以前論じた通り、就職研修屋にはデタラメな戦後史を語る者が多い。
それどころか、義務教育の教科書レベルの日本史知識さえ、
無視した主張を続けている者までいる。
戦国時代に来日したキリスト教の宣教師として著名なフロイスが書き残した「フロイス日本史」によれば、
本能寺の変が起きた1582年6月2日早朝、織田信長は顔を洗っている時に明智光秀の軍勢の襲撃を
受けたことになっている。
この時、織田信長の護衛はわずか100人前後しかいなかった。
明智光秀軍1万3000人の攻撃を防ぐことなどできるはずもなく、
織田信長は自害に追い込まれた。
数日前、織田信長は明智光秀と直接対面していたが、
謀反は全く予想していなかったのである。
就職研修屋や企業の採用担当者の中には
「面接で嘘をついてもすぐわかる」
「面接官には学生が思っていることなど全てわかる」などという趣旨の発言を繰り返している者が相当数いる。
しかし、他人の心の中など、神様か、仏様でもない限り、わかるわけがない。
もしも、他人の心が全て読めるなら、会社勤めなどしないで、
新興宗教を立ち上げているであろう。
まだ、神主さんやお坊さんの方が他人の心を読む能力が高い。
現代のサラリーマンなどとは比べ物にならないほどの
修羅場を生き抜いてきた織田信長でさえ、明智光秀の心は読めなかった。
その結果、わずかな供だけで本能寺に泊まり、明智光秀の軍勢に襲われて、自害に追い込まれた。
織田信長よりも優秀な人が就職の面接官など、普通はやらない。
他人に雇われて、日々の雑務に追われているなどしていたら、その時点で織田信長より劣っている。
近年、大学でも霊感商法対策・啓蒙セミナー対策が進んでいる。
霊感商法で最も有名なのは、幸せの壺売りの事例であろう。
これは占い師や啓蒙団体の幹部などを名乗る人が自宅にやって来て
「あなたはこのままでは、不幸になる。
それを回避するには、この壺(つぼ)を買うしかない。
この壺を買って幸せになるのですか?
それとも買わずに不幸になるのですか?」と契約を迫るのである。
気付いた方もいるかも知れないが、この壺売りの言っていることは少しおかしい。
論理的に考えると
・壺を買って、幸せになる可能性
・壺を買ったけど、不幸になる可能性
・壺を買わなかったけど、幸せになる可能性
・壺を買わなくて、不幸になる可能性
の4つの可能性が存在している。
本来、今後の可能性として、論理的には4通りあるにも関わらず
壺売りの人は、2通りしか、示していないのである。
同じことは就職研修屋にも言える。
「このガイダンス・指導を受けて、内定をもらうか
受けずに独学でやって、落ちるか
どちらが良いですか?」と契約を迫るのである。
こんな就職研修屋に耳を貸してはいけない。
ガイダンス・指導を受けずに内定をもらう方を選べば良いのである。
このブログの読者は周知の通り、
就職研修屋の主張するようなメラビアンの法則やコミュニケーション能力はどこにも存在しない。
それにも関わらず、彼らはそれを科学的に立証されたと言い張り、
論文の和訳すら読んでいないような主張をしている。
(このブログを読むのが初めてという人は、最終段落の補足を読んで欲しい)
学校側も就職研修屋に仕事を頼む前に、彼らの主張することが本当に正しいのか、
彼らが根拠としている論文の和訳だけでも読んで調査すれば良いものをその手間すら惜しんで
就職研修屋に仕事を頼むから、ますます就職研修屋の思うつぼになっているのである。
さらには、その学校内での講演の際に、就職研修屋の案内のビラを配るところまで存在する。
学生を守るべき立場にある学校側(就職課)が、学生を守るどころか、
就職研修屋に、場所・時間まで与えて、その活動に加担しているのである。
毎回高額な講演料を就職研修屋に払うのに比べれば
和訳された論文の本代など数千円で済むにも関わらず、
それすら読まずに就職研修屋から人間を派遣してもらい、
本棚には就職研修屋の本ばかり並べている学校が多い。
就職研修屋に仕事を頼んだ方が就職課の仕事量も減って助かるなどとでも
思っているのであろうか。
この点に関して、学校側(就職課)は猛反省するべきである。
また、最近は大規模な会社説明会があると、帰り道、駅までの間に就職研修屋の職員が立っていて
勧誘を行っているところまで多々見掛けられるようになった。
このようなキャッチセールスを行う就職研修屋の話は、特に要注意だ。
これこそ、まさに耳を傾けてはいけない典型事例である。
「就職活動中ですか?」などと訊かれても、「違います」などと言って
早々にその場を立ち去るべきである。
冒頭で紹介した幸せの壺売りのような勧誘を行うのは
このように路上で声を掛けてきている人たちに多いのである。
美容整形業界・結婚活動研修業界(婚活研修業界)では
「顔面偏差値」・「恋愛偏差値」という言葉を使用しているところが多い。
一見して、この用語は、美容整形業界・結婚活動研修業界などが
自分たちが儲かるために使っている用語だとわかるであろう。
「コミュニケーション能力」などはまさに「恋愛偏差値」と狭義でも同じ分類の用語である。
このような研修屋がつくった造語に、未だに惹かれる者までいる。
なぜ、就職研修屋が「コミュニケーション能力」などという造語を使うのであろうか。
もしも、コミュニケーション能力を職場の人とうまくやっていく能力と定義するならば、
それは「人当たりの良さ」とほとんど同じ意味である。
それにも関わらず、就職研修屋がコミュニケーション能力という表現にこだわるのは、
顧客の就職活動がうまくいかなかった場合、「コミュニケーション能力の養成が
不十分だったから」と言い、責任を顧客に転嫁できるからである。
もしも、「人当たりの良さ」という表現を使ってしまうと、
抽象的ながら、古くから存在する日本語であるため、
広いながらもある程度、範囲が限られてしまう。
そこで、コミュニケーション能力という日本語とカタカナ英語を併用した造語を使うことによって
より概念を抽象的にして、就職研修屋の責任を無に等しくしているのである。
(補足:就職研修屋の虚実)
(1)「なぜ働くか」という問いは、「ひょうたんでどじょうを捕まえる方法を答えよ」という問いとイコールである。にもかかわらず、第一印象を良くして生活費のためだと答えたり、家族の笑顔のためだと答えたりする者が後を絶たない。就職の面接本を読んでいる時間を臨済宗の入門書の読解に充てるべきである。
上記の見解に対して、メラビアンの法則によれば、見掛け(外見)の情報のみで全印象の93パーセントが形成されるという反論があるかも知れない。
しかし、メラビアン博士(この人は就職業界では有名人だというのに、心理学界ではあまり有名ではない)の行った実験は「Maybe(たぶん)」という英単語1つだけを様々な表情・しぐさ(写真のみ)・声質(録音した音声のみ)で相手に伝えた時の相手に与えた印象の結果などについて調べただけにすぎない。
しかも、心理学について書かれた分厚い辞典を調べてもメラビアンの法則という項目は存在しない。心理学の世界ではその程度の扱いの法則が就職業界を牛耳っているのである。
(2)経営コンサルタント・就職研修屋に仕事を頼む前に読んでおくべき書籍。
『非言語コミュニケーション』(聖文社、A・マレービアン、西田司他訳)を読んでもらいたい。
この本は絶版になっているので、図書館などで読んで欲しい。
また、上の和訳の本が入手できない場合、
『反社会学講座』(筑摩書房、パオロ・マッツァリーノ、2007年)の
139ページ以降を読んでもらいたい。
この本は、稲葉振一郎明治学院大学教授が『社会学入門』(日本放送出版協会、2009年)の
巻末付録の読書案内でも紹介している。