今回は、大学から急に就職活動の指導をするように言われて
『普通の就活(就職活動)なんてやったことがないし、どうしよう?』と
困っている大学教員向けの文章を書く。
近年、就職活動の指導に限らず、大学教員の学校内の雑務が急増している。
以前、大学教員と言えば、週3日ほど登校して授業をし、
週1の会議に参加すれば、あとは適当に過ごしても良いという雰囲気であった。
もちろん、論文は書いて、学会にも出ないといけないし、
ゼミ生の指導に熱心な先生なども大勢いる。
さらに、自身と直接触れる機会の多いゼミ生から就職活動で苦戦している話などを
聞く機会が多くなったという方もいるであろう。
以前は、大学4年の10月までは採用活動はしないと
企業同士が協定を結んでいたが、もはや、その協定はほとんど機能せず、
就職活動はどんどん前倒しになり、今年などは大学3年生の6月には就職活動が
本格始動している状況である。
これでは、大学教育に専念できる期間がわずか2年ほどしかなくなり、
とても、まともな専門教育を施せる環境ではない。
このことに危機感を感じている大学教員の方も多く
企業側への批判を口にする先生方も増えたように思える。
また、就職活動の早期化に伴って、勢いを増してきたのが就職研修屋であり、
その存在を認識している大学教員の方も多いであろう。
このブログの読者はご存じの通り、就職研修屋の主張するような
コミュニケーション能力やメラビアンの法則はどこにも存在しない。
彼らは根拠としている論文からは到底導き出せない結論を科学的にも立証されたと
言い張り、独自の主張を展開しているのである。
(このブログを見るのが初めてという人は最終段落の補足を読んで欲しい。)
就職研修屋は就職研修で飯を食っているというのに
自らが根拠としている論文の和訳すら、読んでいないのであろうか、
それとも知っていながら、わざとやっているのであろうか。
就職研修業界のみならず、美容整形業界・結婚活動研修業界(婚活研修業界)でも
「顔面偏差値」・「恋愛偏差値」というデタラメ造語を使用しているところが多い。
一見して、この用語は、美容整形業界・結婚活動研修業界などが
自分たちが儲かるために使っている用語だとわかるであろう。
「コミュニケーション能力」などはまさに「恋愛偏差値」と狭義でも同じ分類の用語である。
このような研修屋がつくった造語に、未だに惹かれる者までいる。
なぜ、就職研修屋が「コミュニケーション能力」などという造語を使うのであろうか。
もしも、コミュニケーション能力を職場の人とうまくやっていく能力と定義するならば、
それは「人当たりの良さ」とほとんど同じ意味である。
それにも関わらず、就職研修屋がコミュニケーション能力という表現にこだわるのは、
顧客の就職活動がうまくいかなかった場合、「コミュニケーション能力の養成が
不十分だったから」と言い、責任を顧客に転嫁できるからである。
もしも、「人当たりの良さ」という表現を使ってしまうと、
抽象的ながら、古くから存在する日本語であるため、
広いながらもある程度、範囲が限られてしまう。
そこで、コミュニケーション能力という日本語とカタカナ英語を併用した造語を使うことによって
より概念を抽象的にして、就職研修屋の責任を無に等しくしているのである。
こんな就職研修屋に高額の顧問料などを払い、就職活動支援と称している学校は
大いに反省するべきである。
就職研修屋に仕事を頼む前に、就職課は彼らが根拠としている論文の和訳だけでも
読んでもらいたい。
そうすれば、いかに彼らの主張が破綻しているかが、よくわかる。
しかし、現状では就職課が就職研修屋へのチェック機能を果たさず
ただ漫然と就職研修屋に追従していることが非常に多い。
就職課も被害者であるが、1番の被害者はそのような就職活動指導を受けて
面接に落ち、内定をもらえない学生たちである。
それでは就職課の代わりに就職研修屋の虚実を明らかにし
就職研修屋から学生たちを守る者はだれであろうか。
それは、大学教員である。
近年、大学教員にも何かしら就職活動指導の仕事が授業形式などで課されることが多い。
日々、思考実験を繰り返し、相手の主張の穴を見抜く能力を鍛えている大学教員であれば
就職研修屋の主張するようなことが本当に正しいか、彼らの根拠としている論文の和訳を
読む作業をするなどして、すぐにわかるであろう。
就職課が就職研修屋へのチェック機能を果たしていない以上、学生たちを守れるか、どうかは
大学教員の方々の双肩に懸かっているのである。
最終段落の補足にも書いて本であるが、
就職活動指導の仕事を担当している大学教員の方は早急に
『非言語コミュニケーション』(聖文社、A・マレービアン、西田司他訳)を読んでもらいたい。
この本は絶版になっているので、図書館などで読んで欲しい。
また、上の和訳の本が入手できない場合、
『反社会学講座』(筑摩書房、パオロ・マッツァリーノ、2007年)の
139ページ以降を読んでもらいたい。
この本は、稲葉振一郎明治学院大学教授が『社会学入門』(日本放送出版協会、2009年)の
巻末付録の読書案内でも紹介している。
教授会で、就職課が仕事を依頼している就職研修屋の主張は根拠がないと
上記の文献などで説明し、デタラメな主張をする就職研修屋には仕事を頼まないように
就職課側に働きかけることは、学校内にとどまらず、社会的に重要な仕事である。
繰り返しになるが、就職課が就職研修屋へのチェック機能を果たしていない以上、
就職研修屋から学生を守れるか、どうかは大学教員の方々の双肩に懸かっているのである。
大学教員の方々は学生たちを守る最後の砦なのである。
ぜひとも、学生のため、社会正義のため、奮闘して欲しい。
(補足:就職研修屋の虚実)
(1)「なぜ働くか」という問いは、「ひょうたんでどじょうを捕まえる方法を答えよ」という問いとイコールである。にもかかわらず、第一印象を良くして生活費のためだと答えたり、家族の笑顔のためだと答えたりする者が後を絶たない。就職の面接本を読んでいる時間を臨済宗の入門書の読解に充てるべきである。
上記の見解に対して、メラビアンの法則によれば、見掛け(外見)の情報のみで全印象の93パーセントが形成されるという反論があるかも知れない。
しかし、メラビアン博士(この人は就職業界では有名人だというのに、心理学界ではあまり有名ではない)の行った実験は「Maybe(たぶん)」という英単語1つだけを様々な表情・しぐさ(写真のみ)・声質(録音した音声のみ)で相手に伝えた時の相手に与えた印象の結果などについて調べただけにすぎない。
しかも、心理学について書かれた分厚い辞典を調べてもメラビアンの法則という項目は存在しない。心理学の世界ではその程度の扱いの法則が就職業界を牛耳っているのである。
(2)経営コンサルタント・就職研修屋に仕事を頼む前に読んでおくべき書籍。
『非言語コミュニケーション』(聖文社、A・マレービアン、西田司他訳)を読んでもらいたい。
この本は絶版になっているので、図書館などで読んで欲しい。
また、上の和訳の本が入手できない場合、
『反社会学講座』(筑摩書房、パオロ・マッツァリーノ、2007年)の
139ページ以降を読んでもらいたい。
この本は、稲葉振一郎明治学院大学教授が『社会学入門』(日本放送出版協会、2009年)の
巻末付録の読書案内でも紹介している。
就職活動が本格化しつつある。
2月になると、1日に3社も4社も説明会をはしごするという学生も多い。
このような就職活動に費やされる時間は1000時間では収まりがつかない。
もしも、民間企業のサラリーマンよりも裁判官になりたいという考えの人がいたら
就職活動など早々に終了させて、裁判官になった方が良い。
以前、転職希望者向けの文章で書いた通り、
従来の日本社会において、「コミュニケーション能力」などという就職研修屋のデタラメ造語は存在しなかった。
現在の転職希望者には、就職研修屋(あるいは転職斡旋業者)が「コミュニケーション能力」・
「ヒューマンスキル」などという自分たちが就職した頃にはなかった言葉を聞いて
「わかりやすく、日本語で説明してくれ」という方も多い。
就職研修屋のデタラメ造語に振り回される者にはたまったものではないであろう。
もはや、科学などではなく、疑似科学・オカルトの世界である。
20年ほど前に流行していた各種の啓蒙セミナーにかなり近い分類になろう。
欧米では、大企業の組織運営が官僚化し、
柔軟さを欠いていくことを「大手病」・「大企業病」などと呼んでいる。
それにも関わらず、日本の就職研修屋は大手しか受けない求職者のことを
「大手病」という意味にした。
本来の意味から遊離した、めちゃくちゃな定義付けを行ったのである。
社会学者でなくても、文学部で英語・フランス語・ドイツ語などを教えている先生なら
知っているような基本知識である。
就職研修屋には資格など専門知識を持ち合わせていない組織が多い。
退職した元会社員が細々と経営していたり、大手企業が宣伝を兼ねて片手間でやっていたりするところが
大半だから当然と言えば当然である。
それに資格が就職の決め手になると宣伝するのは資格取得系予備校のお家芸であり、
普通の就職研修屋に勝ち目はない。
そこで、資格取得系予備校に対抗できない普通の就職研修屋は
「資格など、就職では役に立たない。
内定獲得で最も大切なのはコミュニケーション能力だ」などと言い立てるのである。
しかし、このブログの読者は周知の通り、就職研修屋の主張するようなメラビアンの法則やコミュニケーション能力はどこにも存在しない。
それにも関わらず、彼らはそれを科学的に立証されたと言い張り、
論文の和訳すら読んでいないような主張をしている。
(このブログを読むのが初めてという人は、最終段落の補足を読んで欲しい)
デタラメ就職研修屋の主張するところの
資格ばかり持っていて仕事の対人関係ができていない人とは、会社にやってきて
会社の人と仕事のことも含めて全く話さないような人を想定している。
一般に言われるところの「人付き合いの悪い会社員」であっても
業務上、必要な会話は交わす。
それにも関わらず、就職研修屋の主張は現実にありもしない特異事例を大前提にしているのだから
それが社会で通用するわけもない。
学校側も就職研修屋に仕事を頼む前に、彼らの主張することが本当に正しいのか、
彼らが根拠としている論文の和訳だけでも読んで調査すれば良いものをその手間すら惜しんで
就職研修屋に仕事を頼むから、ますます就職研修屋の思うつぼになっているのである。
さらには、その学校内での講演の際に、就職研修屋の案内のビラを配るところまで存在する。
学生を守るべき立場にある学校側(就職課)が、学生を守るどころか、
就職研修屋に、場所・時間まで与えて、その活動に加担しているのである。
毎回高額な講演料を就職研修屋に払うのに比べれば
和訳された論文の本代など数千円で済むにも関わらず、
それすら読まずに就職研修屋から人間を派遣してもらい、
本棚には就職研修屋の本ばかり並べている学校が多い。
就職研修屋に仕事を頼んだ方が就職課の仕事量も減って助かるなどとでも
思っているのであろうか。
この点に関して、学校側(就職課)は猛反省し、
今後、このような悪質な就職研修屋とは一切契約しないべきである。
また、最近は大規模な会社説明会があると、帰り道、駅までの間に就職研修屋の職員が立っていて
勧誘を行っているところまで多々見掛けられるようになった。
このようなキャッチセールスを行う就職研修屋の話は、特に要注意だ。
これこそ、まさに耳を傾けてはいけない典型事例である。
「就職活動中ですか?」などと訊かれても、「違います」などと言って
早々にその場を立ち去るべきである。
冒頭で紹介した幸せの壺売りのような勧誘を行うのは
このように路上で声を掛けてきている人たちに多いのである。
美容整形業界・結婚活動研修業界(婚活研修業界)では
「顔面偏差値」・「恋愛偏差値」という言葉を使用しているところが多い。
一見して、この用語は、美容整形業界・結婚活動研修業界などが
自分たちが儲かるために使っている用語だとわかるであろう。
「コミュニケーション能力」などはまさに「恋愛偏差値」と狭義でも同じ分類の用語である。
このような研修屋がつくった造語に、未だに惹かれる者までいる。
なぜ、就職研修屋が「コミュニケーション能力」などという造語を使うのであろうか。
もしも、コミュニケーション能力を職場の人とうまくやっていく能力と定義するならば、
それは「人当たりの良さ」とほとんど同じ意味である。
それにも関わらず、就職研修屋がコミュニケーション能力という表現にこだわるのは、
顧客の就職活動がうまくいかなかった場合、「コミュニケーション能力の養成が
不十分だったから」と言い、責任を顧客に転嫁できるからである。
もしも、「人当たりの良さ」という表現を使ってしまうと、
抽象的ながら、古くから存在する日本語であるため、
広いながらもある程度、範囲が限られてしまう。
そこで、コミュニケーション能力という日本語とカタカナ英語を併用した造語を使うことによって
より概念を抽象的にして、就職研修屋の責任を無に等しくしているのである。
(補足:就職研修屋の虚実)
(1)「なぜ働くか」という問いは、「ひょうたんでどじょうを捕まえる方法を答えよ」という問いとイコールである。にもかかわらず、第一印象を良くして生活費のためだと答えたり、家族の笑顔のためだと答えたりする者が後を絶たない。就職の面接本を読んでいる時間を臨済宗の入門書の読解に充てるべきである。
上記の見解に対して、メラビアンの法則によれば、見掛け(外見)の情報のみで全印象の93パーセントが形成されるという反論があるかも知れない。
しかし、メラビアン博士(この人は就職業界では有名人だというのに、心理学界ではあまり有名ではない)の行った実験は「Maybe(たぶん)」という英単語1つだけを様々な表情・しぐさ(写真のみ)・声質(録音した音声のみ)で相手に伝えた時の相手に与えた印象の結果などについて調べただけにすぎない。
しかも、心理学について書かれた分厚い辞典を調べてもメラビアンの法則という項目は存在しない。心理学の世界ではその程度の扱いの法則が就職業界を牛耳っているのである。
(2)経営コンサルタント・就職研修屋に仕事を頼む前に読んでおくべき書籍。
『非言語コミュニケーション』(聖文社、A・マレービアン、西田司他訳)を読んでもらいたい。
この本は絶版になっているので、図書館などで読んで欲しい。
また、上の和訳の本が入手できない場合、
『反社会学講座』(筑摩書房、パオロ・マッツァリーノ、2007年)の
139ページ以降を読んでもらいたい。
この本は、稲葉振一郎明治学院大学教授が『社会学入門』(日本放送出版協会、2009年)の
巻末付録の読書案内でも紹介している。
12月に入り、就職活動で忙しい1週間だったという人も多いかも知れない。
以前、転職希望者向けの文章で書いた通り、
従来の日本社会において、「コミュニケーション能力」などという就職研修屋のデタラメ造語は存在しなかった。
現在の転職希望者には、就職研修屋(あるいは転職斡旋業者)が「コミュニケーション能力」・
「ヒューマンスキル」などという自分たちが就職した頃にはなかった言葉を聞いて
「わかりやすく、日本語で説明してくれ」という方も多い。
就職研修屋のデタラメ造語に振り回される者にはたまったものではないであろう。
もはや、科学などではなく、疑似科学・オカルトの世界である。
20年ほど前に流行していた各種の啓蒙セミナーにかなり近い分類になろう。
欧米では、大企業の組織運営が官僚化し、
柔軟さを欠いていくことを「大手病」・「大企業病」などと呼んでいる。
それにも関わらず、日本の就職研修屋は大手しか受けない求職者のことを
「大手病」という意味にした。
本来の意味から遊離した、めちゃくちゃな定義付けを行ったのである。
社会学者でなくても、文学部で英語・フランス語・ドイツ語などを教えている先生なら
知っているような基本知識である。
就職研修屋には資格など専門知識を持ち合わせていない組織が多い。
退職した元会社員が細々と経営していたり、大手企業が宣伝を兼ねて片手間でやっていたりするところが
大半だから当然と言えば当然である。
それに資格が就職の決め手になると宣伝するのは資格取得系予備校のお家芸であり、
普通の就職研修屋に勝ち目はない。
そこで、資格取得系予備校に対抗できない普通の就職研修屋は
「資格など、就職では役に立たない。
内定獲得で最も大切なのはコミュニケーション能力だ」などと言い立てるのである。
しかし、このブログの読者は周知の通り、就職研修屋の主張するようなメラビアンの法則やコミュニケーション能力はどこにも存在しない。
それにも関わらず、彼らはそれを科学的に立証されたと言い張り、
論文の和訳すら読んでいないような主張をしている。
(このブログを読むのが初めてという人は、最終段落の補足を読んで欲しい)
デタラメ就職研修屋の主張するところの
資格ばかり持っていて仕事の対人関係ができていない人とは、会社にやってきて
会社の人と仕事のことも含めて全く話さないような人を想定している。
一般に言われるところの「人付き合いの悪い会社員」であっても
業務上、必要な会話は交わす。
それにも関わらず、就職研修屋の主張は現実にありもしない特異事例を大前提にしているのだから
それが社会で通用するわけもない。
学校側も就職研修屋に仕事を頼む前に、彼らの主張することが本当に正しいのか、
彼らが根拠としている論文の和訳だけでも読んで調査すれば良いものをその手間すら惜しんで
就職研修屋に仕事を頼むから、ますます就職研修屋の思うつぼになっているのである。
さらには、その学校内での講演の際に、就職研修屋の案内のビラを配るところまで存在する。
学生を守るべき立場にある学校側(就職課)が、学生を守るどころか、
就職研修屋に、場所・時間まで与えて、その活動に加担しているのである。
毎回高額な講演料を就職研修屋に払うのに比べれば
和訳された論文の本代など数千円で済むにも関わらず、
それすら読まずに就職研修屋から人間を派遣してもらい、
本棚には就職研修屋の本ばかり並べている学校が多い。
就職研修屋に仕事を頼んだ方が就職課の仕事量も減って助かるなどとでも
思っているのであろうか。
この点に関して、学校側(就職課)は猛反省し、
今後、このような悪質な就職研修屋とは一切契約しないべきである。
また、最近は大規模な会社説明会があると、帰り道、駅までの間に就職研修屋の職員が立っていて
勧誘を行っているところまで多々見掛けられるようになった。
このようなキャッチセールスを行う就職研修屋の話は、特に要注意だ。
これこそ、まさに耳を傾けてはいけない典型事例である。
「就職活動中ですか?」などと訊かれても、「違います」などと言って
早々にその場を立ち去るべきである。
冒頭で紹介した幸せの壺売りのような勧誘を行うのは
このように路上で声を掛けてきている人たちに多いのである。
美容整形業界・結婚活動研修業界(婚活研修業界)では
「顔面偏差値」・「恋愛偏差値」という言葉を使用しているところが多い。
一見して、この用語は、美容整形業界・結婚活動研修業界などが
自分たちが儲かるために使っている用語だとわかるであろう。
「コミュニケーション能力」などはまさに「恋愛偏差値」と狭義でも同じ分類の用語である。
このような研修屋がつくった造語に、未だに惹かれる者までいる。
なぜ、就職研修屋が「コミュニケーション能力」などという造語を使うのであろうか。
もしも、コミュニケーション能力を職場の人とうまくやっていく能力と定義するならば、
それは「人当たりの良さ」とほとんど同じ意味である。
それにも関わらず、就職研修屋がコミュニケーション能力という表現にこだわるのは、
顧客の就職活動がうまくいかなかった場合、「コミュニケーション能力の養成が
不十分だったから」と言い、責任を顧客に転嫁できるからである。
もしも、「人当たりの良さ」という表現を使ってしまうと、
抽象的ながら、古くから存在する日本語であるため、
広いながらもある程度、範囲が限られてしまう。
そこで、コミュニケーション能力という日本語とカタカナ英語を併用した造語を使うことによって
より概念を抽象的にして、就職研修屋の責任を無に等しくしているのである。
(補足:就職研修屋の虚実)
(1)「なぜ働くか」という問いは、「ひょうたんでどじょうを捕まえる方法を答えよ」という問いとイコールである。にもかかわらず、第一印象を良くして生活費のためだと答えたり、家族の笑顔のためだと答えたりする者が後を絶たない。就職の面接本を読んでいる時間を臨済宗の入門書の読解に充てるべきである。
上記の見解に対して、メラビアンの法則によれば、見掛け(外見)の情報のみで全印象の93パーセントが形成されるという反論があるかも知れない。
しかし、メラビアン博士(この人は就職業界では有名人だというのに、心理学界ではあまり有名ではない)の行った実験は「Maybe(たぶん)」という英単語1つだけを様々な表情・しぐさ(写真のみ)・声質(録音した音声のみ)で相手に伝えた時の相手に与えた印象の結果などについて調べただけにすぎない。
しかも、心理学について書かれた分厚い辞典を調べてもメラビアンの法則という項目は存在しない。心理学の世界ではその程度の扱いの法則が就職業界を牛耳っているのである。
(2)経営コンサルタント・就職研修屋に仕事を頼む前に読んでおくべき書籍。
『非言語コミュニケーション』(聖文社、A・マレービアン、西田司他訳)を読んでもらいたい。
この本は絶版になっているので、図書館などで読んで欲しい。
また、上の和訳の本が入手できない場合、
『反社会学講座』(筑摩書房、パオロ・マッツァリーノ、2007年)の
139ページ以降を読んでもらいたい。
この本は、稲葉振一郎明治学院大学教授が『社会学入門』(日本放送出版協会、2009年)の
巻末付録の読書案内でも紹介している。
日本では歴史好きな人が多く、特に戦国武将についての知識などは、
半ば社会常識とされている。
電車などでも、歴史小説を読んでいる人が多いし、
毎月のように歴史関係の新書が新たに出て、書店に山積みにされている。
そのためか、ビジネスの専門雑誌などで、現代に生きるサラリーマンにも使える戦国武将の格言を
紹介する記事もたびたび、見掛けられる。
サラリーマンばかりでなく、就職活動生も、歴史から学べることは多い。
日本史の授業などで「歎異抄(たんにしょう)」という言葉を聞いたという人も多いであろう。
この本は、親鸞(しんらん)の弟子である唯円が書いた師の語録である。
親鸞は阿弥陀仏の他力本願による往生成仏を説いていた。
これが浄土真宗(一向宗)の嚆矢(こうし)となる。
開祖である親鸞の教えによれば、阿弥陀仏を信じていなくても、
どんな極悪人であっても、阿弥陀仏が等しく極楽浄土へと導いてくれるとされていた。
しかし、室町時代後期、蓮如が親鸞の教えを忠実の伝える「歎異抄」を禁書とし、
極楽浄土へ行けるか、どうかは現世での行いによって決まるとした。
つまり、浄土真宗の教えに従わないものは地獄に落ちるということにして、
信者に一揆への参加を強制したのである。
これが織田信長との石山合戦の時まで頻発し、
時には大名さえも攻め滅ぼすことになる一向一揆の始まりである。
就職研修屋の主張も一向一揆の理論と同じである。
根拠として掲げている「メラビアンの法則」の論文からは到底導き出せない結論を
科学的にも立証されていると言い張っているのである。
(このブログを見るのが初めてという人は最終段落の「補足」を読んで欲しい。)
さらには、「コミュニケーション能力」などという造語までつくって、
それが内定獲得に不可欠だという荒唐無稽な主張を展開し、
商売を続けているのである。
彼らは、内定を獲得するためには我々(就職研修屋)の指導を受ける他ない。
就職研修屋の指導を受けない者は就職の面接試験に落ち続けると主張している。
戦国時代、織田信長と戦うため、
「極楽へ行くためには一向宗(浄土真宗)の教えに従う他ない。
一向宗に従わず、一揆に参加しない者は地獄に落ちる」と主張していた一向宗の
石山本願寺の主張と、まさに同じ論理である。
ところで、なぜ、就職研修屋は「コミュニケーション能力」などという造語を使うのであろうか。
もしも、コミュニケーション能力を職場の人とうまくやっていく能力と定義するならば、
それは「人当たりの良さ」とほとんど同じ意味である。
それにも関わらず、就職研修屋がコミュニケーション能力という表現にこだわるのは、
顧客の就職活動がうまくいかなかった場合、「コミュニケーション能力の養成が
不十分だったから」と言い、責任を顧客に転嫁できるからである。
もしも、「人当たりの良さ」という表現を使ってしまうと、
抽象的ながら、古くから存在する日本語であるため、
広いながらもある程度、範囲が限られてしまう。
そこで、コミュニケーション能力という日本語とカタカナ英語を併用した造語を使うことによって
より概念を抽象的にして、就職研修屋の責任を無に等しくしているのである。
(補足:就職研修屋の虚実)
(1)「なぜ働くか」という問いは、「ひょうたんでどじょうを捕まえる方法を答えよ」という問いとイコールである。にもかかわらず、第一印象を良くして生活費のためだと答えたり、家族の笑顔のためだと答えたりする者が後を絶たない。就職の面接本を読んでいる時間を臨済宗の入門書の読解に充てるべきである。
上記の見解に対して、メラビアンの法則によれば、見掛け(外見)の情報のみで全印象の93パーセントが形成されるという反論があるかも知れない。
しかし、メラビアン博士(この人は就職業界では有名人だというのに、心理学界ではあまり有名ではない)の行った実験は「Maybe(たぶん)」という英単語1つだけを様々な表情・しぐさ(写真のみ)・声質(録音した音声のみ)で相手に伝えた時の相手に与えた印象の結果などについて調べただけにすぎない。
しかも、心理学について書かれた分厚い辞典を調べてもメラビアンの法則という項目は存在しない。心理学の世界ではその程度の扱いの法則が就職業界を牛耳っているのである。
(2)経営コンサルタント・就職研修屋に仕事を頼む前に読んでおくべき書籍。
『非言語コミュニケーション』(聖文社、A・マレービアン、西田司他訳)を読んでもらいたい。
この本は絶版になっているので、図書館などで読んで欲しい。
また、上の和訳の本が入手できない場合、
『反社会学講座』(筑摩書房、パオロ・マッツァリーノ、2007年)の
139ページ以降を読んでもらいたい。
この本は、稲葉振一郎明治学院大学教授が『社会学入門』(日本放送出版協会、2009年)の
巻末付録の読書案内でも紹介している。