青空Green倶楽部

時々意の趣くままに・・ミヤンマ―・国際・政治・経済・温暖化or寒冷化・限界集落etc

ヴァージン・ヴァージン・・(Ⅱ)

2020-06-25 10:10:59 |  ドキュメント


 世界的な新型コロナウイルスの感染拡大で各地の航空会社の経営を直撃しています。思い出深いヴァージン・アトランティック航空もです。ロンドン・ガドヴィック空港の運航終了や提携資本変更、多くの国の運航撤退、乗務員3000人の解雇など嵐を乗り越えながら、運航制限解除と2021年に向け新たな指針を発表し顕在だったのです。

 1989年5月、友人の旅行社から5日前にロンドン便の格安航空券があると連絡があった。LCCの初期です。あのリィチャード・ブロンソン率いるヴァージングループのヴァージン・アトランティック航空の航空券です。ロンドンの会社やミラノの工房に用事があったので急いでホテルも予約しないで出かけたのです。東京/成田ーロンドン/ガドヴィックの運航便です。運航初日の盛大なセレモニーの後ゲイトをくぐり搭乗したのです。平成元年のヴァージン、ヴァージン航空のヴァージン飛行便です。

 ロンドンの繁華街ピカデリーサーカスにはモヒカンやヒッピーがたむろしパリのセーヌ川畔にはホームレス、ジプシーのひったくり、カルチェラタンの裏道には多数の多国籍娼婦が・。ミラノには子供の付きまといがいた時代背景のヨーロッパです。ロンドンではスクーターギャング事件が多発して被害者捜査ができない状態だと報道していました。

 その後ヴァージン・アトランティック航空は1991年にヒースロー空港に移行し、全便直行便化したのですが2015年に日本発着便は運航を停止しています。その後の事はよく承知していませんがシンガポール航空やデルタ航空との資本提携など紆余曲折があったようです。

 英発音ではベルジンと聞こえていましたがヴァージンでしょう。現在ではアメリカ各都市便や上海、香港、デリー、テルアビブ便など運航しているようです。思い出深いヴァージン・アトランティック航空の日本再運航も願っています。

写真はヴァージン・アトランティック航空
   AB-ROAD  転載
 
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馬2頭でトレキング(Ⅱ)

2020-06-18 17:14:10 |  ドキュメント






 ミヤンマ―・シャン州のインレー高原。中国雲南省、ラオス、タイと州境を接し平地で標高は約900m。山岳は1400~1500mで暑いミヤンマ―でも涼しく自然豊かで美しい高原です。インレー湖畔のインダ―族、その他シャン族、コーカン族、ワ族、タウンヨー族、バラウン族、パオ族など民族色豊かで興味深い地域です。シャン州軍や少数民族武装組織もありタンシュエ軍事政権時代は武装解除の戦闘もありゲリラの出没噂もありました。小乗仏教の信心深い同じミヤンマ―人と信じ出掛ける事にしたのです。

 インレー湖畔側からパオー族の村を訪ねる計画を伝えるとヤンゴンの息子(元留学生)が予定があるので警護員と看護婦を用意するとの提案を断り馬2頭と馬引き2名、料理山岳ガイド1名を用意させ4名で2泊3日のパオー族の村まで山岳トレキングです。馬2頭は疲れた馬の代替え馬です。料理山岳ガイドは肉や魚その他食糧を用意し早朝、湖畔側から出発したのです。

 山の低地は少数民族の民家が点在しトウモロコシや高原野菜、鶏や豚の放牧をしていました。昼食時は民家のかまどをかりガイドが日本人好みの料理をしてくれました。高地は馬も疲れるほどの岩場もあり乗り換えながら夕刻、頂上の宿泊場所、寺の宿坊に到着しました。しばらく休憩しているとフランス人の民俗学大学教授夫妻が男性ガイドと3名で自らの足で登頂してきました。これが本当のトレッキングだなと・驚きました。フランス人ガイドはフランス人用の料理を用意し日本人用料理を混ぜながら深夜まで寺の庭で談笑しました。

 翌朝、別れを告げフランス人夫妻は湖畔側に下山され馬2頭と馬引きは昨晩下山したのです。湖と反対側の山深い僧侶の親戚のあるパオー族の村まで女性ガイドと二人で歩いて下山です。ゲリラの心配もしましたが空気も澄んで山々はきれいで会う人もなく夕刻、無事に僧侶の親戚の家にたどり着き民泊しました。驚きはパオー族の老人はミヤンマ―語が理解できず若夫婦がパオー語に通訳していた事です。純心で心豊かで穏やかで、温かいパオー族の料理をごちそうになり生活習慣も見聞きし、夕方バイタクでニャンシュエの町まで下山したのです。

 空は青く澄んで山々の緑は鮮やかで気持ちのいい半トレキングでした。日本人やアジア人の旅の価値観は少々ヨーロッパ人などと違い観光資源になるか考えさせられるトレキングでした。

 写真上 welcome Inlay ゲイト
   中 インダー族の馬引きと山岳料理ガイド
   下 パオー族のおばさんたち


 

 
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感染症と戦争に勝つの勝(まさる)君(Ⅱ)

2020-06-05 09:55:52 |  ドキュメント





 世界の現況は戦争でしょうか。コロナ戦争、ウイルス戦争、細菌戦、貿易戦争、細菌兵器など見出しの出版物が発刊されています。米トランプ大統領は「戦時大統領」と名乗り中国習近平国家主席は「人民戦線」と称し仏マクロン大統領は「我々は戦争状態にある」と述べた。確かに医療現場などはまさに「戦場」のような過酷な光景も見えます。独のシュタインマイヤー大統領は「感染症の世界的拡大は戦争ではない。国や兵士が戦っているのではない、私たちの人間性が試されていると・。

 ミヤンマ―・ベンガル湾沿いの有数なリゾートビーチChanthaでの「戦争に勝つ」の勝(まさる)君の話です。ミヤンマ―の息子(元留学生)とビーチ前の小島の開発計画で訪れたチャンタビーチ。近くのレストランで食事をしていると村人が死ぬ前に日本人に会いたい老人がいるから会って欲しいと言ってきました。

 その老人はビーチから7^8分の小高い山側の麓の村に住んでいました。家に訪ねるとすぐに「アナタ ニホンジン ワタシ マサル センソウニ カツ ノ マサルクン デス」と駆け寄って来ました。「ヨロシイ ヨロシイ ニホンゴ ワスレタ」と・。

 ビルマ戦線(1941^1945)、太平洋戦争開戦まもなく日本軍とビルマ独立義勇軍は植民地支配をしていた英国軍と戦いラングーン(後のヤンゴン)を陥落させビルマ(後のミヤンマ―)全土を実効支配し独立したのです。その当時、老人は7^10歳くらいで優しい日本軍の兵隊さんに「戦争に勝つの勝(マサル)君と名付けられ可愛いがられたのです。80歳代になってもその少年時代の兵隊さんの優しさが脳裏に残り死ぬ前にもう一度日本人に会いたいと思って生活していたのです。

 韓国人の陰湿で執ような徴用工や慰安婦問題などと違ってミヤンマ―では英国の植民地支配から独立開放に共に戦った日本軍を讃える美談が多いのです。コロナ戦時の現在でも独大統領の指摘のように個々人の人間性が歴史や記憶に残り試されているのです。

写真上はミヤンマ―・ベンガル湾沿いのchanthaビーチ 
  下は戦争に勝つの勝(まさる)君
 
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