切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

妙音寺・・・寺田屋旅館のすぐ近く         京都市伏見区

2024-01-20 22:05:37 | 撮影
  

  妙音寺は有名な寺田屋旅館のすぐ近くにある。寺田屋は幕末において、尊王攘夷派の一つの拠点となっており、ここで襲撃を受け 7名が切られて亡くなるという大きな事件が起こったところだ。今現在では観光名所として多くの人が連日 訪れている。その裏側に妙音寺はあるが、普通に見たところ石地蔵などがあるものの、お寺として非常に分かりにくい。雑草などにも囲まれておりお寺の看板が非常に見にくいこともある。そういった草木を分けて 妙音寺の表札がやっと見えると言った状態だ。

 

 天台宗の寺院で、創建等の経緯については分からなかった。天台宗そのものは元来、中国本土において成立したものだが、奈良時代から平安時代にかけて日本に導入されることになる。既に奈良時代には仏教勢力が、主に禅宗を中心として広まっており、また朝廷からも 絶大な支持を受けていた実態があった。しかしあまりにも朝廷権力に近づきすぎていたために、朝廷内においても天皇家の一部がこのままでは仏教によって権力の座が奪われてしまうのではないかとの危惧があり、それが桓武天皇によって具体的な動きとなって示されることになる。つまり伝教大師最澄を中国に派遣し、天台宗の奥義を学ばせそれを日本に持ち帰ると同時に、仏教勢力の強い平城京から改めて都を京都に移す、つまり平安遷都を行い、本来の奈良仏教との隔絶を図り、朝廷の力を再度高めよう という狙いがあったということになる。そういった意味でこの天台宗が果たす役割は非常に大きなものとして、桓武天皇達に大きな期待を抱かせるものとなった。

  

 このような経過をたどった天台宗は、その後日本の仏教界に深く根付き一つの大きな勢力として現在にまで至ることになる。
  妙音寺は門のありかも分かったものの、その内側に境内が広がるかどうかがさっぱりわからない。しかし門前に多くの石地蔵や植栽が見られ、そこが境内代わりになっているような雰囲気がある。中でも特に目立つのが「子安観音菩薩」だ。ひときわ大きく存在感を呈している。これも元は中国から伝来したものと言われ、その信仰の歴史は非常に古い。そういった意味では、中国から導入された天台宗との関わりが強いものと考えられ、古くから 安産に関するご利益があるものとされている。妙音寺というお寺が何を本尊として構えているのかは分からないが、少なくとも門前の広場のようになったところにこのように構えているのを見ると、それ相応の 見応えがあるものと言える。

  
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