日々つらつらと熱に浮かされでもしたかのように
自分の情けなさと世間への愚痴をブログに書き連ねている私。
そしてふと思った。
心から思った。
こんなんなる前に
人生のどこかの時点でもしかして
どーにかできたんじゃなかろーか?
と。
あのさ、考えてもみなよ。
と、私は自分に言い聞かせた。
学生時代に繰り返す失敗よりも
社会人になってからする1度の失敗のほうが
痛手が大きいとは思わんか?
たぶん、結構多くの人が私と同じようなことで悩んでて
つまりこれってかなり昔から、いやどの世代でも共通の問題で
(高度経済成長時代はどうだったか知らんけども)
大人になってから
「学生時代にもっと勉強しときゃよかった!!」
って人が悔やむのと
さほど変わらないことなのかもしれないと思ったりする。
人間が愚かな理由のひとつに
“自分が後悔してきたことをあとの世代にも後悔させてしまう”
という負のスパイラルをいとも簡単に維持してしまう
ことがあると思うんだが
要するにやり方がきっと間違ってるってことではなかろうか。
親が勉強しない子供に向かって
先生がろくに授業に集中しない生徒に向かって
「大人になってから
勉強しときゃよかったと後悔するぞ」
と脅してみたところで
いったいどんだけの効果があろうか。
子供に将来の話をしてみたところで
未来なんて大嘘つき
なもんの話を、どんだけのリアリティを持って聞くだろうか。
(未来なんて予測がつかないってことね)
人によって誤差はあるんだろうが
効果のないことを上から受け継いでやっててもしょうがないのである。
だから
賢明な人はそんなことはそもそもしていないんであろうが
子供に
大人になってからあのとき勉強しときゃよかったと後悔させない
ためには
今彼らが勉強したいと思わせるように仕向けないといけないわけで
これを
社会人になってから私のような生き方を選ばないように
ちゃんと自分は自分でいていいんだと
自分は誰とも違う、だからこそ有望な存在なのだと
そう思って大人になってもらうための方法に応用するとなると
どーいうことになるんだ?
書いててわかんなくなってきたぞ・・・。
私がこうしてブログで自分のダメさ加減と
いかに私が後悔しているかということをダラダラ書き綴ることも
なにかの役には立つかもしれんが
それってさっき書いた
「大人になってから後悔するぞ」
っていう脅しとなんら変わりがないように思うわけで
過去の私のような生き方をしてしまっている子たちには
「やだ、私このままいったらこの人みたいになっちゃうの・・・」
と不安を煽り立てる素材にしかなっていないんではなかろうかと・・・。
でも、それって意味ない。
子供たちに伝えるものは「不安」なんてつまんないもんじゃ
ダメなんだよ。
どーか
人生の理不尽さや人の醜さや世界の残酷さの中に生きていても
それを悪しきことと捉えるだけでなく
全部ひっくるめて、それでも楽しんでしまえるくらいの
自分の存在の輝きみたいなものを信じていられる
力っていうとなにか違うけど
ある種の余白というか、余裕みたいなものを持って生きてほしい
と私は心から願ってるんだが
どーしたらそれがうまく伝わるだろうか・・・。
ちゃんとリアルで人として向き合わないと
そんなことは伝わるわけがないってことは、十分わかってはいるんだが。
でもアーティストや作家やスポーツ選手に対して
子供たちが憧れるところを見ると
あながち間接的に彼らをサポートするということも
できないことではないような気もする。
そりゃ、夜回り先生みたいにできたらそれが一番いいとは思うんだけど。
まだまだチキンちゃんな私は
こうしてブログに彼らへの応援歌染みたもんを書き綴ることくらいしか
現実にはできそうもないし。
あ、長くなっちゃったからこの辺で一度切ろう。
まだまだ書きたいことはあるんだけど。