世界的な新型コロナウイルスの感染拡大で各地の航空会社の経営を直撃しています。思い出深いヴァージン・アトランティック航空もです。ロンドン・ガドヴィック空港の運航終了や提携資本変更、多くの国の運航撤退、乗務員3000人の解雇など嵐を乗り越えながら、運航制限解除と2021年に向け新たな指針を発表し顕在だったのです。
1989年5月、友人の旅行社から5日前にロンドン便の格安航空券があると連絡があった。LCCの初期です。あのリィチャード・ブロンソン率いるヴァージングループのヴァージン・アトランティック航空の航空券です。ロンドンの会社やミラノの工房に用事があったので急いでホテルも予約しないで出かけたのです。東京/成田ーロンドン/ガドヴィックの運航便です。運航初日の盛大なセレモニーの後ゲイトをくぐり搭乗したのです。平成元年のヴァージン、ヴァージン航空のヴァージン飛行便です。
ロンドンの繁華街ピカデリーサーカスにはモヒカンやヒッピーがたむろしパリのセーヌ川畔にはホームレス、ジプシーのひったくり、カルチェラタンの裏道には多数の多国籍娼婦が・。ミラノには子供の付きまといがいた時代背景のヨーロッパです。ロンドンではスクーターギャング事件が多発して被害者捜査ができない状態だと報道していました。
その後ヴァージン・アトランティック航空は1991年にヒースロー空港に移行し、全便直行便化したのですが2015年に日本発着便は運航を停止しています。その後の事はよく承知していませんがシンガポール航空やデルタ航空との資本提携など紆余曲折があったようです。
英発音ではベルジンと聞こえていましたがヴァージンでしょう。現在ではアメリカ各都市便や上海、香港、デリー、テルアビブ便など運航しているようです。思い出深いヴァージン・アトランティック航空の日本再運航も願っています。
写真はヴァージン・アトランティック航空
AB-ROAD 転載