切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

本禅寺~幸神社 京都市上京区・・・有数の古社なのか

2020-02-14 23:26:14 | 撮影
本禅寺



 『法華宗の本山で光了山(こうりょうさん)と号する。応永13年(1406)日陣(にちじん)上人が四条堀川に創立した寺で、天文法乱後、日覚(にっかく)大僧正の時、西陣の方四町の地を得て移り、さらに天正19年(1591)ここに移った。五世日覚上人は勅命によりしばしば宮中に法華経を講じ、後奈良天皇より勅願寺の綸旨(りんじ)を賜った。また天保10年(1839)には有栖川(ありすがわ)宮家の祈願所ともなった。今の堂宇は嘉永2年(1849)に建てたもので、立像堂(りゅうぞうどう)には日蓮上人が常に護持した立像釈迦如来を安置する。この寺の梵鐘は、もと豊臣秀頼が片桐且元に命じて鋳造させ、大阪の生国魂(いくたま)大明神に献納したもので徳川家康は両度の大阪の陣に陣鐘(じんがね)として使用したのが、のち大久保彦左衛門忠教によって当寺に納められたという。境内には大久保彦左衛門や画家岸駒(がんく)、拝匠梅室(ばいしつ)の墓がある。』
  (京都市公式 京都Navi より)

 本禅寺は御所と鴨川の間に挟まれた一角にある。
 撮影時にはここの駒札や説明書きは見つけられなかった。しかしネットで調べると説明書きだけの写真もあったり、上記のような駒札だと思われる文章が掲載されたりしていたのでそこから借用した。
 創建は室町時代の初期になる。その後、応仁の乱を始め何度も災禍によって焼け落ちており、大半が再建されたものだ。
 境内に入ってまず目に入るのは、多くの車。つまり境内全体が駐車場として貸し出されており、舗装された部分も非常に多い。お寺の経営上仕方がないといえば仕方ないのだが、京都市内にはこのようなケースが非常に目立つ。文化財保護の観点からも、もう少しなんとかならないものかと感じる。
 鐘楼の梵鐘は大阪冬の陣で使用されたものとして有名だと言う。
 比較的広い境内を持っており、堂宇も揃っているので、できれば境内が一部でも庭園として整備されていればさぞ良かっただろうと思われる。
        


幸神社 (さいのかみのやしろ)



『幸神社
祭神 主祭神 猿田彦大神
(中略)
 日本最古の縁結びの神として知られる当社の祭祀は、遠く神代に始まり、天式天皇の白鳳九年(六六一)に御再興され、平安京創建時(七九四) 桓武天皇により、皇都の東北の鬼門除け守護神として御造営されました。 平安京造営時には社名を「出雲路道祖神」と云い、江戸時代の初め現在の 地に御遷座された際「幸神社」と改められました。
 主祭神に祀られる猿田彦大神は、当社に伝わる道祖神信仰と習合せられ、 古くより霊験あらたかな縁結びの神として崇められています。そして、相殿神に祀られる天鈿女命、神代随一の踊り手で芸能の始祖として知ら れ、また歌舞伎の創始者である出雲の阿国が当社の稚児、巫女として仕えた故実により、芸能上達を願う人々の崇敬を集めています。
本殿東側の壁に祀る三番叟(御幣を担ぐ猿の神像)は、御所内裏の東北隅の猿ヶ辻に祀られる猿の神像と共に皇都を護っています。表鬼門で ある東北の空を雲上にて眺望し、疫神、悪鬼、邪気等の侵入を防ぐ姿を現しています。
  御神徳  縁結び、芸能上達・鬼門除け・旅行安全』
   (説明書き板より)

 幸神社は御所のすぐ北にある。
 この神社のことについては地図で見つけて初めて知ったし、事前の予備知識も何もなしで訪れた。このような名前の神社は初めてだ。ところが神社を訪れても、この神社はすごい悠久の歴史を持っているものであることを、しっかりと認識はできなかった。説明書きが掲示されており、それを読んでみたが、にわかに信じ難いような思いだった。帰宅後色々と調べるにあたって様々な情報を見てみると、これはとんでもないほど重要な位置づけにある神社ということが分かってきた。
 境内は比較的狭い。中に入ると横の方に本殿が控えており、あと社務所などが建ち並ぶ。多くの末社もずらっと並んでいる。「おせきさん」と呼ばれる比較的大きな岩のような神石が縄に囲まれて置かれていた。拝むと縁結びのご利益があるとのことだった。
 神社の御祭神は猿田彦大神であり、古来旅の安全を祈る神ではあったものの、平安遷都にあたって鬼門除けの役割がこの神社に与えられたようだ。上記の説明書きにある通り、社伝によると神代の時代の創建などとある。本当なのか。その後、白鳳時代に再興されているとのことだ。これはもう日本有数の古社ということになる。もちろん千何百年も昔の話であり、今の境内を見ている限りとても信じがたいような気持ちになる。他の祭神は省略したが、何も神話上の神が並んでいるようだ。
 猿田彦大神について猿の木彫が置かれたが、そのことを知らなかったので、見ることも撮影することもなかった。
 また説明書きに出雲阿国や芸能にまつわる信仰のあることも意外なものだった。街の中にひっそりと佇むようなさほど目立たない神社だが、こんなにも凄いとは本当にびっくりだ。

       
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