立ちまくる。
戦後、自虐史観が我が春を行く中、聖徳太子という歴史媒体を用いて、
皇国史観は存続できたのである。
戦前の歴史教科書(もちろん、皇国史観)によりますと、
蘇我馬子は崇峻天皇暗殺を命じたということで、足利尊氏・道鏡と並んで
日本史上、稀に見る極悪人という書かれ方をされています。
一方、聖徳太子は戦前・戦後を通じて、神様のような偉人として賞賛されているのは
周知の通りです。
戦後の日本史の教科書では推古天皇・聖徳太子・蘇我馬子の三者が協力して
見事な国家を築きあげて、遣隋使を送り、隋の皇帝と対等の外交を行なったと
いうことになっています。
ここで、自虐史とも言うべき戦後教育において、
数少ない皇国史観との接点が生じるのです。
左翼学者(自虐史観の歴史学者)ですら、聖徳太子を批判するものはまずいない。
聖徳太子を褒めている分には角が立たないのである。
逆に、これが伊藤博文や豊臣秀吉だと角が立ちまくる。
戦後、自虐史観が我が春を行く中、聖徳太子という歴史媒体を用いて、
皇国史観は存続できたのである。