Web上では、富倉そばを十割そばと書いている記事もありますが、それはおかしい。富倉そばの特徴は、つなぎに小麦粉ではなくオヤマボクチを使うこと。これがツヤとコシを作る。だから富倉そばには十割そばはありえないと思うのですが。オヤマボクチはつなぎには含まないんだろうか?
面白かったお話しをふたつ。
ひとつめは新そばの話。床の間の柱には「新そば」と書いた紙が貼ってあります。この季節のことですから、張り紙を見れば新そばを食べられると思うのが人の心ですよね。以前からよく通ってきていると思われる二人連れの客が入ってきました。お店のマダムとも旧知の仲らしい。マダムがその客に話している声が聞こえます。「もう少ししたらまたいらっしゃい。その頃には新そばになるよ。色も少し緑色がついてくるよ」おいおい、今、新そばを食べさせているんではないのかい?その張り紙は?改めて張り紙を注目してみる。妙に黄ばんでいないか?隣のテーブルの夫婦らしき二人も同じ疑問を持ったらしく、「きっと、去年の『新そば』なんやろうね」と小声の関西弁で話していました。いやいや、富倉そばのファンはそんな細かいことにこだわっていてはいけません。うまいもんはうまいんです。
もうひとつ。私たちより後からやってきた3人連れ。夫婦とそのどちらかの母親ではないかと推測します。そばを一通り注文した最後に、男性が、「お酒」と叫びました。名物おばあちゃん(と思われる)とは別のほうのマダムが、「はい、お酒ね」と注文を確認したところまではよかった。が、その3人がもめ始めました。きっとここまでクルマを運転してきたのは男性で、彼が酒を飲むと帰りはその相方さん(奥様)が運転をしなければならなくなる。ところが相方さんは、大きくて不慣れなそのクルマを運転できないからねというわけです。「だから小さいほうのクルマにしようと言ったのに」とかなんとか。そのやり取りを少し離れて耳にしたマダム、すかさず、「はい、お酒はキャンセルね」いいねぇ、このさっぱり感。ま、そんなことでもめるくらい、この食堂への道中は厳しいということでもあります。
「気をつけて帰るんだよ」というマダムの声に見送られて、はしば食堂を後にしました。また細い道を下って国道へ。富倉トンネルを迂回して飯山街道を150mくらい走ると、もともと訪ねるはずだったかじか亭がありました。こちらは客も多いようです。かじか亭は個人ではなく、平成2年(1990年)に事業組合として作られたと、かじか亭のサイトにあります。んっ?郷土食堂が中野市で開業したのが平成2年(1990年)6月とどこかに書かれていました。すると、平成2年ごろから富倉そばがメジャーになっていくわけですね。はしば食堂でそばと笹ずしを十二分に食べたあとでしたので、かじか亭は暖簾を潜らずに帰りました。また次の機会です。
(つづく)
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