室町幕府迷宮案内

ここは、室町幕府が大好きな管理人のブログです。

デタラメ就職研修屋と幸せの壺売り

2011-04-30 08:46:30 | 日記

 5月の大型連休を控え、銀行のATMコーナーは混雑している。
また、最近はATMコーナーで振り込め詐欺に警戒を促すビラや店内放送が流れていることも多い。
少し前まで悪徳商法の主流だったヒモ売り(暴力団関係者や刑務所を出たばかりと名乗る人が
普通のヒモを不当に高い値段で押し売りするケース)や幸せの壺売りよりも、振り込み詐欺の方が有名な位である。

 次に、幸せの壺売りとは、占い師や啓蒙団体の幹部などを名乗る人が自宅にやって来て
「あなたはこのままでは、不幸になる。
それを回避するには、この壺(つぼ)を買うしかない。
この壺を買って幸せになるのですか?
それとも買わずに不幸になるのですか?」と契約を迫るのである。

 気付いた方もいるかも知れないが、この壺売りの言っていることは少しおかしい。

 論理的に考えると
・壺を買って、幸せになる可能性
・壺を買ったけど、不幸になる可能性
・壺を買わなかったけど、幸せになる可能性
・壺を買わなくて、不幸になる可能性
の4つの可能性が存在している。

 本来、今後の可能性として、論理的には4通りあるにも関わらず
壺売りの人は、2通りしか、示していないのである。

 同じことは就職研修屋にも言える。
「このガイダンス・指導を受けて、内定をもらうか
受けずに独学でやって、落ちるか
どちらが良いですか?」と契約を迫るのである。

 こんな就職研修屋に耳を貸してはいけない。
ガイダンス・指導を受けずに内定をもらう方を選べば良いのである。

 このブログの読者は周知の通り、
就職研修屋の主張するようなメラビアンの法則やコミュニケーション能力はどこにも存在しない。
それにも関わらず、彼らはそれを科学的に立証されたと言い張り、
論文の和訳すら読んでいないような主張をしている。
(このブログを読むのが初めてという人は、最終段落の補足を読んで欲しい)

 学校側も就職研修屋に仕事を頼む前に、彼らの主張することが本当に正しいのか、
彼らが根拠としている論文の和訳だけでも読んで調査すれば良いものをその手間すら惜しんで
就職研修屋に仕事を頼むから、ますます就職研修屋の思うつぼになっているのである。

 さらには、その学校内での講演の際に、就職研修屋の案内のビラを配るところまで存在する。
学生を守るべき立場にある学校側(就職課)が、学生を守るどころか、
就職研修屋に、場所・時間まで与えて、その活動に加担しているのである。

 毎回高額な講演料を就職研修屋に払うのに比べれば
和訳された論文の本代など数千円で済むにも関わらず、
それすら読まずに就職研修屋から人間を派遣してもらい、
本棚には就職研修屋の本ばかり並べている学校が多い。
就職研修屋に仕事を頼んだ方が就職課の仕事量も減って助かるなどとでも
思っているのであろうか。
この点に関して、学校側(就職課)は猛反省するべきである。

 また、最近は大規模な会社説明会があると、帰り道、駅までの間に就職研修屋の職員が立っていて
勧誘を行っているところまで多々見掛けられるようになった。
このようなキャッチセールスを行う就職研修屋の話は、特に要注意だ。
これこそ、まさに耳を傾けてはいけない典型事例である。
「就職活動中ですか?」などと訊かれても、「違います」などと言って
早々にその場を立ち去るべきである。
冒頭で紹介した幸せの壺売りのような勧誘を行うのは
このように路上で声を掛けてきている人たちに多いのである。

 美容整形業界・結婚活動研修業界(婚活研修業界)では
「顔面偏差値」・「恋愛偏差値」という言葉を使用しているところが多い。
一見して、この用語は、美容整形業界・結婚活動研修業界などが
自分たちが儲かるために使っている用語だとわかるであろう。
「コミュニケーション能力」などはまさに「恋愛偏差値」と狭義でも同じ分類の用語である。
このような研修屋がつくった造語に、未だに惹かれる者までいる。

 なぜ、就職研修屋が「コミュニケーション能力」などという造語を使うのであろうか。
もしも、コミュニケーション能力を職場の人とうまくやっていく能力と定義するならば、
それは「人当たりの良さ」とほとんど同じ意味である。

 それにも関わらず、就職研修屋がコミュニケーション能力という表現にこだわるのは、
顧客の就職活動がうまくいかなかった場合、「コミュニケーション能力の養成が
不十分だったから」と言い、責任を顧客に転嫁できるからである。
もしも、「人当たりの良さ」という表現を使ってしまうと、
抽象的ながら、古くから存在する日本語であるため、
広いながらもある程度、範囲が限られてしまう。
そこで、コミュニケーション能力という日本語とカタカナ英語を併用した造語を使うことによって
より概念を抽象的にして、就職研修屋の責任を無に等しくしているのである。 



(補足:就職研修屋の虚実)

(1)「なぜ働くか」という問いは、「ひょうたんでどじょうを捕まえる方法を答えよ」という問いとイコールである。にもかかわらず、第一印象を良くして生活費のためだと答えたり、家族の笑顔のためだと答えたりする者が後を絶たない。就職の面接本を読んでいる時間を臨済宗の入門書の読解に充てるべきである。

 上記の見解に対して、メラビアンの法則によれば、見掛け(外見)の情報のみで全印象の93パーセントが形成されるという反論があるかも知れない。
 しかし、メラビアン博士(この人は就職業界では有名人だというのに、心理学界ではあまり有名ではない)の行った実験は「Maybe(たぶん)」という英単語1つだけを様々な表情・しぐさ(写真のみ)・声質(録音した音声のみ)で相手に伝えた時の相手に与えた印象の結果などについて調べただけにすぎない。
 しかも、心理学について書かれた分厚い辞典を調べてもメラビアンの法則という項目は存在しない。心理学の世界ではその程度の扱いの法則が就職業界を牛耳っているのである。

(2)経営コンサルタント・就職研修屋に仕事を頼む前に読んでおくべき書籍。
『非言語コミュニケーション』(聖文社、A・マレービアン、西田司他訳)を読んでもらいたい。
この本は絶版になっているので、図書館などで読んで欲しい。

 また、上の和訳の本が入手できない場合、
『反社会学講座』(筑摩書房、パオロ・マッツァリーノ、2007年)の
139ページ以降を読んでもらいたい。

 この本は、稲葉振一郎明治学院大学教授が『社会学入門』(日本放送出版協会、2009年)の
巻末付録の読書案内でも紹介している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気の利いたエントリーシートの書き方(基礎編)

2011-04-13 23:24:07 | 日記

 4月も中旬に入り、次々と追加でエントリーシートを書く状況になっている人もいるかも
知れないので、今回はエントリーシートの評価理論について書いていくことにする。

 はっきり言うと、エントリーシートをほとんど書かないまま、
就職活動を終える人も相当数いる。
エントリーシートなど書かせなくても、履歴書を書かせれば、それで十分なのである。
それにも関わらず、エントリーシートの提出を求める企業は
『他の会社がやっているからうちでもやってみようかな?』
『履歴書だと、都合の良いことばかり書かれるから、独自の設問をしよう』などと
考えているところが多い。

 いずれにしろ、エントリーシートで1番簡単な方法は一芸に秀でることである。
何か、誇れるものがある人はそれを書けばいいし、
特に何も誇るものがないという人は普通の履歴書だと思って書けばいい。
ただし、普通の履歴書にはないような独自の設問があったら、
少し気が利いたことを書いた方がプラスになる。
そういう独自の設問は哲学的なことを聞いていることも多いから
新書でも良いので、哲学的なことが書いてある本を読んでおくと良い。

 手軽に入手できて、わかりやすい本では以下の2冊をおすすめする。
・『理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性』(高橋昌一郎、講談社現代新書、2008年)
・『知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性』(高橋昌一郎、講談社現代新書、2010年)

 対話形式で、哲学の主要な部分がわかる。
しかも、普通の対話形式のテキストではなく、面白く読める工夫が各所に施されている。
巻末の参考文献も充実しているので、さらにステップアップしたい人にも向いているであろう。

 ところで、就職研修屋は、「就職の採用基準で1番大切なのは面接であり、
その他のエントリーシート・学部成績などは参考資料にすぎない。
エントリーシートなど1枚数秒読んだだけで採用の可否が決まる」などという趣旨の主張をしていることが多い。

 さらに、上記の主張をしている就職研修屋の中には、
「第一印象が1番大切。
第一印象だけで内定獲得の当否が決まる。
企業に第一印象を抱かせるエントリーシートは極めて重要だ」などという趣旨の主張をしているところも多い。

 第一印象が1番大切と言っておきながら、採用者側が面接に先立って
目を通すエントリーシート・学部成績は参考程度という主張をしているのである。

 抽象的なことを言っても評価されないと言っておきながら、
定義すら決まっていないコミュニケーション能力が1番大切などと主張するのと同じく、
就職研修業界最大級の論理破綻であろう。

 さらに、ひどい就職研修屋になると、同じ講演・同じ書籍の中で、
エントリシートが1番大切な第一印象を企業に決定させるとしておきながら、
エントリーシートは参考程度という主張を展開しているところまである。

 自らの主張に矛盾がないかという点すら、確認していないのである。
あるいはわかっていても、それを修正すると、
自らの主張が根本から崩壊し、商売が成り立たなくなるから、
そのままにしているのであろうか。

 このブログの読者は周知の通り、
就職研修屋の主張するようなメラビアンの法則やコミュニケーション能力はどこにも存在しない。
それにも関わらず、彼らはそれを科学的に立証されたと言い張り、
論文の和訳すら読んでいないような主張をしている。
(このブログを読むのが初めてという人は、最終段落の補足を読んで欲しい)

 学校側も就職研修屋に仕事を頼む前に、彼らの主張することが本当に正しいのか、
彼らが根拠としている論文の和訳だけでも読んで調査すれば良いものをその手間すら惜しんで
就職研修屋に仕事を頼むから、ますます就職研修屋の思うつぼになっているのである。

 さらには、その学校内での講演の際に、就職研修屋の案内のビラを配るところまで存在する。
学生を守るべき立場にある学校側(就職課)が、学生を守るどころか、
就職研修屋に、場所・時間まで与えて、その活動に加担しているのである。

 毎回高額な講演料を就職研修屋に払うのに比べれば
和訳された論文の本代など数千円で済むにも関わらず、
それすら読まずに就職研修屋から人間を派遣してもらい、
本棚には就職研修屋の本ばかり並べている学校が多い。
就職研修屋に仕事を頼んだ方が就職課の仕事量も減って助かるなどとでも
思っているのであろうか。
この点に関して、学校側(就職課)は猛反省するべきである。

 また、最近は大規模な会社説明会があると、帰り道、駅までの間に就職研修屋の職員が立っていて
勧誘を行っているところまで多々見掛けられるようになった。
このようなキャッチセールスを行う就職研修屋の話は、特に要注意だ。
これこそ、まさに耳を傾けてはいけない典型事例である。
「就職活動中ですか?」などと訊かれても、「違います」などと言って
早々にその場を立ち去るべきである。
冒頭で紹介した幸せの壺売りのような勧誘を行うのは
このように路上で声を掛けてきている人たちに多いのである。

 美容整形業界・結婚活動研修業界(婚活研修業界)では
「顔面偏差値」・「恋愛偏差値」という言葉を使用しているところが多い。
一見して、この用語は、美容整形業界・結婚活動研修業界などが
自分たちが儲かるために使っている用語だとわかるであろう。
「コミュニケーション能力」などはまさに「恋愛偏差値」と狭義でも同じ分類の用語である。
このような研修屋がつくった造語に、未だに惹かれる者までいる。

 なぜ、就職研修屋が「コミュニケーション能力」などという造語を使うのであろうか。
もしも、コミュニケーション能力を職場の人とうまくやっていく能力と定義するならば、
それは「人当たりの良さ」とほとんど同じ意味である。

 それにも関わらず、就職研修屋がコミュニケーション能力という表現にこだわるのは、
顧客の就職活動がうまくいかなかった場合、「コミュニケーション能力の養成が
不十分だったから」と言い、責任を顧客に転嫁できるからである。
もしも、「人当たりの良さ」という表現を使ってしまうと、
抽象的ながら、古くから存在する日本語であるため、
広いながらもある程度、範囲が限られてしまう。
そこで、コミュニケーション能力という日本語とカタカナ英語を併用した造語を使うことによって
より概念を抽象的にして、就職研修屋の責任を無に等しくしているのである。

(補足:就職研修屋の虚実)

(1)「なぜ働くか」という問いは、「ひょうたんでどじょうを捕まえる方法を答えよ」という問いとイコールである。にもかかわらず、第一印象を良くして生活費のためだと答えたり、家族の笑顔のためだと答えたりする者が後を絶たない。就職の面接本を読んでいる時間を臨済宗の入門書の読解に充てるべきである。

 上記の見解に対して、メラビアンの法則によれば、見掛け(外見)の情報のみで全印象の93パーセントが形成されるという反論があるかも知れない。
 しかし、メラビアン博士(この人は就職業界では有名人だというのに、心理学界ではあまり有名ではない)の行った実験は「Maybe(たぶん)」という英単語1つだけを様々な表情・しぐさ(写真のみ)・声質(録音した音声のみ)で相手に伝えた時の相手に与えた印象の結果などについて調べただけにすぎない。
 しかも、心理学について書かれた分厚い辞典を調べてもメラビアンの法則という項目は存在しない。心理学の世界ではその程度の扱いの法則が就職業界を牛耳っているのである。

(2)経営コンサルタント・就職研修屋に仕事を頼む前に読んでおくべき書籍。
『非言語コミュニケーション』(聖文社、A・マレービアン、西田司他訳)を読んでもらいたい。
この本は絶版になっているので、図書館などで読んで欲しい。

 また、上の和訳の本が入手できない場合、
『反社会学講座』(筑摩書房、パオロ・マッツァリーノ、2007年)の
139ページ以降を読んでもらいたい。

 この本は、稲葉振一郎明治学院大学教授が『社会学入門』(日本放送出版協会、2009年)の
巻末付録の読書案内でも紹介している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする