月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

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【乃木大将】辻占売少年との逸話

2012-07-21 18:48:13 | 乃木大将
こんにちは、月乃和熊(ツキノワグマ)です!
  3.11東日本大震災 忘れない!風化させない!!
  
  月乃和熊(ツキノワグマ)も賛同しております
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【乃木大将】辻占売少年との逸話

乃木神社に隣接する、旧乃木邸の庭園に「乃木大将と辻占売少年像」があります

説明文によると、明治24年に金沢を訪れた乃木希典(当時は陸軍少将)は、まだ8歳のながら辻占売をして一家の生計を支えていた少年に出会い、その姿に感銘を受けた乃木希典は少年を励まし2円を手渡した
その少年は、この恩を忘れることなく精進を重ね、金箔業界で大成功を納めたそうです

乃木は傷病兵や遺族への訪問をライフワークとしていたようで、割腹自殺の直前まで傷病兵を見舞い、また戦死して大黒柱を失っい幼い子供を抱えた奥さんが体を壊して寝込んでいる遺族を訪ねてみると、そこに借金取りが居合わせ厳しく取り立てている。
乃木希典は、その場で借金を返済し更に20円を手渡したという。

そもそも、日本人はそのような美談が好きであった
永く傷病兵心配し、戦死した兵士の遺族へ心を砕いたか、乃木の精神的な逸話はたくさんあり、ただの「イケイケお馬鹿大将軍」ならば、神社など建立されるはずもなく、永く語られるはずもない

この銅像は、六本木の六本木ヒルズに付近にあったニッカ池に建立されていたものが、その付近の都市整備によって平成13年に旧乃木邸に移されたのだそうです

金沢というと、明治24年ごろ北陸に新しい師団を創設するにあたり、すでに別の候補地に内定していたはずが、乃木希典が金沢に来たことで金沢に第9師団が創設されることになった
と、少なくとも当時の金沢の人々は本気で信じていたらしい

そして金沢第9師団は日露戦争で第3軍として編成され、旅順要塞攻撃に参戦し第一次総攻撃から東北正面を担当したのであった

追伸:
乃木神社には、ときどき芸能人も参拝しているらしい。
でも、ノギザカ48とかいわれても、AKB48とももいろクローバZの違いも判らない月乃和熊(ツキノワグマ)オヤジとしては、なんのこっちゃ・・・なんだけどね

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