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プロレス村から取り残されております【プロレスを解き明かせ1】

2022-07-17 18:59:02 | 格闘技談話
と言う事で、この連休中に札幌では
新日本2連戦とスターダムで3連戦のプロレス興行が行われ、
その流れからオカダカズチカ選手に遭遇した事をきっかけに
久しぶりにプロレスを語ろう!

私は自分でも自覚しておりますが、
はっきり言って「プロレス村から取り残された」プロレスマニアであります。
ようは、完全なるエンターテイメント化にのれない。
村人からすれば迷惑な話です。

今後気が向いたら投稿していきますが、
まずはなぜ僕が取り残されているのかを書いていきます。

これはプロレスの最大の問題点でもありますが、
プロレスとは何か?と言う事がはっきりしていない事があります。

例えば、プロ野球においても多くの変化がありますが
それはテクニカルな問題だけであって、競技自体が変化した訳ではない。
より安全の為の変化や選手の意識による変化。

スライディングに関する問題や、ぶつけられるという恐怖の有無など。
イチローがものすごかった!誰しもがわかっている事ですが、
もしイチローに対して「逃げなければ当たってしまう」
インコースのボールを集中して投げていれば同様の成績を残せたのだろうか?

だから何なのか?
なんにせよ野球の変化とはそのようなもので、野球は野球。

じゃあプロレスって何?
その答えが回答者によって大きく変わってしまう。
先導者やどの時間を生きたのかによって違うという珍しいスポーツです。
なぜならプロレス自体が大きな変化の中で続いてきたものだからです。

例えば、新日本から派生したUWFは最終的に総合格闘技に変化した。
当時はプロレスの進化とされていたこの流れも、
故・山本小鉄氏はパンクラスを取り上げてこう言っています。
「あれはプロレスの進化ではなく、退化だ」
なぜなら、そもそもプロレスとはレスリングを主とした総合格闘技である。
C・A・C・C(キャッチ・アズ・キャッチ・キャン)を源流にして、
そのレスリング部分を競技化したのがアマレスであって、
のちに世界的な名称としてプロレスとなっている。

決闘だったか見せ物だったかのパンクラチオンから続く格闘が、
興行化という変化の下にCACCになり、それを競技化してアマレスが出来た。
プロレスの競技化としてはその段階で終了している事。
だから競技化に向かう流れは、終わった事を掘り返している事であり、
創られた肉付け部分の切り落としは退化だと。

ちなみに言うと、出来上がった総合格闘技と言う競技は
同条件における枠組みの中でどちらが勝つかと言う部分において
はっきりと答えを出すものになったが、
ある意味で言えば、誰が強いのか?という”夢”においては遠ざかった。
競技化するとはそういう事。

話を続けると、CACC以降も興業化と言う変化を続けていくプロレス。
いわゆるエンターテイメント化。
一概にエンタメ化と言っても、様々なことがあり反プロレス的な方が
思うような流ればかりではない。
わかりやすいのは、初期のPRIDEであったプロレス流の煽りなどもそう。
400戦無敗のヒクソングレイシーやテキサスの暴れ馬ヒースヒーリングなど
選手におけるキャッチフレーズや、入場の衣装や曲など。
それらも含めてエンタメ化。

ではなぜプロレスは試合の中にまでエンタメ化がされているのか?
あくまでもプロレスは後ろ盾のない一般企業による興行であり、
集客なくしては存続していく事が出来ない

協会があって会員がいて、そこから維持費が出来るわけでもなく、
興行と育成含めた維持費の分別がされているわけでもない。
いかに集客ができるか、集客するかがすべてであるため。

企業の生き残りの為に変化を続けたプロレスにあって、
その最終地点をWWEだとして、日本のプロレスもほぼほぼそのラインに
到達したというのが現状。
だからこの変化の時間軸の中でどの地点で生きたか?誰と共に過ごしたか?
が大きくかかわってプロレスとは何かの答えが変わってしまう。
これは見ている側の話だけではなく、レスラーにおいても。

そして僕はプロレスから取り残されてしまった。


次回は「プロレスとは八百長なのか?」について、
村から取り残された僕の視点で書いていこうと思います。


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