切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

2022年 京都の桜 清凉寺 京都市右京区   2022.4.9

2022-04-15 20:36:10 | 撮影
  

『清凉寺(嵯峨釈迦堂)
 五大山と号する浄土宗の古刹で、「嵯峨釈迦堂」の名で知られている。
 この地には、一説では『源氏物語』の主人公の光源氏のモデルであったといわれる源融の山荘、棲霞観があり、融の没後、棲霞寺としたのが当寺の始まりである。天慶八年(九四五)に等身大の釈迦像が安置され、これが通称の由来ともいわれている。
 その後、インド、中国、日本の三国伝来となる釈迦如来立像を持って宋(中国)から帰国した奝然上人が、その像を安置するため、愛宕山を中国の五台山に見立てた「大清凉寺」の建立を計画したが、志半ばで没したため、弟子の盛算が清凉寺を建立して 像を安置した。
 昭和二十八年(一九五三)、背中に蓋が発見され、中に内臓を模した絹製の五賊六腑などが納められていたことから、生身のお釈迦様とも呼ばれている。
 本堂は元禄十四年(一七〇一)に徳川五代将軍綱吉、その母桂昌院らの発起により再建されたもので、本尊の釈迦如来立像(国宝)を安置しており、霊宝館には、阿弥陀三尊像(国宝)、文殊菩薩騎獅像(重要文化財)等、多数の文化財が祀られている。
 このほか、境内には、奝然上人、源融、嵯峨天皇、檀林皇后の墓などがある。
 京都市』 (駒札より)

   

 常寂光寺を目指して家を出たが、嵯峨野周辺では必ず清凉寺の駐車場に停めることにしている。収容台数に余裕があり駐車料金はやや高めだが、時間を気にすることなくあちこち回れるので重宝している。常寂光寺は清涼寺から徒歩5~6分といったところだ。
 清涼寺の駐車場に停めて境内を横切ろうとしたところ、数は少ないものの桜の木が目立ち、同時に寺宝の公開を行なっていると言う立て看板が目に入った。清凉寺の文化財については数年前に一度見たことがある。随分久しぶりなので常寂光寺を後回しにして、こちらの桜の撮影と霊宝館の方へ入ることにした。

 清凉寺そのものは嵯峨釈迦堂とも呼ばれ、広大な境内を有し山門は堂々たる建築物であり、本堂も非常に大きい。しかし境内中央部は特に何もなくだだっ広い状態になっている。その周囲に本堂等の建物があり、さらに霊宝館も庭園もある。桜そのものはかなり少ない。その桜の撮影を先に済ませてしまう。
 境内の西方に鐘楼があり、その近辺と多宝塔の辺りに2本の桜の木があって綺麗な花を咲かせていた。少し散り始めていたが、山門や多宝塔をバックに撮影していく。また反対側にも桃色の桜が花をつけていてなかなかいい雰囲気だ。また本堂の横にも桜の木があるのだが、こちらの方は大半が散ってしまってわずかしか残っていなかった。
 たまたま鐘楼の近くに大勢の人が集まっているのを目撃して行ってみると、何かの公開練習をしていると言う。地域のお年寄りたちが椅子に座ってそれをながめており、後方には巨大な望遠レンズをつけた多くのカメラマンたちが熱心に撮影している。おそらく写真を撮るというよりは動画撮影をしているものと思われた。これは嵯峨狂言の出し物の公開練習ということであった。この嵯峨狂言というのはそこそこの歴史を持ち、国の重要無形民俗文化財に指定されていると言う。初めて知った。しばらく見ていたが途中から見たのでストーリーそのものが全くわからず、一応写真だけ撮ってその場を後にした。

   

 本堂に入ってまず中央に安置されている本尊の国宝、釈迦如来立像を拝見する。さほど大きくはないがかなり近くまで寄って見ることができる。そして本堂内の通路に沿って、この本尊の体内から発見された日本で最古となる五臓六腑の布製の内蔵物が展示されていた。これらはすべて国宝に指定されているとのこと。展示されているものはレプリカであり、本物は国立博物館にあるとのことだ。このような五臓六腑の内蔵物というのはかなり珍しく、その存在自体が見られるというのはほとんどないので極めて興味深く拝見した。
 続いて霊宝館へ行く。以前一度拝見しているがその時の記憶が蘇ってきた。安価な入場料を払って内部へ入る。入ったその場にいきなり大きな仏像がそびえている。国宝の阿弥陀三尊像だ。3体並ぶ仏像が1セットで国宝に指定されており、それが手を伸ばせば触れるほどのところに安置されている。もちろん遮るガラス板も何もない。正直国宝の仏像をこのような位置に安置していて大丈夫なんだろうかと逆に心配してしまう。わずか1mほどの距離で見上げるように見られるということ自体がある意味感動的だ。
 あるお寺の弥勒菩薩像という国宝は、かつては見学者の比較的近くに置かれていたが数年後見に行った時には、手前に柵が設けられ弥勒菩薩像そのものは、はるか奥の方に安置されていた。正直なところシルエット状になっていて、それ以上何も分からない状態。そのような置き方では実際、お金を払ってまで見る価値はないと思った。いくらなんでももっと手前に置いて仏像の立体的な造形がわかるようにしてほしいものだ。この弥勒菩薩像は戦後の文化財再指定の中で第一号になったものだ。中学校教科書にも写真付きで出ているので、お寺の名前もこれでお分かりだと思う。
 阿弥陀三尊像の背後には騎馬に乗ったすごい迫力の文殊菩薩像が2体並んでいる。ともに国の重要文化財だ。これなどもっとすごい置き方であって、騎馬の鼻先がそのまますぐに触れられるような状態になっている。またまたびっくり仰天だ。
 ここからさらに展示室に入ると、国宝や重要文化財がずらりと並ぶ。仏像であったり古文書であったり様々なものが並び、ゆっくり見ているとこれだけで1時間近くかかりそうな状態。そういった意味ではこの清凉寺の霊宝館は、本堂と共に見応え十二分以上と言える。
 嵐山に観光に来る人達は大半が渡月橋周辺と天龍寺で満足してしまい、数百m北側にあるこの清凉寺まではあまりやってこない。やってくる人々も清凉寺を目的に行くのではなく、さらに北のほうにある二尊院や常寂光寺などを目指していく。つまりこの清凉寺の凄さというものはあまり認知されていないのではないかと思う。非常にもったいない話だ。
 霊宝館を出る時に受付のおばさんに、「国宝に手が触れるような状態で置かれているが大丈夫なんですか?」と思わず聞いてしまった。するとおばさんは、同じようなことをよく言われる、とのことだった。やはり拝見しに来る人々も、あまりにも近すぎて逆に心配になるんだろう。

   

 こうしてようやく清凉寺の撮影及び拝見が終わった。時間を確認すると常寂光寺まで行っている余裕はないということで、この日は清凉寺に十分な満足感を得て帰ることとした。

   
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