高校で、日本史を原始時代から始めていくと、
明治時代辺りで1年が終わってしまうケースがある。
明治から戦後にかけてが大学受験で最も頻出にも関わらず、
そういう学校では触れられずに終わる。
仮に、高校で戦後史を習わなかったとしても、
就職研修屋のデタラメ戦後史などは信じてはいけない。
ちょうど、世界同時不況とゆとり教育世代の社会人化(ここでは、2003年春に
義務教育を終えた世代という意味)が同時期だったので、
久し振りに、分数ができない大学生などの話題を持ち出し、
だれでも大学生になれて大卒の価値が落ちて就職できないという理論を創り出した。
しかし、この理論は中卒は金の卵と言われた時代を完全に無視した主張であり、
高度経済成長期、地方から中卒の若者が東京・大阪などの大都市圏の企業に
集団就職していた時代に生きていた人なら、すぐにおかしいと気付くであろう。
もっと言うと、1990年代に入ってからでも、中卒者の就職は学校側で斡旋していた。
大学生でも、以前は学校経由の就職活動が当然のように行われ
その頃は、大学4年生の10月までは採用活動は行わないと企業同士で協定を
結んでいた。
バブル期にはフライングで、密かに学生の自宅に電話をかけて
こっそり説明会を開き、その場で内定を出すという荒技を行う企業もいて
同業者の企業から強い批難を集めることもあった。
このように就職研修屋の話す戦後経済史の話には要注意である。
彼らは統計の羅列を見せて、自分たちの主張の正当性を装うことが多いが、
その統計の起点によく注目してもらいたい。
「今年はマスコミで言われているほど、就職状況は悪くないことは
過去の統計を見ても明らかだ」という趣旨のことを
1992年以降の就職内定率のデーターを見せて言っても
全く説得力はない。
1991年以前のデーターはどうしたのであろうか。
紙のスペースがなかったなどという言い訳は通用しない。
故意にバブル期及びそれ以前のデーターを隠匿しているのである。
1980年代以前は大学が、就職活動の仲介者として大きな役割を果たしていた。
バブル期のデーターは言いがかりをつけるのが難しく、
バブルより前のデーターは就職環境の違いを解説した上で
言いがかりをつける他なく、就職研修屋としては不都合この上ない。
ゆえに、バブル崩壊後のデーターのみを載せているのである。
さらに言うと、以前、転職希望者向けの文章で書いた通り、
その当時は「コミュニケーション能力」などという就職研修屋のデタラメ造語も存在しなかった。
現在の転職希望者には、就職研修屋(あるいは転職斡旋業者)が「コミュニケーション能力」・
「ヒューマンスキル」などという自分たちが就職した頃にはなかった言葉を聞いて
「わかりやすく、日本語で説明してくれ」という方も多い。
就職研修屋のデタラメ造語に振り回される者にはたまったものではないであろう。
このブログの読者は周知の通り、
就職研修屋の主張するようなメラビアンの法則やコミュニケーション能力はどこにも存在しない。
それにも関わらず、彼らはそれを科学的に立証されたと言い張り、
論文の和訳すら読んでいないような主張をしている。
(このブログを読むのが初めてという人は、最終段落の補足を読んで欲しい)
もはや、科学などではなく、疑似科学・オカルトの世界である。
20年ほど前に流行していた各種の啓蒙セミナーにかなり近い分類になろう。
学校側も就職研修屋に仕事を頼む前に、彼らの主張することが本当に正しいのか、
彼らが根拠としている論文の和訳だけでも読んで調査すれば良いものをその手間すら惜しんで
就職研修屋に仕事を頼むから、ますます就職研修屋の思うつぼになっているのである。
さらには、その学校内での講演の際に、就職研修屋の案内のビラを配るところまで存在する。
学生を守るべき立場にある学校側(就職課)が、学生を守るどころか、
就職研修屋に、場所・時間まで与えて、その活動に加担しているのである。
毎回高額な講演料を就職研修屋に払うのに比べれば
和訳された論文の本代など数千円で済むにも関わらず、
それすら読まずに就職研修屋から人間を派遣してもらい、
本棚には就職研修屋の本ばかり並べている学校が多い。
就職研修屋に仕事を頼んだ方が就職課の仕事量も減って助かるなどとでも
思っているのであろうか。
この点に関して、学校側(就職課)は猛反省し、
今後、このような悪質な就職研修屋とは一切契約しないべきである。
また、最近は大規模な会社説明会があると、帰り道、駅までの間に就職研修屋の職員が立っていて
勧誘を行っているところまで多々見掛けられるようになった。
このようなキャッチセールスを行う就職研修屋の話は、特に要注意だ。
これこそ、まさに耳を傾けてはいけない典型事例である。
「就職活動中ですか?」などと訊かれても、「違います」などと言って
早々にその場を立ち去るべきである。
冒頭で紹介した幸せの壺売りのような勧誘を行うのは
このように路上で声を掛けてきている人たちに多いのである。
美容整形業界・結婚活動研修業界(婚活研修業界)では
「顔面偏差値」・「恋愛偏差値」という言葉を使用しているところが多い。
一見して、この用語は、美容整形業界・結婚活動研修業界などが
自分たちが儲かるために使っている用語だとわかるであろう。
「コミュニケーション能力」などはまさに「恋愛偏差値」と狭義でも同じ分類の用語である。
このような研修屋がつくった造語に、未だに惹かれる者までいる。
なぜ、就職研修屋が「コミュニケーション能力」などという造語を使うのであろうか。
もしも、コミュニケーション能力を職場の人とうまくやっていく能力と定義するならば、
それは「人当たりの良さ」とほとんど同じ意味である。
それにも関わらず、就職研修屋がコミュニケーション能力という表現にこだわるのは、
顧客の就職活動がうまくいかなかった場合、「コミュニケーション能力の養成が
不十分だったから」と言い、責任を顧客に転嫁できるからである。
もしも、「人当たりの良さ」という表現を使ってしまうと、
抽象的ながら、古くから存在する日本語であるため、
広いながらもある程度、範囲が限られてしまう。
そこで、コミュニケーション能力という日本語とカタカナ英語を併用した造語を使うことによって
より概念を抽象的にして、就職研修屋の責任を無に等しくしているのである。
(補足:就職研修屋の虚実)
(1)「なぜ働くか」という問いは、「ひょうたんでどじょうを捕まえる方法を答えよ」という問いとイコールである。にもかかわらず、第一印象を良くして生活費のためだと答えたり、家族の笑顔のためだと答えたりする者が後を絶たない。就職の面接本を読んでいる時間を臨済宗の入門書の読解に充てるべきである。
上記の見解に対して、メラビアンの法則によれば、見掛け(外見)の情報のみで全印象の93パーセントが形成されるという反論があるかも知れない。
しかし、メラビアン博士(この人は就職業界では有名人だというのに、心理学界ではあまり有名ではない)の行った実験は「Maybe(たぶん)」という英単語1つだけを様々な表情・しぐさ(写真のみ)・声質(録音した音声のみ)で相手に伝えた時の相手に与えた印象の結果などについて調べただけにすぎない。
しかも、心理学について書かれた分厚い辞典を調べてもメラビアンの法則という項目は存在しない。心理学の世界ではその程度の扱いの法則が就職業界を牛耳っているのである。
(2)経営コンサルタント・就職研修屋に仕事を頼む前に読んでおくべき書籍。
『非言語コミュニケーション』(聖文社、A・マレービアン、西田司他訳)を読んでもらいたい。
この本は絶版になっているので、図書館などで読んで欲しい。
また、上の和訳の本が入手できない場合、
『反社会学講座』(筑摩書房、パオロ・マッツァリーノ、2007年)の
139ページ以降を読んでもらいたい。
この本は、稲葉振一郎明治学院大学教授が『社会学入門』(日本放送出版協会、2009年)の
巻末付録の読書案内でも紹介している。
明治時代辺りで1年が終わってしまうケースがある。
明治から戦後にかけてが大学受験で最も頻出にも関わらず、
そういう学校では触れられずに終わる。
仮に、高校で戦後史を習わなかったとしても、
就職研修屋のデタラメ戦後史などは信じてはいけない。
ちょうど、世界同時不況とゆとり教育世代の社会人化(ここでは、2003年春に
義務教育を終えた世代という意味)が同時期だったので、
久し振りに、分数ができない大学生などの話題を持ち出し、
だれでも大学生になれて大卒の価値が落ちて就職できないという理論を創り出した。
しかし、この理論は中卒は金の卵と言われた時代を完全に無視した主張であり、
高度経済成長期、地方から中卒の若者が東京・大阪などの大都市圏の企業に
集団就職していた時代に生きていた人なら、すぐにおかしいと気付くであろう。
もっと言うと、1990年代に入ってからでも、中卒者の就職は学校側で斡旋していた。
大学生でも、以前は学校経由の就職活動が当然のように行われ
その頃は、大学4年生の10月までは採用活動は行わないと企業同士で協定を
結んでいた。
バブル期にはフライングで、密かに学生の自宅に電話をかけて
こっそり説明会を開き、その場で内定を出すという荒技を行う企業もいて
同業者の企業から強い批難を集めることもあった。
このように就職研修屋の話す戦後経済史の話には要注意である。
彼らは統計の羅列を見せて、自分たちの主張の正当性を装うことが多いが、
その統計の起点によく注目してもらいたい。
「今年はマスコミで言われているほど、就職状況は悪くないことは
過去の統計を見ても明らかだ」という趣旨のことを
1992年以降の就職内定率のデーターを見せて言っても
全く説得力はない。
1991年以前のデーターはどうしたのであろうか。
紙のスペースがなかったなどという言い訳は通用しない。
故意にバブル期及びそれ以前のデーターを隠匿しているのである。
1980年代以前は大学が、就職活動の仲介者として大きな役割を果たしていた。
バブル期のデーターは言いがかりをつけるのが難しく、
バブルより前のデーターは就職環境の違いを解説した上で
言いがかりをつける他なく、就職研修屋としては不都合この上ない。
ゆえに、バブル崩壊後のデーターのみを載せているのである。
さらに言うと、以前、転職希望者向けの文章で書いた通り、
その当時は「コミュニケーション能力」などという就職研修屋のデタラメ造語も存在しなかった。
現在の転職希望者には、就職研修屋(あるいは転職斡旋業者)が「コミュニケーション能力」・
「ヒューマンスキル」などという自分たちが就職した頃にはなかった言葉を聞いて
「わかりやすく、日本語で説明してくれ」という方も多い。
就職研修屋のデタラメ造語に振り回される者にはたまったものではないであろう。
このブログの読者は周知の通り、
就職研修屋の主張するようなメラビアンの法則やコミュニケーション能力はどこにも存在しない。
それにも関わらず、彼らはそれを科学的に立証されたと言い張り、
論文の和訳すら読んでいないような主張をしている。
(このブログを読むのが初めてという人は、最終段落の補足を読んで欲しい)
もはや、科学などではなく、疑似科学・オカルトの世界である。
20年ほど前に流行していた各種の啓蒙セミナーにかなり近い分類になろう。
学校側も就職研修屋に仕事を頼む前に、彼らの主張することが本当に正しいのか、
彼らが根拠としている論文の和訳だけでも読んで調査すれば良いものをその手間すら惜しんで
就職研修屋に仕事を頼むから、ますます就職研修屋の思うつぼになっているのである。
さらには、その学校内での講演の際に、就職研修屋の案内のビラを配るところまで存在する。
学生を守るべき立場にある学校側(就職課)が、学生を守るどころか、
就職研修屋に、場所・時間まで与えて、その活動に加担しているのである。
毎回高額な講演料を就職研修屋に払うのに比べれば
和訳された論文の本代など数千円で済むにも関わらず、
それすら読まずに就職研修屋から人間を派遣してもらい、
本棚には就職研修屋の本ばかり並べている学校が多い。
就職研修屋に仕事を頼んだ方が就職課の仕事量も減って助かるなどとでも
思っているのであろうか。
この点に関して、学校側(就職課)は猛反省し、
今後、このような悪質な就職研修屋とは一切契約しないべきである。
また、最近は大規模な会社説明会があると、帰り道、駅までの間に就職研修屋の職員が立っていて
勧誘を行っているところまで多々見掛けられるようになった。
このようなキャッチセールスを行う就職研修屋の話は、特に要注意だ。
これこそ、まさに耳を傾けてはいけない典型事例である。
「就職活動中ですか?」などと訊かれても、「違います」などと言って
早々にその場を立ち去るべきである。
冒頭で紹介した幸せの壺売りのような勧誘を行うのは
このように路上で声を掛けてきている人たちに多いのである。
美容整形業界・結婚活動研修業界(婚活研修業界)では
「顔面偏差値」・「恋愛偏差値」という言葉を使用しているところが多い。
一見して、この用語は、美容整形業界・結婚活動研修業界などが
自分たちが儲かるために使っている用語だとわかるであろう。
「コミュニケーション能力」などはまさに「恋愛偏差値」と狭義でも同じ分類の用語である。
このような研修屋がつくった造語に、未だに惹かれる者までいる。
なぜ、就職研修屋が「コミュニケーション能力」などという造語を使うのであろうか。
もしも、コミュニケーション能力を職場の人とうまくやっていく能力と定義するならば、
それは「人当たりの良さ」とほとんど同じ意味である。
それにも関わらず、就職研修屋がコミュニケーション能力という表現にこだわるのは、
顧客の就職活動がうまくいかなかった場合、「コミュニケーション能力の養成が
不十分だったから」と言い、責任を顧客に転嫁できるからである。
もしも、「人当たりの良さ」という表現を使ってしまうと、
抽象的ながら、古くから存在する日本語であるため、
広いながらもある程度、範囲が限られてしまう。
そこで、コミュニケーション能力という日本語とカタカナ英語を併用した造語を使うことによって
より概念を抽象的にして、就職研修屋の責任を無に等しくしているのである。
(補足:就職研修屋の虚実)
(1)「なぜ働くか」という問いは、「ひょうたんでどじょうを捕まえる方法を答えよ」という問いとイコールである。にもかかわらず、第一印象を良くして生活費のためだと答えたり、家族の笑顔のためだと答えたりする者が後を絶たない。就職の面接本を読んでいる時間を臨済宗の入門書の読解に充てるべきである。
上記の見解に対して、メラビアンの法則によれば、見掛け(外見)の情報のみで全印象の93パーセントが形成されるという反論があるかも知れない。
しかし、メラビアン博士(この人は就職業界では有名人だというのに、心理学界ではあまり有名ではない)の行った実験は「Maybe(たぶん)」という英単語1つだけを様々な表情・しぐさ(写真のみ)・声質(録音した音声のみ)で相手に伝えた時の相手に与えた印象の結果などについて調べただけにすぎない。
しかも、心理学について書かれた分厚い辞典を調べてもメラビアンの法則という項目は存在しない。心理学の世界ではその程度の扱いの法則が就職業界を牛耳っているのである。
(2)経営コンサルタント・就職研修屋に仕事を頼む前に読んでおくべき書籍。
『非言語コミュニケーション』(聖文社、A・マレービアン、西田司他訳)を読んでもらいたい。
この本は絶版になっているので、図書館などで読んで欲しい。
また、上の和訳の本が入手できない場合、
『反社会学講座』(筑摩書房、パオロ・マッツァリーノ、2007年)の
139ページ以降を読んでもらいたい。
この本は、稲葉振一郎明治学院大学教授が『社会学入門』(日本放送出版協会、2009年)の
巻末付録の読書案内でも紹介している。