月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

歴史好きオヤジが細々と大震災、水害、雪害の復興花火や図書館の蔵書の支援を続けていまふ。

【乃木大将(10)】第3次旅順総攻撃(その1)

2012-03-01 21:52:26 | 乃木大将

どもども、本日2012年3月1日。乃木大将シリーズを再開しまふ
何回かに分けて、ちまちまと第3次旅順総攻撃をお伝えします
 はじまりはじまり・・・


乃木大将那須野別邸
------------------------------------------------------------------
第1次総攻撃  第2次総攻撃  28サンチ榴弾砲  旅順要塞降伏
------------------------------------------------------------------

【乃木大将(10)】第3次旅順総攻撃(その1)
  乃木の覚悟
乃木が大連に上陸したのは明治37年6月6日であった、旅順要塞に向けて進撃を開始したのが6月26日、そして8月19日に旅順攻囲戦を開始たときから早くも3か月、旅順はいつしか厳しい冬になっていた。

第2次総攻撃は、事前に準備した塹壕のおかげで、初めてロシア軍に日本軍よりも多い出血を強いたとはいえ、28サンチ榴弾砲18門を投入し、4日間に及ぶ2000発もの猛烈な準備砲撃も、1.3mもの暑さで鎧われた要塞を粉砕することができず、奪った堡塁はわずかに4拠点。
しかも、砲弾の欠乏で攻撃を中止せざるを得なかった。
結局は火力が足りず、望台を陥落させることができなかった以上、第1次総攻撃に続き失敗に終わったという他ない。

11月14日の御前会議で、海軍や大本営からの強い要請で旅順艦隊撃滅のため、203高地への攻撃転換を決定するが、満州軍総司令官の大山巌元帥、総参謀長の児玉源太郎大将はあくまで正面攻撃にこだわった。

203高地を陥とすことで、旅順艦隊に直接攻撃を加えることができるとしても、旅順要塞を降伏させたことにはならないからだ。
むしろ正面攻撃で望台を陥とすことで、旅順要塞の死命を制し、旅順艦隊を無力化させることが戦略に則していると考えているのだ。

日本国内では、乃木の責任を追及し切腹や辞職を求める抗議文が2400通余りもあったという。
海軍は焦燥を募らせ、全ての国民が固唾をのんで注目するところとなった旅順要塞攻撃は、国民をも巻き込んで乃木の更迭論が巻き起こるが、乃木への信任厚い明治天皇はこれを排除し、そればかりか第3軍に対して11月22日、異例の勅語が下された。

難攻不落の旅順要塞攻囲戦を慰労するとともに、強烈な激励を受けた乃木は、「誓って速やかに軍の任務を遂行す」と奉答した。
ことここに至り乃木の選択肢は、早急に旅順を陥とすか自身の死を以って償うかに絞られ、覚悟を決めた。

 前の記事 第2次総攻撃(5)=完結編= 
 第3次総攻撃 (2)ロシア軍の備え につづく~ 
-----------------------------------------------------------------
赤穂事件  乃木と赤穂事件
-----------------------------------------------------------------
【日本酒飲んで復興支援】
【宮城県災害復興支援】純米吟醸酒 蔵王 720ml
蔵王酒造
蔵王酒造
(参考価格2000円)

【なんでも復興支援】
スーパーセキュリティZERO [ダウンロード]
クリエーター情報なし
ソースネクスト
(参考価格3,000円)

アフィリエイトで得られた金額は寄付します。ここから注文してね


最新の画像もっと見る

コメントを投稿