世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

2006/9/10-11 クラコフ・アウシュヴィッツ

2006年09月14日 18時37分10秒 | ヨーロッパ

ブログ引越後の初投稿です。
がんばって書きますので今後ともよろしくお願いします。

「2006/9/10 クラコフ 快適な安宿でだらだら」
この日も前日のワルシャワに続き快晴です!
ワルシャワからクラコフまで約3時間の列車の旅。
のどかな田園風景になごみます。
ただし、全身100箇所以上の虫刺されにより常にどこかを掻いていますが・・・
↓しょっぱなからきたない画像ですいません・・・

クラコフに到着してホームに降りたとたん、なんと宿の客引き(老人)がやってきました!
これはヨーロッパの旅で初めてのことなのでびっくりしました。
その老人以外にも宿の客引き達がホームや駅の周辺にうようよしています。
重い荷物を背負ってさまようのが嫌だったので、結局その客引き達の中から最もホテルの設備がよさそうなところを選びチェックイン。
(受付の女性が日本語ペラペラというのにも魅かれたのですが、結局その女性はお休みで会えませんでした。)

で、その宿が今までの安宿の中では最高のサービスと設備でした。
部屋が清潔で、シャワーもきれいで、バーやラウンジもあり、スタッフもとても親切でフレンドリー、キッチンがありパンやシリアルが食べ放題、しかもワイヤレスネットワークが使い放題、その上チェックアウト後もそれら全ての施設が使えるという素晴らしい宿です。
客引きが「ホステルズワールド」というサイトで世界4位の評価を受けてるんだぜ!といってたのも納得です。
夕方までごろごろしてクラコフ観光へ。クラコフはポーランドでは一番の典型的な観光地みたいです。日本で言えば京都みたいな存在でしょうか。ワルシャワがびっくりするような大都会だったことからすると随分とこじんまりしていていい感じの町です。中世の町並みそのままといった感じで。でも、さすがにそういうものには飽きてきていますが。

中央広場。ものすごい広さ。観光客がいっぱいです。

「2006/9/11 アウシュヴィッツ見学、プラハへ移動」
この日も快晴です!
アウシュヴィッツへはガイドツアーでいくか個人でいくかかなり迷いましたが、英語の勉強もかねてツアーでいくことにしました。料金的にも個人で行くのとそんなにかわらなかったし。
ツアーの内容の一つバスでのフィルム上映50分は思いっきり寝てしまい、気がついたらアウシュヴィッツ到着です。あまりの晴天で屋外にいる間は全然暗い雰囲気はないです。

でも、屋内に入ってガイドの説明を聞いているとそのすさまじさにぞくっとします。(ちなみにガイドの英語は早くは無かったけどなまっていたので50%くらいしか理解できていません)
建物は当時の物なのですが、中を博物館として利用するために一部改装してあります。そこで当時ナチスによって何が行われたかという事実を示す展示が行われています。当時の写真や、殺された人の靴や鞄や服などの大量の遺品、毛髪によって作られた大量の生地、1m四方の密閉された部屋で4人が立って寝るという懲罰室、銃による処刑が行われた「死の壁」、ガス室、死体の焼却炉(そのすぐ隣にヘス所長の住居があったそう。ヘス所長の死刑はこの焼却炉の前で行われたという)。最も印象に残ったのは3歳~5歳児くらいの子供の服や靴などの遺品です。子供も大人と全く同じ扱いを受けて死んでいったそうです。そこにはいくつもの献花が供えてありました。
バスで第二アウシュヴィッツ・ビルケナウへ移動。ここはアウシュヴィッツの処理能力がオーバーしたので主に大量虐殺を目的として作られた広大な施設です。ドイツ軍が撤退時に証拠隠滅のために大部分を破壊したらしいのですが、いくつかの住居やガス室・焼却炉の残骸などは今も残っています。そのドイツ軍の「証拠隠滅」という考え方と、その中途半端な行為に驚きを覚えます。

↑ナチス・メンゲレ医師により強制労働とガス室送りの判定が行われた場所。メンゲレ医師は女性や双子を使った非人道的な人体実験も行っていました。彼は戦後南米に隠れ住んで最後まで逃げとおしたそうです・・・

そのほかにもここには書ききれないすさまじい事実がたくさんありました。
この日もし天気が悪ければ一日鬱に過ごさなければならなかったと思います。

アウシュヴィッツ見学の後はプラハへと夜行電車で移動です。
夜行列車ではヴィリニュスでバックギャモンで遊んだアメリカ人と再会したり、陽気なアイルランド学生の大群とビールを飲んだり、スイス在住ペルー人にフジモリ賞賛の話を聞かされたりで、なんだか面白い移動になりました。



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